2007年 07月 26日 (木)
ほかのすべての国民を
「私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、」(20)
Ⅰ.不信者たちをうらやしいと思ったイスラエル(1-8)
イスラエルは、サムエルが年おいて彼の息子たちが堕落したのを見て、サムエルのところに行き、自分たちにもほかのすべての国民のように王を立てて欲しい、と要求しました。民たちが王を求めるのは、実はサムエルが年老いて息子たちが堕落したからではなく、神様を信じることができず、目に見える人に頼っていたからです。彼らは異邦人が強いのは王がいるからだと考え、王を要求しました(5)。イスラエルは神様の民でありながら、神様を誇ることより、むしろ不信者たちをうらやましいと思いました。しかしこれは結局神様を捨てて、神様のしもべを捨てる悪い行ないでした(7)。不信者たちの不安な内面を見ることができずに、それらしい内面を見ることは愚かなことです。
Ⅱ.王をくださった神様(9-21)
神様は、民たちの問題を知っておられましたが、王の制度を許してくださいました。しかし王の制度は民たちにとって大きな負担となり、新しい束縛になります(11-17)。王に払う代価はあまりにも大きなものです。それでも民たちの目には、その制度の束縛は見えず、華やかな姿だけ見えました。人がある世俗的な願いをすると、その背後には束縛や苦しみが見えず、うわべの良いことだけが見えます。神様は人格的な方です。民たちが最後まで神様の御声を聞かなくなると、一時的に世のものを許してくださいました。それは、彼らが自ら自分たちの罪を悟り悔い改めるまで待たれるからです。
祈り:主よ!私が世の世俗的な外側だけを見て、彼らをうらやましいと思った罪を悔い改めます。主が私の王となって治めてください。
一言:神様が最も良い
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