2015年使徒の働き第11講(by 李ヨシュア)

初めてキリスト者と呼ばれるようになった弟子たち

御言葉:使徒の働き11:19〜12:25
要 節:使徒の働き11:26 「彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」

今日学ぶみことばには、アンテオケ教会の誕生の様子が描き出されています。エルサレムから地の果てまでの宣教の歩みの中で、後に異邦人宣教の重要な拠点となる教会です。弟子たちは、そのアンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになります。この異邦人宣教は、ステパノが殉教した出来事がきっかけでした。その日から、激しい迫害の嵐がエルサレムの教会を襲い、使徒以外の者たちはみな、ユダヤとサマリヤへと散らされたのです(8:1)。しかし彼らは、タンポポのようにその飛ばされた所で、神のことばを宣べ伝えながら、巡り歩きました(8:4)。それによって、神のことばは広く異邦人の世界にまで及んでいくようになったわけです。それは人間の考えと理解を超えた神のご計画と聖霊の働きがあったからこそ、成し遂げられたものでした。そして、「・・・エルサレム、ユダヤとサマリヤ全土、および地の果てにまで、私の証人となります」(1:8)とのみことばが、こうした迫害によっても実現されたのです。

さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、どこまでも進んで行ったのでしょうか。11章19節に挙げられている地名の「フェニキヤ、キプロス、アンテオケ」は、すべて異邦の地を指します。その中の「アンテオケ」は、当時、ローマ、アレクサンドリヤに次ぐローマ帝国の第三の都市として栄えた、人口50万人ほどの国際都市でした。「東方の女王」「麗しいアンテオケ」「大いなるアンテオケ」などと賞賛されるほど、様々な文化や宗教がごった返す大都市でした。またシルクロードの出発点としても知られる貿易の都市でもありました。彼らはそこに何をするために行ったのでしょう。アメリカン・ドリームのような夢を抱いて、億万長者になりたくてでしょうか。いいえ、彼らはただ激しい迫害から逃れるためだったのでした。

そこで彼らは、誰にみことばを語ったでしょうか。それは異邦人でしょう!と思ったら違いました。19節後半部には、「ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった」とあります。というのも、最初はどこに行ってもユダヤ人だけを福音の対象とし、イエス様が命じた「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ28:19)という使命からは、非常に遠かったわけなのです。ところが、その中にいた何人かのキプロスとクレネ出身の弟子たちが、ギリシヤ人にも、主イエスのことを宣べ伝えました(20)。これは今までの宣教のやり方と全く違う新しい挑戦でした。享楽的な罪の町アンテオケで、それも福音とは全く無縁な生き方をしている異邦人に、主イエスの福音を宣べ伝えたのです。その結果は、「大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(21b)です。それは何故でしょうか?彼らがとても上手に伝道したのでしょうか。あるいは様々な工夫がなされたのでしょうか。それとも誰かが優れた才能を発揮したのでしょうか。勿論、主は人を用いて福音を拡大させられます。ところが、根本的に人を主に立ち返らせるのは、神の力のみです。21節に書いてあるように、「主の御手が彼らとともにあった」からなのです。このようにして、異邦の地で初めて、アンテオケ教会が誕生したわけです。異邦人伝道の始まりは異邦人から始まったということに、神様の不思議なわざを感じられます。
私が清州にあるUBF教会に足を踏み入れた大学3年生の頃は、同じ年の友が2人いました。当時、教会のみなは、世界宣教に燃えていました。「聖書と靴一足だけあれば、世界のどこまでも・・・」、というビジョンに満ちていました。最初は3人共に鶏を捌く職業で、アメリカへ渡って行こうとしました。しかし、ビザが得られなかったこともあって、一人はリトアニアへ、一人はドイツへ、そして私は日本へ、と散らされて行きました。その他の先輩や後輩もほとんど、安定的な仕事を辞めて、アメリカを初め、中国、チリ、マレーシア、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、イタリアなどに散らされ、今も現地の人々に主イエスのことを宣べ伝えています。この日本UBF教会も、まだ開拓教会みたいな小さいものですが、主の御手がともにあってLAやPNG、タイに宣教師を派遣してきました。宣教において一番大切のものは、「イエスは主である」というただ一つのメッセージです。時が良くても悪くても、結果が見えても見えなくても、福音を語り続けることです。そこに主の御手がともにあり、主が私たちの人生やこの教会を大いに祝福してくださるのです。

