2013年年越しメッセージ(12月29日)
若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
御言葉:伝道者の書11−12章
要 節:伝道者の書12:1「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。」
2013年の新年修養会を始めたと思ったら、このように年越しのメッセージを聞いています。私たちの教会の最もちびっこのヒョンス君がいつの間にか歩けるようになり、色んなことに興味を示しています。私もいつも大学生だと思っていましたが、最近は物忘れがひどくなり、今年の自分の要節も忘れてしまいました。永久に続くように見える私たちの人生もつかの間に虚しく過ぎ去ります。伝道者の書はこの短い人生をどのように最も楽しく幸せに効果的に生きられるかについて教えています。
伝道者の書の著者は知恵の王ソロモンだと言われていますが、彼は人性のあらゆる喜怒哀楽を経験し、人生の黄昏の時期にこの本を書いたとされます。そこで伝道者の書には、ソロモンの全人生からにじみ出る素晴らしい知恵と告白と教訓が生々しく証されています。とくに、11−12章は本書の結論になりますが、著者は若い人に注目しています。皆様の中で若くない方はおられないでしょう。本文を通して、今年を顧み、私たちの創造者である神様を覚えることに年末の時間を投資できるように祈りたいと思います。
?。人生の投資と決算(11章)
1節をご覧ください。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」
少しもったいないと思うかもしれませんが、パンを水の上に投げると、その見返りが後で現れる、という意味です。すなわち、伝道者は自分にあるパンを積極的に投げる人生を生きるように勧めています。当時ソロモン時代に行っていた海上貿易から考えると、貿易船が長い航海を終えてその利潤を持って帰るまで忍耐心を持って商品を引き続き海に浮かべる、すなわち送り続ける必要がありました(Hitzig、Delitzsch、Mendelssohn、Wildeboer)。パウロ宣教師のように事業を行う方、また将来の夢のために勉強に時間を投資する方、職場での成功のために働いている方たちはそういった忍耐心が必要だと思います。
一方、ここで「投げよ」という表現は、「見返りを期待せず、善を施す」という意味があるそうです。伝道者は1−10章までで「自然、知恵、人生などの虚無」について話した後、私たちが人生をどのように生きるべきかについて語っており、残りの人生の間、他人のために善良な事を行うことを促しているとも解釈できます。使徒パウロも、私たちが失望せず、積極的に善を行うように勧めています。そうすれば、必ず刈り取ることになります(ガラテヤ6:9)。
有名なタイタニックという映画がありますね。船が沈没する際にジョンハーパー(John Harper)という牧師も一緒に溺れ死にました。当時、船が沈み始めたとき、ハーパー牧師はデッキに残っている人達に、彼らがイエス・キリストを信頼するよう一人ひとり駆け寄り懇願しました。ある人は牧師に、「黙れ」と叫びました。最後に、ハーパー牧師は、海の中で自分の救命具をまだ救われていなかった若い人に渡し、「あなたには、私以上にこれが必要です」と言いました。ハーパー牧師は溺れ死にましたが、彼の救命具をもらったその人は助かりました。その後、その人が生き延びて、4年ぶりに救われた証をしたことがありますが、「私はジョンハーパー牧師によって最後に救われた人です」と言ったそうです。時が良くても悪くてもどんな時でもしっかりとみことばを宣べ伝えるべきです(?テモテ4:2)。
またポールレーダー(Paul Rader)牧師が一人の銀行員に福音を伝えたのですが、全く受け入れなかったそうです。そこで、諦めていたのですが、ある日、急に聖霊の声が聞こえて、早く彼に行って伝道するように言われたそうです。そして、急に汽車に乗ってその銀行に立ち入ったら、その銀行員が嬉しく迎えて、「レーダー牧師先生、『ちょっと来てください』と電報を打つために書いておきましたが、とても申し訳なくて送らなかったのですが、どのような用件で来られましたか」と答えたそうです。そこで、レーダー牧師は「あなたは電報を打たなかったのですが、神様が行ってみなさいと言われて来ました」と回答しました。しかし、その話の途中で、急にその銀行員が息苦しくなり、「ぜいぜい」と言いながら、レーダー牧師の懐の中で死んだそうです。結局、その銀行員は最後の瞬間に救われたのです。
私たちが年末自分だけではなく、周りを顧み、物質的にも精神的にも乏しい人たちを助けることに私たちの時間を投資しましょう。そうすると、年末の虚無感に陥らず、新年に向かって新しく出発する意欲がわいてくると思います。
2節をご覧ください。「あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。」
この御言葉は、直接的には、悪いことが起こったときに備えて保険に加入しなさいという意味があります。銀行に行くと、資産運営のリスクを減らすためのポートフォリオマネジャーがおり、預金と国債、株式などに分散して投資することでリスクを減らす働きをしています。イエス様のたとえ(ルカ16:1−8)の中にも、不正な管理人が抜けめなく、主人の債務者に対して、債権書の額を半分に下げることで恩を売ったことがあります。イエス様はこのたとえを通して、私たちがこの世の富で友を作るように勧めています(ルカ16:9)。
