2025年弟子修養会第1講
夢見るヨセフ
御言葉:創世記37:1-36
要 節:創世記37:9
「再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、『また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました。』」
日本の女性シンガー岡本孝子さんの代表作に、「夢をあきらめないで」という曲があります。夢を持って巣立っていく人々に向けて、はなむけのことばを歌にして歌っています。たとえ目の前に壁が立ちふさがり、計り知れない苦難を受けたとしても、「あなたの夢をあきらめないで」と力づけています。「負けないように、悔やまないように、あなたらしく輝いている」ためです。娘は、医者になりたいという夢をかなえるために、難関国立大学の医学部に合格しました。今、試験と実習で忙しい生活をしています。夢をかなえるために、あきらめずに努力することも必要ですが、神様からの約束を信じ、神様の導きに信頼して、神様と共に歩むことも大切なことだと思います。
今日この時間は、「夢見るヨセフ」について、学んでいきたいと思います。ヨセフが17歳の時、神様はヨセフに夢を見せてくださいました。そしてヨセフが30歳になるまでの13年間、多くの試練の中で、神様はヨセフと共にいてくださいました。この神様と共に歩む生活をしながら、大きな試練の中でも、ヨセフは決してあきらめませんでした。いつも神様と共に歩む生活をしました。神様ご自身もまた、ひと時もヨセフから離れて行こうとはされず、いつもヨセフと共にいてくださいました。そして、ヨセフが指導者の器になるように助け、導いてくださいました。この神様は、必ず夢を実現させてくださる方です。この時間ヨセフに夢を通して語られた神様が、聖書の御言葉を通して、私たちにも語りかけてくださいますように祈ります。更に進んで、夢がかなうまで、望みを抱き続けたヨセフの信仰、ヨセフの生き方を学ぶことができるように祈ります。
Ⅰ.夢見るヨセフ(1-11)
1節をご覧ください。ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいました。カナンは神様がアブラハムとその子孫に、「相続の地」として与えられた約束の地です。その時、ヨセフは17歳でした。彼は、兄たちとともに羊の群れを飼っていました。まだ、手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいました。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げました(2)。ヨセフはまっすぐな性格だったようです。しかし感情のまま、自分で解決しようとはせずに、ヤコブにゆだねました。
イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していました。ヨセフは愛する妻ラケルの子でした(30:22-24)。ヨセフが年より子だったからでした。それで彼はヨセフに、あや織の長服を作ってやりました(3)。それを見た兄たちはおもしろくありませんでした。「どうしてお父さんは、ヨセフばかりかわいがるのか。」不満に思いました。それで怒りの矛先をヨセフに向けました。兄たちは、ヨセフを憎み、穏やかに話すことができませんでした(4)。ある日の夜、ヨセフは夢を見ました。そしてその夢の話を兄たちに告げました。すると兄たちは、ますますヨセフを憎み、穏やかに話すことができませんでした(5)。では、ヨセフが見た夢は何だったのでしょうか。6,7節をご覧ください。
「私が見たこの夢について聞いてください。見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」すると兄たちは彼に言いました。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」兄たちは、夢やヨセフのことばのことで、ますますヨセフを憎むようになりました(8)。
再びヨセフは別の夢を見ました。もう一度、9節の御言葉を皆さんと一緒に読んでみたいと思います。「再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、『また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました。』」ヨセフの夢の話を聞いたヤコブは叱って言いました。「いったい何なのだ。おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」兄たちはヨセフをねたみましたが、ヤコブはこのことを心にとどめていました(11)。
