2000年イザヤ書第5講
苦難のしもべ・栄光のしもべ
御言葉:イザヤ書53:1?12
要 節:イザヤ書53:5
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
?.苦難のしもべ(1-9)
1.「私たちの聞いたこと」とは何を指しますか(1)(イザ52:7)。主の御腕が現われたことはどんな事件を指しますか(1b)(ヨハ3:16a)。このメッセージは、どんな点で信じられないくらいに、驚くべき知らせですか。
53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
イザ52:7 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。
ヨハ3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
2.そのしもべは人々にはどのように見えましたか(2)。彼は人々からどんな扱いを受けましたか(3)。そのような彼は何を知っていますか。
53:2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
3.彼は何のためにこのような苦しみを受けられましたか(4a)。ところが、彼らは彼が苦しみを受けるのを見ながら、どのように考えましたか(4b)。私たちにはどんな病と傷みがありますか。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
4.彼は何のために刺し通され、砕かれましたか(5)。それによって、私たちはどんな恵みを受けるようになりましたか(?ペテ2:24)。私たちの罪と咎について話して見ましょう。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
?ペテ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
5.私たちはどのように生きましたか(6a)。人々がおのおの自分かってな道に向かって行くことが、なぜ神様の御前では大きな罪になるのでしょうか。このような人々のために主は何をされましたか(6b)。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
6.人が何の理由もなしに苦しみを受けるとどのようにしますか。しかし彼はなぜ全ての苦しみの前でも口を開かなかったのでしょうか(7)。彼は何も悪いことをしませんでしたが、なぜほふり場に引かれて行きましたか(8,9)。
53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
?.栄光のしもべ(10-12)
彼が痛められるのは誰のみこころですか(10a)。彼は神様のみこころに従って痛められましたが、結局どのようになりましたか(10b)。なぜ彼は満足するようになりますか(11)。
53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
2.このようにして神様が彼に何を与えられますか(12a)。なぜそのようなものをくださいますか(12b)。
53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。