2009年ローマ人への手紙第19講

キリスト・イエスの仕え人

御言葉:ローマ15:14?33
要 節:ローマ15:16「それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。」

先週、私たちは平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めることについて学びました。私たちひとり一人が、自分の家庭で、自分の職場で、この日本で平和に役立つことができるクリスチャンとして生きるように祈ります。
今日の御言葉では「キリスト・イエスの仕え人」としてのパウロについて学ぶことが出来ます。今までクリスチャンの実生活について述べてきたパウロは、最後に自分自身の使命と希望、個人的な挨拶などを述べていきます。特に、今日の御言葉を通して、私たちはキリスト・イエスの仕え人としてのパウロの使命感と希望、彼の祈りについて学ぶことが出来ます。

一番目は、パウロの使命です(14-21)。
14節をご覧ください。「私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」とあります。パウロが確信しているローマ教会の姿を見ることができます。彼らは善意にあふれていました。すべての知恵に満たされていました。また互いに訓戒し合うことができる教会でした。素晴らしい教会の姿です。互いに訓戒し合うことはなかなか難しいでしょう。慰め合うことができても、訓戒し合うことはできない場合もあると思います。
私は宣教師として働きながら訓戒し合うことの難しさを何度も経験しました。心から愛しているから、信頼されていると思い、何気なく言った私の言葉に傷つけられたという話も聞くようになりました。考えてみると、宣教師になる前は同じ地域の人、同じ大学の先輩後輩関係だったので基本的な信頼関係があったと思われます。しかも、皆が同じ母国語を使っていたので訓戒し合うことがそれほど難しくなかったのです。ところが、宣教師として働く時はいろいろな違いがあるから、訓戒し合うことも難しかったのです。すると、私はますます訓戒し合うことに対して自信がなくなっていました。ところが、ローマ教会は互いに訓戒し合うことができる教会だったのです。それほど深い愛によって結ばれていたことでしょう。訓戒し合っても、傷つけられることなく、むしろ愛し合うことができる家族になっていたのです。本当に素晴らしい教会の姿です。私たちの教会も、ローマ教会のように善意にあふれ、すべての知恵に満たされることだけではなく、互いに訓戒し合うことができる教会になりますように祈ります。
では、互いに訓戒し合うことができるほどに成熟した教会だったにもかかわらず、パウロがこの手紙を書いた目的は何ですか。15-16aをご覧ください。「ただ、私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。」とあります。パウロはただ、彼らにもう一度思い起こしてもらうためにこの手紙を書きました。それも、彼が神様から恵みをいただいていたからです。その恵みとは、彼が異邦人のために、キリスト・イエスの仕え人となるために与えられた使命でした。
一般的に、人々は神様から与えられた「恵み」を言う時、具体的に、実際的に祝福されたことを言います。たとえば、弟子養成の実を結んだこと、良い職場に就職ができたこと、成績が良くなったこと、給料が上がったこと、良い学校に合格したことなどが恵みだと思っているのです。しかし、パウロにとって神様から与えられた恵みとは、自分が異邦人のために、キリスト・イエスの仕え人となることだったのです。つまり、パウロは異邦人のために、キリスト・イエスに仕える使命を神様からの恵みとして受け留めていたのです。
人間的に考えると、彼の使命は恵みではありません。キリスト・イエスの仕え人だからと言って人々から認められることも、収入が上がることもありませんでした。パウロは自分の生活のために天幕作りの仕事をしながら異邦人伝道のために働いていました。彼の労苦は誰よりも多く、牢に入れられることも多くありました。また、むち打たれたことは数え切れず、死に直面したこともしばしばでした。異邦人にキリスト・イエスを伝えるために幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました(?コリント11:23-26参照)。人間的には数多く損害を受け、自己犠牲をしたのです。それでも、パウロはキリスト・イエスの仕え人となることは大変だったと言いませんでした。「もう疲れました」とも言いませんでした。神様から与えられた恵みだと言いました。
では「恵み」とは何でしょうか。資格のない者に一方的に与えられるものであり、プレゼントです。パウロはキリスト・イエスの仕え人となる資格のない人でした。かつて、彼は教会の迫害者であり罪人のかしらでした。外見上は学者であり、宗教家でしたが、内側は欲に負けている二重生活をしていました。すると、心には平安と喜びがありませんでした。ところが、彼は十字架に付けられて死なれたはずのイエス・キリストに出会いました。十字架につけられて御血を流され、死なれたお方、あのお方が死者の中からよみがえられて自分に現われた時に、救い主のイエス・キリストに出会ったのです。
