2015年使徒の働き第7講 

主イエスよ。私の霊をお受けください

御言葉:使徒の働き6:8−7:60
要 節:使徒の働き7:59,60 「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」

  先月、シグモンド宣教師夫婦に男の子が生まれました。その名は「ステパノ」です。それはステパノのようになってほしいという親の願いが込められていることでしょう。あるいは「ステパノ」がシグモンド宣教師の「ロールモデル」になっているかも知れません。
 「ロールモデル」とは、自分にとって、具体的な行動や考え方の模範となる人物のことです。もちろん、すべてのクリスチャンにとっての「ロールモデル」はイエス・キリストです。イエス様のようになりたい、イエス様のように考え、イエス様のように判断し、イエス様のように行動したいという願いがあります。でも、イエス様は私たちの救い主、神様です。私たち人間が神様になることはできません。そういうわけで私たちにはイエス様よりはレベルが低いけれども同じ人間として真似できるようなモデルが必要だと思います。
今日、学ぶ聖書の御言葉には皆様に確信を持って勧めることができる人生の「ロールモデル」ステパノのことが記されてあります。ステパノは使徒ではありませんでした。使徒パウロのように能力ある人でもなかったと思われます。彼は牧師でもなく、一般の信徒だったのです。では、どのような点で2,000年前のステパノを今なお多くの人々が人生のロールモデルにするほどに素晴らしい人だったでしょうか。シグモンド宣教師が自分の子どもの名前にしたほどに尊敬しているステパノはどのような人だったでしょうか。また、彼が伝えた最後のメッセージにはどういうことが記されているでしょうか。この時間、ステパノの信仰とメッセージを学ぶことができるように祈ります。

?.人生の「ロールモデル」ステパノの生き方とメッセージ(6:8-7:53)
8節をご覧ください。「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。」とります。ステパノは恵みと力とに満ちていました。3節と5節を見ると「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人」、「信仰と聖霊とに満ちた人」でした。一言で言えば、ステパノは聖霊に満たされた人でした。聖霊に満たされるなら、その自然の結果として神様の知恵に満たされ、また信仰にも満たされ、なお恵みと力にも満たされます。聖霊は知恵と黙示の霊であり、信仰の霊であり、恵みの霊であり、また力の霊だからです。聖霊に満たされたステパノは人々の間で、素晴らしい不思議なわざとしるしを行なっていました。彼にどんな事が起こりましたか。
9節をご覧ください。「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。」とあります。リベルテンとは「自由」を表わすラテン語です。調べてみると、この会堂はローマの奴隷から解放され、自由にされた人々がエルサレムに来て建てました。それで、ユダヤ人のディアスポラが自由に出入りするようになっていたそうです。彼らにとって評判の良いステパノが素晴らしい不思議なわざとしるしを行なっていることが妬ましくなったでしょうか。彼らはステパノに議論をふっかけました。でもステパノに勝つことはできませんでした。彼らは見事に負けてしまいました。
すると、彼らは、ある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせました。また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行きました。そして、偽りの証人たちを立てて二つのことでステパノを告訴しました。一つは、モーセの律法を汚しているということです。もう一つは、聖なる所、神殿を汚していると事です。当然ながら偽りの証人である彼らの言うことは嘘です。扇動された民衆と長老たちと律法学者たちに襲われ、ひっぱられて行ったステパノにはなんの力もありません。特に、自分には何の罪もないステパノにとってはとても腹立つことです。自分の行動が誤解され、不当な扱いを受ける時ほど腹立たしいこともないでしょう。
私は一晩だけでしたが拘置所で尋問を受けることがあります。夜自転車のライトに点灯しなかったことで逮捕され、拘置所にひっぱられて行きました。その時、当時の軍事政権に対する怒りや恨み、憤りは言葉で表せないほどでした。私だけではなく、不当に逮捕された人々の顔はこみ上げる怒りのため真っ青になっていました。人間的に考えると、ステパノもそういう腹立たしい状況に置かれました。しかし、ステパノの顔はどうでしたか。
15節をご覧ください。「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」とあります。リビングバイブルによると「彼の顔は、天使のように輝いていました。」と訳されています。彼の顔から神様の栄光が輝き出ていたの、天使のように見えたことでしょう。普通なら、彼の顔は腹立たしく、怒りや復讐心に燃えていたことでしょう。しかし、聖霊の力に満たされたステパノは違っていたのです。どうしてでしょうか。それは彼のたましいが主とともに歩んでいたからでしょう。人は誰と住んでいるか、何を考えているかによって顔色が変わると思います。「男は、40歳過ぎたら、自分の顔に責任を持て」という言葉があります(アブラハム ・リンカン)。ステパノは聖霊とともに歩み、霊的な考えをしていたのです。だから、彼の顔は天使のように輝いていたのです。顔は生まれ持ったものであり、自然に変えられるものではありません。でも、顔の表情には内側にあるものが現われるものです。大祭司はそのステパノの顔を見たでしょうか。ステパノに訴えの内容が「そのとおりか。」と尋ねました。大祭司はステパノの顔から輝き出る神様の栄光に恐れたかも知れません。彼はステパノに弁論の機会を与えました。そこで、ステパノは彼らが問題にしている律法と神殿に関するメッセージを伝えました。

