コリント人への手紙第一12:12-31(27)    [NIV]

一つの体、多くの部分

□6月22日(火)

賜物を持った人が陥りやすい罪は、賜物を持っていない人を劣っていると考えて、無視してしまうことです。コリント教会の聖徒たちは、誰の賜物がもっと良いのかと互いに比較し争い合いました。パウロは体と部分を例えにして、彼らの過ちを指摘しました。信じる私たちはみな一つの聖霊でバプテスマを受けて、一つの体となりました。私たちは一つの体です。体には手、目、耳のように多くの部分があります。彼らには、主から一人ひとりに与えられた固有の役割があります。目が重要だとしてもすべての部分が目ではありません。いくら目が良くても手がなかったり、足がなかったりしたら不便ですし、苦痛です。ですから、「私が最も重要だ」と言って他の部分は必要ないとは言えないのです。それどころかかえって重要ではないように見えても実際は最も大事な役割を果たしている場合が多くあります。私たちは体の一部分が痛ければ、そこを親身になってケアします。体は決して分裂がなく、各部分が互いにいたわり合う為です。これが、私たち一人ひとりに多様な御霊の賜物を与えて下さる聖霊の御旨です。どの賜物が最も重要だということではありません。どの賜物を持っているかで互いを比較して高慢な心になったり、または劣等感を抱いたりすることは、正しいことではありません。パウロは「みなが使徒でしょうか、みなが預言者でしょうか」と言っています。どんな賜物を持っているか、或いはどんな職分を担っているかが人々の目に最も重要に映るかもしれません。しかし、イエス様がご覧になる時は、そうではありません。すべての賜物と職分は同じで貴いのです。



適用:一つの体をなす部分であることを知っていますか

一言:私たちは一つの体

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