11章22〜24節をご覧ください。「大ぜいの人が信じて主に立ち返った」という知らせを聞いた、エルサレム教会は、バルナバをアンテオケに派遣しました。バルナバはキプロス生まれのレビ人で、「慰めの子」と呼ばれる立派な人物で(4:36)、さらに聖霊と信仰に満ちた人でした(24a)。なぜ、彼はアンテオケ教会に派遣されたのでしょうか。23節をご覧ください。「彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を固く保って、常に主にとどまっているようにと励ました」とあります。それは、「一人一人に、どんな犠牲をはらっても、絶対に主から離れないようにと忠告し、励ます」(L・B11:23)ためでした。彼がそこに着いて目の当たりにした光景は、神の恵みが彼らに満ちている様子でした。主イエスのことを信じ、多くの異邦人が救われた教会には、神の恵みが満ちていたのです。バルナバが彼らに励ましたことばは、一言で言えば、「主にとどまっている」ことでした。

なぜ、「主にとどまっている」ことが、それだけ大切なのでしょうか。イエス様はこう言われます。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。・・・」(ヨハ15:4)と。具体的に言えば、主のみことばにとどまること、主の愛にとどまることです。ルカの福音書8章には、「種を蒔く人のたとえ」が記されています。その中に、岩の上に落ちた種のたとえがあります。「岩の上に落ちるとは、・・・聞いたときには喜んでみことばを受け入れますが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまう」(ルカ8:13)人のことです。アンテオケ教会の人々の信仰は、まさにそういう状態になりかねない懸念がありました。ですから、バルナバはそういうことを見通して、彼らが常に主にとどまっているように、と励ましたのではないでしょうか。「千里の道も一歩から」と言うように、地の果てにまで福音が広がっていくためには、何よりもまず主のことばにしっかりと根を下ろすことが大切です。神様の導きによる「Doing」の前に、しっかりと「Being」に徹することこそが、成長の秘訣だったわけです。これによって、アンテオケ教会では、更に大ぜいの人が主に導かれました。こうして、アンテオケ教会の成長と共に、この集いは周囲の異邦人社会からも注目を浴びる存在となっていったわけです。

25節をご覧ください。バルナバは、タルソに滞在していたサウロを捜しに出かけて行きました。なぜ、バルナバはサウロを捜しにわざわざタルソへまで行ったのでしょうか。26節からその理由を知ることができます。それは、異邦人の宣教において、サウロが最適任者だったからです。サウロと言えば、主イエスから異邦人宣教に選ばれた器です(9:15)。また、彼は律法にも精通しており、ギリシヤ語もローマ語も話せる者でした。何より彼は、ダマスコへ行く途上で主イエスに出会って、生まれ変わったはっきりとした信仰の体験をした者でもありました。だから、バルナバは、このようなサウロをタルソからアンテオケに連れて来たわけです。では、彼ら二人は、そこで、何をしたのでしょうか。

26節をご覧ください。「彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあります。バルナバとサウロはきっと、聖書の学びに一番心血を注いだはずです。そして毎朝聖書を黙想し、祈る訓練や教育にも力を入れていたに違いありません。もしかして、異邦人宣教に必要な語学をも教えていたのかもしれません。しかも、彼らは「まる一年の間」、集中的に教え続けたというのです。「継続は力なり」ということばがあります。彼ら二人はどんな事情があっても、弛まず挫けずに主イエスのことを教え続けたのです。その結果、どうなりましたか。26節の後半部です。「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあります。「キリスト者」と訳されていることばは、「クリスチャン」ということばの語源となったもので、「キリストに属する者たち」という意味です。ここで大切なのは、彼らを指してキリスト者と呼んだのは、クリスチャンではない周囲の人々であったという事実です。人々は主イエスを信じる者たちの姿を見て、「あれはキリストに属する者たちだ」と呼んだわけなのです。当時は、この呼び方は軽蔑や嫌悪の感情もこもったことばでした。しかし、ことばの響きがどうであれ、これは異邦人の弟子たちがキリストのことばに根づき始めたことを物語っています。