第一にモーセの律法についてのステパノのメッセージ(7:2-43)
7章2節を見るとステパノは「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。」とやさしくメッセージを始めています。それから彼らがよく知っているはずのイスラエルの歴史を紹介しています。つまり、ステパノはメッセージを聞いている聴衆をよく把握して彼らが尊敬している彼らの先祖アブラハムから始め、旧約聖書を要約して伝えます。
2-16節までは創世記の要約です。神様がご自分の民を救うためにアブラハムとヤコブ、ヨセフを召され、導かれたことです。アブラハムの孫に当たるヤコブの時に十二人の族長が生まれました。その兄弟の中でヨセフは兄たちから妬まれてエジプトに売られていきました。しかし、神様は彼とともにおられ、あらゆる患難から彼を救い出しました。彼に恵みと知恵をお与えになり、彼をエジプトと王の家全体を治める総理大臣に任じました。そしてエジプトとカナンとの全地にききんが起こった時は、ヨセフをいのちを救うみわざに貴く用いられました。
17-43節は出エジプト記から申命記までの要約です。神様がご自分の民をエジプトから救い出すためにモーセを用いられた話です。エジプトではヨセフのことを知らない別の王がエジプトの王位につくときまで続きました。この王はイスラエル人を苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。このようなときに、モーセが生まれたのですが、神様はモーセを選ばれました。彼をパロの娘の子として40年間指導者としての教育を受けさせました。その後、40年間は荒野訓練を通して謙遜と忍耐を指導者として育て上げました。そうして、80歳になったとき、神様はモーセを呼ばれ、イスラエル人の指導者また解放者としてエジプトに遣わされました。そこで、モーセはイスラエル人を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。何よりも神様はモーセに律法を授かり、イスラエル人に与えるようになさいました。その中でモーセは神様から言われた通りに、神様がイスラエルの中に自分のような預言者、キリストをお立てになることも預言しました。ところが、イスラエル人はモーセの言葉に従うことを好みませんでした。かえって彼を退け、神様に逆らって偶像崇拝の罪を犯しました。ユダヤ人は、絶えず、反逆と不従順を繰り返して来ました。モーセの時代には、金の子牛を造って反逆しました。アモスの時代には、モロクと星の神々に従いました(アモス5:27)。それゆえ、神様は、彼らをバビロンのかなたへ移されました。イスラエルは偶像崇拝の歴史をたどり、ついに、バビロンに、奴隷として捕らえ移されてしまったのです。つまり、ステパノは「あなたがたは律法、律法と叫んでいますが、あなたがたこそ律法を守っていません」と訴えました。続いて、聖なるところ、神殿についても証します。

第二に、神殿についての弁論したステパノのメッセージ(44-53)
44-53節は主にヨシュア記、サムエル記第二から歴代誌第二までの歴史書、エゼキエル書からマラキ書までの預言書に関する内容です。ここで、ステパノは幕屋及び神殿について語り、彼らの罪を責めて結論づけます。神殿はイスラエル人が荒野生活をしていた時に神様がモーセに言われた通りに造ったあかしの幕屋でした。このあかしの幕屋は天にあるあかしの幕屋の模型でした。実物は変わりませんが模型はいつでも変わります。このあかしの幕屋はカナンの地を征服する時に、ヨシュアが運び入れ、ついにダビデの時代となりました。そして、ダビデの子ソロモンは神殿を建てました。しかし、この神殿は、人が手で造った家なので根本的に限界があります。神様はそこにはお住みになりません。神様は天地を創造された方で、天は神様の王座、地は神様の足の足台です。なのに、ユダヤ人は、全宇宙におられる全人類の神様を、エルサレムだけに住んでおられるユダヤ人の神様にしてしまいました。だから、彼らこそ、聖なる神殿を汚していたのです。
結局、彼らがステパノを告訴した二つの点は彼らの先祖から始め、彼ら自身がこわし、けがしていたのです。彼らはステパノのメッセージを聞いてそれがよく分かったはずです。すると、悔い改めるべきでした。ところが、彼らは悔い改めませんでした。人は自分の罪を自ら悟ると涙ながら悔い改めますが、それが他人から指摘されるとなかなか悔い改めません。他人から指摘されても謙遜に悔い改めができる人は霊的にも人格的にも成長して行きます。ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々は悔い改めませんでした。そんな彼らに対してステパノは何と言いましたか。
51-53節をご覧ください。「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」とあります。ステパノは怒りと悲しみを込めて彼らの罪を責めました。ユダヤ人は預言者達を迫害し、神様が立てられた指導者達を捨てて来ました。同じく彼らは神の御子であるイエス様を十字架につけて殺しました。そのような罪を犯させたのは、ユダヤ人の高慢と不従順です。ですから、彼らはステパノのメッセージに答えて悔い改めるべきでした。それなのに彼らは悔い改めるどころか、ますますステパノに向かって歯ぎしりします。