本文に出て来る二つの夢は、神様が夢を通して、少年ヨセフに示されたものです。この夢は、13年後に実現します。ヨセフが三十歳の時に、エジプトの王ファラオに仕えるようになります(41:46)。その時、ファラオはヨセフに言いました。「さあ、私はおまえにエジプトを支配させよう。」(41:41)。ヨセフの時代、聖書はありませんでした。ただ、親から子、子から孫へと、神様の御言葉が伝承されていました。その後、聖書の御言葉はモーセによって記録されました(モーセ五書)。複雑な家庭環境の中、神様は少年ヨセフに注目されました。そして、夢を通してご自分の御旨を示されました。この夢は想像をはるかに超えたスケールの大きなものでした。この夢を実現させるために、神様はヨセフを導かれました。
Ⅱ.ヨセフを訓練される神様(12-36)
12節をご覧ください。「その後、兄たちは、シェケムで父の群れを世話するために出かけて行った。」イスラエルはヨセフに言いました。「おまえの兄さんたちは、シェケムで群れの世話をしている。さあ、兄さんたちのところに使いに行ってもらいたい。」(13a)。するとヨセフは答えました。「はい、参ります。」ヨセフの心に少しの迷いもありませんでした。兄さんたちとの関係はあまりよくないように思いますが、ヨセフは即答しました。彼はシェケムに行って、兄さんたちの無事と羊たちの無事を確認して、父イスラエルに知らせることになりました(14)。ヨセフはヘブロンの谷を出発し、シェケムに行きました。ところが、ヨセフは兄たちに出会うことができませんでした。携帯もGPSもない時代に、ヨセフは兄さんたちがどこにいるのか分からずに、野をさまよっていました。血眼になって必死に探していました。すると一人の人が彼を見かけて声をかけてきました。「何を捜しているのですか。」(15)。ヨセフは答えました。「兄たちを捜しています。どこで群れの世話をしているか、どうか教えてください。」(16)。すると、その人は言いました。「ここからは、もう行ってしまいました。私は、あの人たちが『さあ、ドタンの方に行こう』と言っているのを聞きました。」ドタンはシェケムから20km北上したところにありました。徒歩で一日を要しました。やっとここまで来たのに、どうしようか(バスもないし、ヒッチハイクもできない)。しかし、ヨセフは少しもためらいませんでした。すぐにヨセフは兄たちの後を追って行きました。そしてついにドタンで兄たちを見つけました(17)。自分たちを捜しに来た弟の姿を見ると、普通は弟を温かく迎えると思います。ところが、兄たちの反応は違いました。信じられない行動をしました。
18-20節をご覧ください。兄さんたちは遠くからヨセフが近づいてくるのに気が付きました。すると殺意が芽生えました。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、狂暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」兄たちの憎しみ、妬み、怒りは殺人に変わりました。感情的な怒りは判別力を鈍くさせます。たとえ愛する家族、血を分けた兄弟であっても、一人のいのちを奪う罪を犯してしまいます。それだけではありません。兄たちはヨセフを殺すことで、神様のご計画を妨害し、中断させようとしました。また、ヨセフを溺愛する父ヤコブの気持ちを考えようともしませんでした。ところが、神様はルベンを通して、ヨセフの命を守ってくださいます。「あの子を打ち殺すのはやめよう。」(21)。「彼の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」ルベンはヨセフを救い出して、父のもとに帰そうとしました(22)。
兄たちはヨセフの長服、彼が着ていたあや織の長服をはぎ取り、彼を捕らえて、穴の中に投げ込みました。その穴はからで、中には水がありませんでした(23,24)。兄たちは座って食事をしました。その時、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来て、エジプトに下って行くところでした。 するとユダが兄弟たちに言いました。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼のいうことを聞き入れました。そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかりました。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売りました。イシュマエル人はヨセフをエジプトに連れて行きました(26-28)。兄たちは憎しみのあまり、ヨセフを奴隷として売りました。ところが神様はそれを通して、むしろご自分の御業を成し遂げようとされました。ヨセフのいのちを守り、エジプトの地へ導いてくださいました(36)。
29-35節をご覧ください。ルベンは自分の計画通りに行かなかったことによって、ひどい悲しみに陥りました。自分がしばらく席を離したすきに、穴の中にいるヨセフの姿がなかったからです。彼は自分の心を引き裂いて、悲しみました。ほかの兄弟たちはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸しました。そしてヨセフが悪い獣に襲われたように偽装しました。その衣を見たヤコブはひどい悲しみを受けました。ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しみました。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」愛する子を失ったヤコブの悲しみを誰も癒すことができませんでした。