27〜30節には、異邦人教会がユダヤ人教会に対して、救援をする美しい出来事が記されています。後に、使徒パウロはこのことを、「聖徒たちをささえる交わりの恵み」(?コリ8:4)と述べています。これからは、その美談についてお話します。預言者の一人アガポという人がエルサレムからアンテオケに来て、「世界中に大飢饉が起こる」と預言しました。当時教会で預言者は、使徒に次ぐ教師として認められていました。預言者の役割は、主のことばを語ることや、人の徳を高めること、そして勧めをなし、慰めを与えることでした(?コリ14:3)。彼の預言は的中して、クラウデオの治世(AD41-54)に起こりました。その大飢饉はパレスチナ地方、特にエルサレム一帯が最も酷かったと伝えられています。エルサレム教会の人々は、きっと生活に非常に困窮していたはずです。アンテオケ教会は、「ユダヤに住んでいる兄弟たち」が大飢饉で困窮していることを知り、さっそく「それぞれの力に応じて」救援物資を送ることに決めました。そしてそれを実行して、バルナバとサウロの手によって、エルサレム教会の長老たちに送ったのです。今年で、東日本大震災から4年の年月が過ぎました。死者・行方不明者だけで約1万8千人を超え、原発の事故もあって今現在も約23万もの人が避難生活を余儀なくされているそうです。前代未聞の大被害を受けた被災地の人々を助けようと、世界から救援金や物資が送られました。私たちの教会も、それぞれの力に応じて、精一杯の献金をして寄付しました。被災地の人々が一日も速く元の生活に戻れますように祈ります。これからも皆様の力に応じてささげた献金を、助けが必要なところに良く支援できますように祈ります。

12章に入りますと、エルサレム教会に対するヘロデ王の迫害から始まります。1〜5節をご覧ください。ヘロデ王 は、教会の中のある人々を苦しめようとして、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺しました。このヤコブは、主が「・・・わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします」(マル10:39)と預言した者です。その預言通りに、彼はヘロデの剣によって殉教の杯を飲んだのです。それがユダヤ人の気に入ったことを見たヘロデは、「2匹目のドジョウを狙っ」て、今度は教会のトップリーダーであるペテロを捕らえて牢に入れました。そしてその牢を十重二十重(とえはたえ)に取り囲み、十六人の兵士たちによって監視させました。それは、過ぎ越しの祭りの後に、ペテロを民の前に引き出して殺そうと考えていたからです。そのような最大の危機に瀕していた時、教会は彼のために何をしましたか。あらゆる手段を講じようと、みんなが東奔西走していたのでしょうか。いいえ、そうではありません。教会は心を一つにして、「主よ!ペテロをお守りください。彼を牢から救い出してください」と、熱心に祈り続けていたのです(12:5)。教会(クリスチャン)にとって、最大の武器は祈りです。クリスチャンに求められる祈りについて、聖書の一節をご紹介いたします。エペソ6章18節です。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

私の家庭は、毎晩三人で心を合わせて祈っています。現在私の会社では、不渡りの話も出始めており、また給料の大幅カットのうえ、毎月給料がでるかどうかという話もあります。私は会社のことでストレスを受け、心と魂が潰れそうになったりもしました。さらに、大きな試練が私の家庭を襲い掛かってきました。去年12月に突然Jrヨシュアが家から出られなくなり、救急車で病院に搬送されたとの衝撃的な知らせを受けました。晴天の霹靂とも言うべき大パニックでした。私は瞬間、これはサタンの仕業であることを感じ、家族みんなで祈ることを提案しました。こういう訳で祈り会が始まったのですが、今までとは違う切実さがありました。また、教会の信徒のためにも毎日切に祈りました。しかし、大学と専門学校の不合格やそれによってビザ申請ができなくなった知らせを聞いた時には、非常に残念で、自分のことのように涙が出そうになり、心を痛めました。しかし、ここにも私たちが知らない神様の大きな御旨があることを信じます。私たちは「苦しい時の神頼み」ではなく、常に主にとどまっていながら絶えず祈りましょう。そして教会の皆様の祈りの課題を共有し、互いに祈り合って行きましょう。

エルサレム教会のみなが心を一つにして祈った時に、どのように応えられましたか。6〜17節の箇所です。神様は御使いをペテロのいる牢に遣わしました。御使いはペテロに、「急いで立ち上がりなさい」と言いました。これは、「タリタクム」と言われた復活のイエス様の御声です。すると、彼の手から鎖が落ちました。復活の御声を聞くと、足かせも鎖もペテロを縛っておくことはできませんでした。ペテロは御使いの助けによって、ついに、牢から外に出されたのでした。そして彼は我に返って、「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ」(11)と言いました。その後も、自分のために、祈っていた兄弟姉妹たちの前に現われ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせました(17)。反面、エルサレム教会を迫害したヘロデ王は、どうなりましたか。彼は「神に栄光を返さなかった」ため、主の使いに打たれて死んでしまいました(12:23)。まさか!虫に噛まれて息が絶えたとは、驚きです。このように神様のお裁きは厳しいものです。

結論として、主のことばは、どのように広がって行きましたか。この国にもこのようなリバイバルが起こるようにと願いながら、12章24節をお読みしたいと思います。「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」 ハレルヤ♬♪アーメン。