2000年ローマ人への手紙第7講

 

あなたがた自信とその手足を

義の器として神にささげなさい

 

御言葉:ローマ人への手紙6:1?23

要 節:ローマ人への手紙6:13

 

?.神に対しては生きた者(1-11)

1.5:20節によって、どんな無理な主張が起こりうるのですか(1)。しかし救いを

  受けた者はなぜこれ以上罪の中に生きてはいけないのですか(2)。「罪に対し

  て死んだ」とはどんな意味ですか。

2.(昔の)私たちは、どのようにして罪に対して死に、葬られたのですか(3,4a)。

  キリストの死にあずかるバプテスマを受けたとはどんな意味ですか。

3.(神様によって)私たちの古い人がキリストとともに葬られたのは何のためで

  すか(4b,5)。「新しい歩みをする」とはどんな意味ですか。

4.私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは何のためですか

  (6)。どのようにすればこのようなことが可能になりますか(7)。ここで、救わ

  れた者がこれ以上罪の中にとどまることができない理由は何だと思いますか。

5.私たちがキリストとともに死んだのであれば、また彼とともに生きることを

  信じることができる根拠は何ですか(8,9)。キリストの死と生は何に対するも

  のですか(10)。このようにクリスチャンたちは自分に対してどのように思わ

  なければなりませんか(11)。「神に対しては・・・生きた者」とはどれだけ大

  きな変化ですか。

 

?.義の器として神にささげなさい(12-23)

それで神様に対して生きた者は罪に対してどのようにしなければなりませんか(12a)。このためには何に従ってはいけませんか(12b)。「死ぬべきからだ」、「その情欲」とは何ですか。

以前、私たちは自分の体を何にささげましたか(13a)。しかし今は私たちの体を誰に、何の器としてささげなければなりませんか(13b)(ロマ12:1)。(からだを)義の器としてささげるとはどんな意味ですか。体を義の器として神様にささげる者にはどんな約束がありますか(14)。

私たちが恵みの下にあるからといってなぜ罪を犯してはいけませんか(15,16a)。罪の奴隷と従順の奴隷はそれぞれどうなりますか(16b)。

私たちはもともと誰の奴隷でしたか。今は誰の奴隷になりましたか(17,18)。私たちはなぜ必ず手足を義の奴隷としてささげなければなりませんか(19)。罪の奴隷だった時の実と、義の奴隷になった後の実はどのように違いますか(20-23)。なぜ死を「罪から来る報酬」と言い、永遠のいのちを「神のくださる報酬」と言いますか。