3−6節をご覧ください。「雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。/風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。/あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。/朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」
イスラエルのパルレスティン地方では、風が吹いて来る方向によって雨が降るかどうかが決まります。 普通、西風や北西風または南西風が吹いてくると、雨が降るそうです(?列18:44,45;ヨブ37:9)。そのため、風の動きによって天気を予測しますが、こうした外部の自然界の環境のせいにして全く働かない怠け者の問題について指摘しています。雲や風のような自然界の動きや、母親の体内で子供の成長について私たちは分かりませんが、そうだとしても、手をこまぬいては何の変化も起きません。外部の環境を言い訳にして、何もしない人はいつまでたっても何もできません。今、自分に与えられている時間と能力を使って最善を尽くす必要があります。普通の農夫は朝だけに種を蒔きますが、神様を信じる人は、自分に与えられた能力の種を、朝も夜も休まずに一生懸命に蒔きます。
私は偉大な人たちには、ほかの人と異なる姿勢があると思います。ほかと違った能力もあるかもしれませんが、特別に生き方の姿勢が違うと思いました。メジャーリーグにおいて10年連続年間200本安打の記録を達成したヤンキーズのイチロー選手も、小学校3年生から中学校3年生まで、正月の2日を除く363日間、名古屋のバッティングセンターで、毎日平均250球を打ち続けた練習狂として知られていますが、40歳になり、あまり試合に出られなくなった彼の姿勢に驚きました。ヤンキーズのバッティングコーチのケビン・ロング氏は、「イチロー選手ほど準備にこだわる選手は見たことがないと言います。まるで宗教儀式を見ているようだと。毎日1分の狂いもなく6時15分にバッティングボックスに来て、同じ回数だけバッティングをするイチロー選手はここまで来ると精密機械のようだ」と評しました。イチロー選手は、「試合の本番にあまり興味を示さない。本番は準備の確認作業に過ぎないのだから、本番よりも、準備に多くの情熱を注ぎます。」と言ったことがあります。つまり、成功する人生のためには、本番の前に準備が求められます。私たちも新年をしっかりと準備して臨むことができるように祈ります。
7−8節をご覧ください。「光は快い。太陽を見ることは目のために良い。/人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい。」
ここで、太陽は生命を象徴しています。言い換えれば、私たちの人生を意味すると言えます。その意味で、伝道者は、今あるものを楽しみなさいと奨励しているのです。しかし、いずれ人生を決算する「闇の日」が来ることも忘れてはいけません。
9−10節をご覧ください。「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。/だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。若さも、青春も、むなしいからだ。」
引き続き、伝道者は、若い人たちは若さを楽しむように言っています。ここでの若さは、40代までを意味すると言っている方もいます。そのように解釈すると、ここの一部の方を除いてみんな若い方ですね。もちろん、50代以上の方たちも歳は若くないとしても、心は若いと思います。私たちの教会のすべての方は心の面ではみんな若いと思いますが、若い日の間は私たちの心を楽しませる必要があります。毎日を喜びの中で生きても、私たちの人生は長くありません。いつも悲しんだり、心配したりしながら、暗い人生を過ごすことはもったいないです。しかし、その楽しみは、神様を知らない人々のようになってはいけません。「しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。」
この御言葉のように、必ず神様の裁きがあることを認めて、神様の中で与えられた夢とビジョンを持って喜び、楽しむことです。私たちに与えられた力と能力を使えない時が来ます。医者先生たちも50代になると、手が震えて、オペ(手術)ができなくなるそうです。いくらすごい能力を授かったとしても、若いうちにその能力を発揮しないと発揮できなくなる時が来ます。
?。あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ(12章)
1節をご一緒に読んでみましょう。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。」」
