□9月22日(水)


生きている者の神


マタイの福音書22:23-33(32)

日毎の糧

 復活がないと主張するサドカイ人たちが、イエス様のところに尋ねて来ました。彼らは、そもそも死後のいのちは無く、魂は身体の死とともに死ぬと考えていました。ですから、復活などありえなかったのです。それを主張するために、到底あり得ないような作り話をもってきて質問しました。モーセは、「もしある人が、子がないまま死んだなら、兄の妻と結婚して、兄のために子孫を残さなければならない」と言いましたが、次の場合どうするのかということでした。ある家系に七人の兄弟がいました。結婚した長男は子がないまま死に、その妻を弟に残しました。次男も三男も、そして七人までも同じようになりました。そして最後にその妻も死にました。サドカイ人たちは、復活の際、彼女は誰の妻になるのか、という問題がおきるから、復活はありえないと主張しました。         

 イエス様は彼らが聖書も神の力も知らないので、思い違いをしていると言われました。なぜなら復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いのようになるからです。イエス様はサドカイ人たちもその権威を認めているモーセ五書を引用して復活を証しされました。神様はモーセに現れた時、ご自分のことを「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われました。「…の神であった」と過去形では言いませんでした。アブラハムたちが、まだ生きているからです。死が全ての終わりだと考える人々の価値観は、「明日は死ぬのだから飲み食いしよう」というものです。彼らは世に望みを置いて、世にあるものに執着して生きます。しかし死は終わりではありません。イエス様をキリストとして信じる聖徒たちは、栄光ある復活の体を着て神様の御前で永遠に生きるようになります。この望みがある時、私たちは揺り動かされることなく主が与えられた使命にもっと励むことができます。                                        



適用:復活信仰を持って生きていますか

一言:復活はある

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