事実、イエス様は彼のために人々から、むち打たれ、からかわれました。無知な人々からつばきをかけられ、葦の棒で頭をたたかれました。そして、「どくろ」と呼ばれるゴルコだの丘まで自ら十字架を背負われました。ゴルコだの十字架で血を流されたのです。そしてその血潮によってキリストを信じるすべての人々の罪を贖ってくださいました。しかし、イエス様は、ただ血を垂れ流すために十字架にかかられたのではありません。イエス様は、3日目に復活されました。この十字架の死と復活によって永遠の贖いを成し遂げられました。「永遠の贖い」とは時間・空間を越えて、永遠に素晴らしい効果を持つ贖いと言うことです。時が経つと共に、効果がなくなって来るようなものではありません。食べ物には賞味期限があり、薬にも効用の期限があります。しかし、イエス・キリストの十字架の血による贖いの効果は、きのうも、今日も、いつまでも変わりません。ペテロの時にも、パウロの時にも、今の私たちにも、イエス・キリストの十字架の血による贖いの効果があるのです。
今日、聖餐式を行なわれる私たちにもイエス・キリストの十字架の血による贖いの恵みがあります。その血は、旧約時代にほふられた動物の血ではなく、力あるイエス・キリストの血であるからです。キリストはヤギと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです(ヘブル9:12)。このキリストの血潮によってパウロは救われました。そして、恵みの上に恵みを加えられて、彼は、異邦人のために、キリスト・イエスの仕え人となりました。イエス・キリストに採用されたのです。
この間、ウマタイ宣教師は派遣会社の仕事がなくて長い間、待機していました。ところが、1ヵ月半の仕事が与えられました。一ヶ月半でも、どんなに喜んだでしょうか。イエス・キリストの仕え人は、神様に採用されて永遠にリストラされることがありません。
私たちがキリストの血潮によって救われることだけではなく、神様に選ばれてキリスト・イエスの仕え人として生きられることは大きな恵みです。パウロはテモテにこう告白しています。「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。(?テモテ1:12)」そうです。私たちも、キリスト・イエスの仕え人となった恵みを忘れるべきではありません。私たちは罪と死に打ち勝ち、よみがえられて天においても、地においてもいっさいの権威を持っておられる王の王、主の主であられるキリスト・イエスの仕え人です。この私を忠実な者と認めて宣教師としてくださった恵みはどんなに大きな恵みでしょうか。私たちをご自分の十字架の血によって贖い、救ってくださることだけではなく、忠実な者と認めてキャンパスの牧者、宣教師にしてくださった主の恵みを心から賛美します。
では、パウロは神様から与えられた恵みをどのように担いましたか。
16bをご一緒に読んでみましょう。「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。」パウロは神様から与えられた恵みのゆえに、神の福音を持って、祭司の務めを果たしていました。では祭司の務めとは何でしょうか。コロサイ人への手紙1章28節では、パウロは自分の働きを次のように説明しています。「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」祭司として、自分に与えられた賜物のすべてを用いて、キリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えることです。一言で言うなら、人々に伝道し、1:1聖書勉強を通して御言葉を教えることが祭司の務めです。私たちにも祭司の務めが与えられているのです。皆さん、一緒に告白しましょう。「私はキリスト・イエスの仕え人であり、王である祭司です。」私たちがいつも「自分は王である祭司である」という認識を持って生きるように祈ります。ではパウロは祭司の務めをどのように果たしていましたか。
17、18節をご覧ください。「それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行いにより」とあります。パウロは「この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何か話そうなどとはしません」と言っています。「この私を」という言葉の中にこんなに惨めな私を用いて下ったことに対するパウロの謙遜と神様への感謝が込められています。パウロは神様だけを誇りに思っていました。
19-21節をご覧ください。「また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」パウロは神様ご自身がしるしと不思議をなす力により、さらにまた、聖霊の力によって自分を用い、宣教の働きを成し遂げてくださったと証ししています。その結果、パウロはエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。彼の宣教原則は、他人の土台の上に建てないことでした。今日、多くの教会のリーダーたちが種を蒔くことよりも刈り取ることのために働いています。ほかの教会に通っている人さえ自分の教会に連れて行く人々もいます。福音を聞いたこともなく、聖書も知らない人々に福音を伝えることはやさしくないからです。しかし、パウロは1:1聖書勉強を通して不信者たちに福音の種を蒔く働きをしていました。私たちも、そのように働いていますが、きっと神様に喜ばれることでしょう。神様がパウロのように、全く新しい方たちに福音の種を蒔いていく人たちをどんなに喜ばれるでしょうか。なかなか刈り取ることができなく、実が結ばれたと思ったのに、その実さえ見えなくなった時は、とても悲しくなりますが、パウロのような心を持って福音の種を蒔いて行くことができるように祈ります。