伝道者の書もいよいよクライマックスに来ました。「空の空。すべては空。」(伝道書1:2)という言葉で始まった伝道者の書ですが、この世の中のどんなものをもってしても、この虚しさ(空虚感)をどうすることもできません。それが、すべてのことを経験した伝道者自身の人生経験の結果でした。けれども、彼は単に人生の空しさを言いたかったのではありません。神なき人生の空しさを言ったのです。
伝道者は、若い人に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」と語りかけます。神を知るのに早すぎることはありません。私たちを造り、私たちの人生に目的をもっておられる神様を覚えて生きることは何と幸せなことでしょう。彼が提示した最終的な結論はこうです。
13−14節を一緒に読んでみましょう。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。/ 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」
私たちにとって何ができるとか、何を知っているとか、何を持っているとかと言うことにまさって大切なことは神を神とし、この方に従うことなのです。それは、そのことによってこの世における祝福が伴うことを知るからではなく、私たちが人間である以上大切にすべきことなのです。
若ければ若いほど、早ければ早いほど創造者を覚えることは重要なことです。なぜ、若い日に創造主神様を覚えるべきかについて、ある牧師先生は二人の例を紹介したことがあります。一人目は、「荒城の月」の作曲者として有名な瀧(たき)廉太郎(れんたろう)氏(1879−1903年)であり、彼は敬虔なクリスチャンホームに生まれました。16歳で東京音楽学校に入学を許され、彼の創作三曲が文部省の音楽教科書に採用されました。20歳(1900年10月7日)に洗礼を受けてクリスチャンになったそうです。彼はドイツに留学し、天才的作曲家として将来を嘱望されましたが、肺結核にかかり、23歳でこの世を去りました。非常に残念ですが、彼の早死にしたことを考えると、若いとき、神様を信じることはとても大切です。
二人目は、最近NHK大河ドラマ「八重の桜」にも出ましたが、津田塾大学の創立者津田(つだ)梅子(うめこ)氏(1864 – 1929年)は、日本最初の留学生として、明治4年(1871年)に岩倉欧米視察団一行とともに咸臨丸でアメリカに渡りました。日本を出る時は6歳でした。ワシントンのランマン夫妻の許から、小学校に通い9歳でバプテスマを受けました。その時、牧師は、彼女が幼いので幼児洗礼の形で行うと言ったら、本人は、成人のバプテスマを求めたので、その信仰を確かめて見ると、ずっと年上の子よりも確かであったということです。その信仰によって神の栄光が現われたのです。
自分の創造主である神様を知るのは、早ければ早いほど良いことが分かります。そうすれば自分の高ぶりや貪欲に支配されないで、有意義な一生を神様に捧げることができるでしょう。もちろん、年老いてからでも遅くはありませんが、若いとき自分に与えられた神様の使命と能力を悟ることはとても掛け替えのないことだと思います。
私たちがイエス・キリストを通して創造主である目に見えない父なる神様に結びついたその日から、永遠の命の人生が始まったのです。使徒パウロは、「外なる人は衰えても、内なる人は日々に新しくされる」と言いました(?コリ 4:16)。使徒パウロの生き方のように、私たちも、2014年も、命に躍動して永遠の若い人となって生き通していけるように祈ります。
私はまだ40代半ばですが、物忘れがひどくなっています。今年を顧みると、自分の1年の要節が何かが思い出されなくなりました。その話をエステル宣教師に言ったら、「ひどいね。最初から、あなたの要節はどんな意味でつかんだかよく分からなかったよ。」と言ってくれました。その時、これからは「エステルと同じ要節にしたほうが忘れず良いかも」と答えて、二人で大笑いにしたことがあります。私は今年をスタートする時、パウロのように生きたいと思い、使徒19:21b「そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。」にしました。使徒パウロは年を取っても、その情熱は冷えず、ますます強くなりました。私はパウロのような情熱を学び、もっと高い目標のためにチャレンジすることを祈りましたが、今年の1年を顧みると、ネイティブの外国人学生たちをはじめ、東大の学生たちの前で英語講義を行うようになったこと、今までBRICSのブラジル、インド、中国、南アフリカは訪問しましたが、今年最後にロシアの訪問ができて、2冊目の英語の本を完成できたことを考えると、神様が今年の要節通りに導いてくださったことを悟りました。
今年1年間の東京UBFを顧みると、神様の多くの祝福がありました。xx姉妹、xx子姉妹、xx姉妹、xx兄弟の洗礼式がありました。また、二人の牧者が新たに立てられました。またサムエル君とサラちゃんが大学に入り、大学生たちのヨハネチームが形成されました。さらに、Siegmund宣教師が信仰結婚をし、張パウロ宣教師は新しく会社を設立されました。ここのすべての方々にも大きな恵みが与えられたと思います。私たちが1年を顧み、1年間神様の導きに感謝し、また2014年も私たちの創造者神様を覚えてスタートすることができるように祈ります。