?.ステパノの殉教(7:54-60)
54節をご覧ください。ステパノが律法について、神殿についてメッセージを伝え、結論として彼らの罪を責めると、人々は、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしました。メッセージを聞いて心が刺された時は、素直に悔い改めると罪の赦しの恵みを受けます。しかし悔い改めなければ、自分のはらわたが煮え返る思いで苦しむようになります。その心はもっと頑なになります。あのユダヤ人がそうでした。では、その時、ステパノは何を見ましたか。
55、56節をご覧ください。ステパノは聖霊に満たされて天を見つめ、神の栄光と、復活され神の右に立っておられるイエス様を見ました。そして、こう言いました。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」ステパノはよみがえられたイエス様を見て感激しました。ここで、私たちは問題が起こった時に激しい怒りにゆがんでいる人々ではなく、天を見つめ、イエス様を見る必要があることを学ぶことができます。
私たちが高慢な人、かたくなな人を見ていると怒りっぽくなります。時には腹立たしくて我慢できなくなります。しかし、そのような時にも天を仰ぎ見、イエス様を考えると、どうなりますか。心が静まり、平安になります。祈る心に聖霊が注がれ、聖霊に満たされるようになります。ステパノがそうでした。しかし、ユダヤ人達はステパノのことばを聞いて神様をけがしていると思いました。それで大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到しました。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺しました。ステパノを殺したのは、盲目的で、自制心を失った、爆発的な怒りでした。証人たちは、自分達の着物をサウロという青年の足元に置きました。この人は後に有名な使徒パウロになった人です。こうして彼らがステパノに石を投げ付けている時、ステパノは両手を広げて待っておられる主イエス・キリストを見ました。その時、ステパノはなんと祈りましたか。
59,60節をご一緒に読んでみましょう。「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」ステパノは主を呼んで、こう言いました。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」ステパノは自分の霊を主に委ねました。そして、ひざまずいて、大声でこう叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りにつきました。この祈りは「父よ。彼らをお赦しください。」と祈られた十字架のイエス様の祈りと同じです。つまり、彼はイエス様の御姿にまで変えられていました。彼はどうやってここまでに成長したでしょうか。それは彼がイエス様の十字架の愛を知り、イエス様のようになろうとしていたからでしょう。イエス様の十字架の愛は敵でさえ赦す愛です。それはほんとうに難しいです。「敵が嘘を言っても、悪口を言っても我慢しなさい。」と言われるならある程度守ることができます。でも、敵を愛することはほんとうに難しいです。だから諦めるべきでしょうか。いいえ。ステパノはイエス様を人生のロールモデルにし、イエス様のようになろうとしていたと思います。私たちがイエス様のようになろうと思う時、希望を持つ時に、少しでも変えられて行きます。ステパノのように殺される時にも、イエス様と同じ祈りができるほどに成長して行くのです。
結局、ステパノは殉教しましたが、彼の殉教によってエルサレム教会に大きな迫害が起こります。しかし、彼の殉教は世界宣教の火種となりました。激しい迫害のために人々はユダヤとサマリヤに散らされますが、それによって福音が全世界に広がるようになりました。特に、ステパノの死を目撃したサウルがパウロに変えられてから福音は力強く全世界に広がるようになります。その広がりは来週から学びます。
今の時代にもキリスト教に対する迫害があります。今月15日イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」はリビアで拘束したエジプトのキリスト教の一派であるコプト教の信者21人を殺害したことを公開しました。その前、日本人クリスチャン後藤さんが殺害されました。この日本ではそれほどの迫害はありません。でも、私たちが直面する困難があります。時には自分を捨てなければならない現実にぶつかります。重い自分の十字架のために心細くなる時もあります。時には自分の善意が誤解され、偽りの証言によって自分の立場が不利になり、曖昧な苦難を受ける時もあるでしょう。どうやってそういう現実を乗り越えて行くことができるでしょうか。
その答えの一つはステパノように生きることだと思います。ステパノのように生きるなら勝利の人生を送ることができます。ステパノは知恵と力、恵みと聖霊に満ちていました。だから、迫害が激しい時代に生きていても大胆にキリストを証することができました。聖霊に満たされて知恵と力、恵みに満ちたメッセージを伝えることができました。そして、イエス・キリストの愛と殉教の信仰によって自分を殺す人々をも赦す祈りをささげることができました。その祈りは答えられて迫害者サウルが偉大な使徒パウロに変わるようになりました。

私たちがステパノをロールモデルにしてステパノように祈り、ステパノのような信仰を持つことによって神様の栄光が輝き出る器となることができますように祈ります。やがて、人生の最期にはステパノように、イエス様と同じ祈りができるほどに成長して行きますように祈ります。