□1月22日(土)


神様の家の門口に立ちたい


詩篇84:1-12(10)

日毎の糧

詩人は、心で主の住まいを思い描いています(1)。直接エルサレムに上って行くことができない詩人は、魂が絶え入るばかりで、主の大庭を恋い慕いました(2)。彼は、どんな者が幸いな人なのかを考えました。そして、主の家に住む人が幸いだと気が付きました。心の中にシオンへの大路のある人は幸いだと分かりました。主に信頼する人は幸いである(12)とも悟りました。神様は、彼らが涙の谷を過ぎる時も、そこを泉の沸くところとされる方です。初めの雨(秋の雨)も、そこを大いなる祝福でおおわれます(6)。

詩人は、神様の大庭にいる一日は、千日にまさると言います(10)。主と共にする一日は、主のいらっしゃらない千日にまさるのです。小さな家であっても、主が共にいる家なら、その家で一日を過ごすことは、食べたり飲んだりして千日を生きるよりもまさるのです。主がいらっしゃらない日は空しいです。悲しくて苦しいです。主と共にするなら、人生は太陽のように輝きます。主だけが恵みと栄光を与えて下さいます。誠実に歩む者に主は良いものを拒まれません(11)。それで詩人は告白します。「悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。」悪の天幕には、悪人が好むものが多くあります。食べたり飲んだり、楽しむことばかりです。しかし、詩人はそれを拒み、神様の大庭の門口に立ちたいと言います。大庭の門口に立つことは、苦労する者であるということです。仕える者となるということです。そうであっても、悪の天幕で贅沢を味わうよりも、大庭の門口に立つ者であることを詩人は好みます。それが幸いであることを知っているからです。まことに幸いなことは、神様と共にすることです。



適用:悪の天幕に生きることを好みますか

一言:門口に立っても主の大庭で

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