2016年ルカの福音書第5講
主を待ち望んでいる人々
御言葉:ルカ2:21-52
要 節:ルカ2:25
1. 割礼を施す日となり、幼子がイエスという名で呼ばれることになった理由は何ですか(21)。両親は何のために、イエス様をエルサレムに連れて行きましたか(22-24)。イエス様がユダヤ教の律法に従われたことにはどんな意味があるのでしょうか(創17:12,出13:2)。
2. シメオンはどんな人ですか(25)。「イスラエルの慰められることを待ち望む」とは、何を意味しているのでしょうか。なぜ、彼はキリストを待ち望んでいたのでしょうか。主を待ち望む人はどんな人生を生きているでしょう(26)。
3. 聖霊はシメオンを誰に導きましたか(27)。なぜ、シメオンは神様をほめたたえましたか(28-30)。彼が見た主の御救いはどんなものでしょうか(31-32)。けれどもマリヤはどんな苦しみを受けることになりますか。その理由は何でしょうか(33-35)
4. アンナはどのような人ですか(36-37)。その時、彼女は誰に「この幼子のこと」を語りましたか(38)。「エルサレムの贖いを待ち望んでいる」とは、何を意味しているのですか。
5. 幼子イエス様が「主の律法による定めをすべて果たした」のにはどんな意味がありますか(39-40)。毎年過越しの祭りにエルサレムに行ったことにはどんな意味がありますか(41-42)。
6. イエス様は宮で何をしておられましたか(43-47)。それにはどんな意味がありますか(48-49)。ところが両親の反応はどうでしたか(50)。イエス様はどのように成長して行きましたか(51-52)。