2007年 08月 06日 (月)
心をご覧になる神様
Ⅰ.主の御言葉の通りに行なったサムエル(1-5)
サウルのことでサムエルは深い悲しみに陥りました。しかし神様はサムエルに救いの御業のために新しい人を立てることを命じ、エッサイの息子たちの中から王を立てるように言われました。サムエルが現在の王であるサウルを差し置いて、新しい王を立てることは大変危険なことでした。サウルが聞けば、殺そうとするからでした(2)。しかしサムエルは人を恐れることより、神様の御言葉に聞き従いました。
Ⅱ.心をご覧になる神様(6-13)
エッサイの家に行き、その息子たちに会った時、サムエルは長子エリアブが気に入りました。しかし神様は言われます。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(7)。うわべを見るなら、断然サウルです(9:2)。しかしその心がねじれ曲がった時、神様は彼を用いることができませんでした。反面ダビデはエッサイの末の子であり、羊を飼う牧童として、人々の目に留まりませんでした。彼は背も高くなく、うわべも指導者としての品位が備わっていない幼い少年でした(12)。しかし神様は、ダビデが心から神様を愛し、神様の御旨に従って生きようとする彼の心をご覧になりました。私たちはいつもうわべで判断します。しかし神様は心をご覧になる方です。私たちも神様のように心を見ることができる人にならなければなりません。また私自身が心の中心のある人にならなくてはいけません。
祈り:主よ!私のうわべではなく、私の心をご覧になり感謝します。私が他のことはできなくても、心を主に向けますので、私を用いてください。
一言:心をささげます。
2007年 08月 07日 (火)
神様がともにおられるダビデ
Ⅰ.悪霊によっておびえるサウル(14-17)
神様はサウルのために彼の不従順を悔い改めるチャンスを何度も与えられました。しかし彼は罪を合理化するだけで、悔い改めませんでした。神様はサウルと共におられることを願われましたが、サウルは神様を捨てました。神様はこのようなサウルとこれ以上一緒にいることができませんでした。ついに神様の霊が彼から離れ、代わりに悪い霊が彼をおびえさせました。すると悪霊によっておびえるようになりました。彼は王位に着いていましたが、内面には自由と平安がありませんでした(16)。
Ⅱ.神様が共におられるダビデ(18-23)
悪霊につかれ、おびえているサウルのために、臣下たちはダビデを推薦しました。彼らはサウルに、ダビデが琴の名手であり、神様が共におられるので、彼が琴を弾けば、悪霊におびえる王の助けとなると、紹介しました。そこで、ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えました。サウルはダビデを非常に愛し、琴を弾く者だけではなく、道具もちとしました。ダビデは、サウルが悪霊におびえるたびに琴を弾きました。するとサウルは元気を回復し、良くなり、悪い霊は彼から離れて行きました(23)。ダビデのように神様が共におられる人は、王位に着いていなくても、心に平和があり、幸いな人生を生きるようになります。それだけではなく、どんなに扱いづらい人も、担うことができ、おびえる人の心までも、元気づけることができます。
祈り:主よ!私から主の霊が離れていけば、みじめな者になるしかありません。神様がいつも私と共におられ、他の人を元気づける人になるように助けてください。
一言:人を元気づける人
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