2025年マタイの福音書第6講(♪149)

 

心の貧しい者は幸いです

 

御言葉/マタイの福音書5:1‐16

要  節/マタイの福音書5:3

 

  1. イエス様は山に登られ、そこで何をされましたか(1,2)。3‐10節の中には、どのようなことばが繰り返し強調されていますか。聖書でいう「幸い(blessed)」とは、どのような意味があるのでしょうか(参照/詩144:15)。

 

  1. 「幸いな人」で、最初に来る人は、どのような者ですか(3a)。「心の貧しい」とは、どんな状態のことだと思いますか(NIV5:3)。その人たちは何を所有することができますか(3b)。第二に、なぜ「悲しむ者」は幸いなのでしょうか(4;詩34:18)。

 

  1. 第三に、「柔和な者」には、どんなことが約束されていますか(5)。また第四は、どんな者が幸いですか(6a)。ここで言う「義」とは何でしょうか。その人たちはどのようになりますか(6b)。

 

  1. 第五に、「あわれみ深い」とは、どのような心を表しますか(7)。第六は、どんな心を持つ者が幸いですか(8a)。その人たちは何を見ることができますか(8b)。第七に、「神のこどもと呼ばれる」人たちは、何をつくる者ですか(9)。

 

  1. 最後の第八で、なぜ「義のために迫害されている者」が幸いなのでしょうか(10)。主のために迫害されているとき、弟子たちはそれをどのように思うべきでしょうか(11,12;Ⅰペテ4:12-14)。

 

  1. イエス様は弟子たちを、何に例えておられますか(13a,14a)。弟子たちにとって「塩気」とは、どのようなものであり、それを無くさないためにはどうすれば良いのでしょうか。また、「あなたがたは世の光です」とは、何を意味することなのでしょうか(14-16)。なぜ「山の上にある町は隠れることができない」のでしょうか(14b;詩50:1,2)。