兄たちによって、エジプトに売られていったヨセフの人生は、その後、どうなったのでしょうか。詩篇には、次のように記されています。「主は一人の人を彼らに先駆けて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。ヨセフの足は苦しみのかせをはめられその首は鉄のかせにいれられた。彼のことばがそのとおりになるときまで『主』のことばは錬った。王は使いを送ってヨセフを解放した。諸国の民の支配者はそうして彼を自由にした。主人である王はヨセフに自分の家を任せ自分の全財産を治める者とした」(詩篇155:17-21)。
ヨセフはヤコブの愛情をいっぱい受けていました。心が純粋で素直に神様の御言葉を受け入れていました。また、父ヤコブに対しても、忠実で、そつなく言いつけを守っていました。神様はこのようなヨセフを喜ばれました。ご自分の御業に尊く用いようとされました。ところが、ヨセフに欠けたことがありました。それは他人を思いやる心だったと思います。ヨセフは素直に自分が見た夢を父や兄たちに語りました。しかしその話を聞かされる兄たちのことは考えていなかったように思えます。これから先、ヨセフがエジプトの指導者として立てられた時、世界中のあらゆる民たち、人々を受け入れる広い内面が求められるでしょう。神様は、ヨセフが神様に用いられる器になるように訓練をされました。その訓練は決して平たんなものはなかったでしょう。それでも、どんな時にも神様がおられることを確信させました。また、ヨセフが見た夢が必ず実現することを信じて、確信するようになりました。何より、ヨセフは、神様の摂理を信じるようになりました。
今、この時間も、神様は御言葉を通して、ご自分の御旨を示されます。私たちに夢をお与えになります。その夢が実現するまで、私たちと共にいてくださり、導いてくださいます。神様の導きを信じて、夢を固くつかむなら、どんな試練や逆境の中でも、それを乗り越える力が与えられます。
神様は、私が17歳の時、韓国の留学時代に、UBFに導いてくださいました。聖書勉強の中で「信仰の先祖になること」と「日本が聖なる国民、王である祭司になる」望みを示してくださいました。それで、名前をアブラハムとつけてくださいました。ところが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。私は人見知りが強いことで、知らない人に声をかけることができませんでした。まして、聖書の御言葉を伝えることは論外でした。いつまでも夢のままで、終わらせました。しかし神様は、25年間のヘルパーの仕事を通して、一歩夢に進むように導いてくださいました。話すことは無理でも、聞くことに専念することにしました。導かれた学生たちを受け入れ、静かに祈るようにされました。先頭に立って、御業を引っ張って行くことより、正しく御業が成し遂げられるように、その環境を備えるようにと方向をつかみました。時になると、神様は、私をメッセンジャーとして立ててくださいました。職場は忙しく、なかなか自分の時間を取ることができませんでしたが、神様は限られた時間の中でも祈り、御言葉を備えるように助けてくださいました。
御言葉を用意する中で、世界中の人々が聖書の御言葉によって、救いを受ける奇跡を望むようになりました。今、英語ができませんが、東京センターには、さまざまな国籍を持った方が集まってきますが、ここにいるすべての人々が恵みを受け、救いを受けるように期待するようになりました。何より、神様は必ず夢を実現してくださる方であることを確信するようになりました。
ここで、一つ大事なことは、神様の約束を信じて受け入れることです。神様の約束を信じる時、神様は非常に喜ばれ、義と認めてくださいます。また、神様の御言葉を信じ続けるなら、神様は約束された通り、その御業を成し遂げてくださいます。どんなことがあっても、その望みを離さないことが大切なことだと思います。 神様は、悪に思えることも、善に変えてくださる方です。また、神様の摂理の中で、ご自分の御旨を成し遂げてくださる方です。
ここにいる皆さん一人一人が、この時間、神様の御言葉を通して、夢を抱くことができるように祈ります。また、その夢が実現されるまで、神様を仰ぎ見て、神様と共に歩む人生を再出発することができるように祈ります。
この後、牧者宣誓式が予定されています。今日この日を迎えるために、ご両親は献身的に仕え、多くの愛情を注いで来たことでしょう。また、マンツーマン牧者をはじめ、周りにいる方々が祈り、仕え、支えたことによって、今この時間があると思います。何よりも奥様の切なる祈りは大きなものだと思います。神様は、大きな望みの中で、方向となる聖書の御言葉をくださいました。この御言葉を固くつかみ、今この時間から再出発する時間となりますようにお祈りします。
もう一度、9節の御言葉を読んで終わりたいと思います。