二番目はパウロの希望です(22-29)
14-21節までを通してパウロは自分の宣教特徴、宣教の原則について述べましたが、22-29節では宣教計画について、宣教師としての希望について言及しています。
 22-24節をご一緒に読んでみましょう。「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので?というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、?」
 パウロは幾度もローマに行こうとしましたが、その道が妨げられました。それはローマ帝国の東方にある異邦人たちに福音を宣べ伝える働きを終わらせなければならなかったからです。その働きが終わらなければ、イスパニヤに行くこともできません。それで、イスパニヤに行く旅の途上にローマにも行けなかったのです。しかし、今は、もうその地方には彼の働く所がなくなりました。つまり、パウロは、ローマ帝国の東にあるコリント、エペソなどの地方で自分に与えられた責任を果たしつくしたのです。その時が、パウロはすでに引退する年を過ぎた老人でした。それでも、彼はその働きに満足し、休もうとしませんでした。パウロは、何年も次の働き場所であるイスパニヤ(スペイン)に行くことを希望していました。その旅の途上でローマに立ち寄り、ローマの教会からも祝福を受け、励まされて、送り出してもらいたいと望んでいたのです。結局、パウロは囚人として、ローマに連れて行かれるようになりました。彼は囚人として、ローマに連れて行かれるとは、考えもしなかったかも知れません。けれども、彼の希望はかなえられたのです。
私が学生の時の教会でいつも謙遜に、献身的に主のみわざに仕えるイムイサク牧者がいましたが、当時、彼は職場を持っている牧者としては一番年上でした。3人の子どもたちが小学生だったし、小学校の教師だったので宣教師になれないと思われました。でも、彼は若い宣教師たちを送り出す時、自分もいつか宣教師になりたいと言っていました。ところが、去年、彼は旧ソ連のキルギスタンに宣教師として派遣されました。もう定年退職した年ですが、宣教師になったのです。希望はかなえられました。私たちも、このような希望を持って生きることができるように祈ります。夢と希望はかなえられるものです。特に、イエス・キリストにあって待ち望む希望は神様がかなえさせてくださいます。
25-29節ではパウロがエルサレムによってローマに行く計画を言っています。パウロはエルサレムの貧しい人々のために、パウロ自身が設立した様々な教会からの献金を伝えるために、エルサレムに行くのです。ここで、パウロはこの献金が自発的なものであること、また異邦人の聖徒たちは、エルサレム教会から霊的なことにおいて負債を負っていることを思いこしています。異邦人の使徒とであるパウロ自身もエルサレム教会から派遣されていました。ですから、パウロから救いの福音を受けた異邦人たちは究極的にパウロを派遣したエルサレム教会に負債を負っているので物質的な献金を通しても負債を返さなければならないと言っているのです。「恩返し」ということばがありますが、恵みを受けるとその恵みを裏切るようなことがないようにしなければなりません。親に足しても、恩師に対しても、助けてくれた友たち、牧者たちに対しても、恩返しのできる者として生きるべきです。何よりも、神様から受けた恵みに対して恩返しが100%できなくても、諦めることなく、感謝する生活はとても大切なことです。私たちは12弟子たちから始まった世界宣教、パウロから始まった異邦人宣教のために、福音を受けて救われました。救いの福音が私に伝えられるまでは数え切れない主のしもべたちがキリスト・イエスの仕え人として祭司の務めを忠実に果たしてきたからです。どうか、私たちもその恵みを覚えて、まだ福音を知らない人々に恩返しすることができるように祈ります。

三番目はパウロの祈りです(30-33)
30-33節でパウロはローマの聖徒たちに祈りをお願いしています。その祈りの課題はユダヤにいる不信仰な人々から救い出されること、またエルサレムに対する自分の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなることです。そして、その結果として、ローマに宣教師として行くことです。このように祈りを頼んだパウロは、ローマ聖徒たちのために祝福の祈りをします。「どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。」祈るを頼むこと、祈ることとは、自分たちの働きが神様の恵みによってのみ成し遂げられるということを認めることです。

私たちは多くの方たちの祈りによって支えられています。パウロが祈っていたように、私たちのために祈っている方たちが数多くいるのです。その祈りのお蔭で今日もキリスト・イエスの仕え人となって生きる恵みと祝福を受けています。ですから、私たちも多くの方たちのためにとりなしの祈りをして行きましょう。「私は主イエス・キリストのものです。」ということを思い起こしましょう。そうして、この時間、すべてのことを主にゆだねて祈り、自分を神様にささげて、パンとぶどう酒を神様からいただきたいと思います。そのパンとぶどう酒はキリストをあらわすものです。神様は私たちを愛して、ご自分の御子を惜しみなく私たちに与えてくださいました。私たちはその神様の愛に対して感謝をささげ、自分を生きた供え物として、神様にささげましょう。またキリスト・イエスの仕え人として祭司の務めを忠実に果たして行きましょう。特に、この時間、行なわれる聖なる聖餐式を通してキリストのために生きる心を新たにして行くことができるように祈ります。