2007年弟子修養会 主題講義第1講
メッセージ:寺崎アブラハム
2007年弟子修養会 第1講

あなたがたは力を受けます

御言葉:使徒の働き1:1?26
要 節:使徒の働き1:8
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 使徒の働きは、著者ルカが「ルカの福音書」の続編として、使徒たちの業績を書き記したものです。受信者はテオピロですが、一説にはギリシャ語の「セオス」(神)と「フィレイン」(愛する)が組み合わさってできた言葉で、「神様を愛する人々」に宛てて書かれたとされています。ルカは前の書で、イエス様が行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちによって、命じてから、天に上げられた日のことにまで及んでいます(1,2)。今日学ぶ1章の御言葉では、イエス様が使徒たちに世界宣教命令をお与えになったことが記されています。では使徒たちがどのようにしてその命令を担うことができるのでしょうか。イエス様は「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と言われました。
 この時間、私たちの上にも約束された聖霊が臨まれ、力を受けることができるように祈ります。

?.わたしの証人となります
 3節をご覧ください。「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」ここで、「苦しみを受けた後」とは、イエス様が十字架につけられたことを指しています。イエスは私たちの罪と咎のために十字架につけられ死なれました。人々から捨てられ、あらゆる嘲笑、蔑視を受けられました。しかし三日目に死者の中からよみがえられました。四十日の間、弟子たちの前に現らわれて、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示されました。イエス様は、恐れおののいていた弟子たちに現らわれ、平安をお与えになりました。疑い深いトマスのために現らわれ、釘の跡や、槍に刺されたわきを見せてくださいました。そして「幽霊ではないか」と思っていた弟子たちの目の前で、イエス様は焼き魚を食べて、ご自分がよみがえられたことを示されました。イエス様の復活を通して、使徒たちは罪と咎の赦しを確信することができます。更に進んで、罪と死の勢力から解放され、神様の子どもに変えられたことが確信できるのです。
 また、イエス様は使徒たちに「神の国」のことを語られました。「神の国」とは何でしょうか。イエス様はピラトに尋問された時、「わたしの国はこの世のものではありません。」と言われました(ヨハ18:36)。すなわちイエス様に属する国です。イエス様の十字架と死によって建てられた永遠の御国を指しています。ところが日本人の中では、別の意味にとらえる人もいます。
 もし「神の国」を「天皇が統治する国」と誤解すると心の中には恐れや不安、反発が生じます。しかし、本当の「神の国」は、心の中に聖書の神様をお迎えし、神様の統治を受けることにあります。その時、私たちの心の中に平安が訪れます。すると神様はその人を「神様の国の働き人」として召してくださいます。

 4,5節をご覧ください。イエス様は使徒たちと一緒にいる時、命じられました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊を受けるからです。」使徒たちにとって、エルサレムは敗北の町であり、挫折の町でした。イエス様が十字架の上で死なれたことによって、使徒たちの夢はもろくも崩れ去りました。心に大きな傷だけが残りました。「一日も早くエルサレムから離れたい」と思ったに違いありません。ところがイエス様はそのような使徒たちに言われました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」もう間もなく、使徒たちが聖霊を受けるからです。
 たとえ今、エルサレムが敗北の町、挫折の町であっても、聖霊を受けると、成功の町、希望の町に変わります。罪の赦しを得させる悔い改めがエルサレムから始まって、あらゆる国の人々に宣べ伝えられるようになります(ルカ24:46,47)。エルサレムから救いの御業が始まります。

 そこで、使徒たちは、いっしょに集まった時、イエス様に尋ねました。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興(回復)してくださるのですか。」(6)。使徒たちの関心はイスラエルの再興にありました。それでイエス様が「神の国」について話された時も、イスラエルの再興と関連させて聞いていました。今イスラエルはローマの支配を受けていました。神の選民イスラエルが異邦人のローマに支配されることは、弟子たちにとって耐え難い屈辱でした。それでイエス様がよみがえった今、「イスラエルがローマから解放され、再興される願いが実現される時が来た」と思いました。ところがイエス様は言われました。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」(7)。イスラエルの再興は神様の主権に属しているので、神様にゆだねるように、言われました。そして使徒たちが優先して何をすべきか、を教えてくださいました。

もう一度、8節の御言葉を皆さんと一緒に読みたいと思います。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 
 イエス様は使徒たちに「わたしの証人となります。」と言われました。ここで「わたしの証人となる。」(You will be my witnesses)とは「あなたたちは私の証人となりなさい。」というイエス様の意志が含まれています。そのためにイエス様は弟子たちを選ばれ使徒とされ、訓練されました。そして天と地のすべての権威を持っておられるイエス様が使徒たちが使命を担うことができるようにその全権を委任されました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」(マコ16:15,16)。なぜなら福音を信じるかどうかは、永遠のいのちを受けるのか、永遠のさばきを受けるのかに、関わる重大なことだからです。また、その領域は「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果て」です。ここで、「地の果て」は単なる地理的な意味ではありません。まだ福音が伝わっていない地域も指しています。
 ところが使徒たちはその大部分が田舎者出身で正規の学問を受けたわけではありません。もちろん神学校も出ていません。また世界を旅したことはなく、外国語も話せませんでした。何より選民意識が強く、同じイスラエル人であっても混血のサマリヤ人を無視していました。異邦人たちと会話をすることは問題外でした。このような使徒たちがどのようにして、イエス様の証人になることができるのでしょうか。イエス様は言われました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
 
 こう言ってから、イエス様は彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました(9)。すると弟子たちは天を見つめていました。すると、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていました。そして言いました。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見た時と同じ有様で、またおいでになります。」(11)。イエス様が天に上られ見えなくなったことによって、どうしていいか分からず呆然としていた使徒たちに、天の御使いたちは将来イエス様が再臨されることを告げました。

 12?14節をご覧ください。オリーブ山からエルサレムに戻った使徒たちはマルコの屋根裏部屋に集まりました。120名ほどの兄弟たちが、みな心を合わせ、祈りに専念していました。その時、イスカリオテ・ユダの問題が浮上しました。そこでペテロは詩篇69:25節の御言葉を引用して、ユダの裏切りは聖書の預言に基づくものであることを明らかにしました。そして神様に祈る中で、ユダの代わりにマッテヤを十一人の使徒たちに加えました(15-26)。

さて、イエス様は「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と言われました。では、聖霊を受けた使徒たちはどのような力を受けるようになったのでしょうか。

?.あなたがたは力を受けます
 使徒の働き2章以下には、聖霊を受けた使徒たちがどのような力を受け、どのような働きをしたのかが記されています。それは大きく三つに分けることができます。

 第一に、使徒たちは他国語を話すことができるようになりました。聖霊が使徒たちに臨まれた時、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりのひとりの上にとどまりました。するとみなが聖霊で満たされ、他国のことばで話し出しました。
 第二に、力が与えられました。使徒ペテロは一度に三千人の兄弟たちを悔い改めるメッセージを伝えました。またイエス様の御名によって、病の者を癒し、悪霊を追い出し、死んだ者を生き返らせました。
 第三に、福音で世界を征服できるようになります。使徒ペテロは聖霊の助けによって異邦人を受け入れるようになりました。使徒パウロは当時の異邦人の教会であるアンテオケ教会を開拓し、ローマにまで福音を伝えました。そしてついに世界を支配し、キリスト教を迫害したローマが福音化されます。コンスタンティヌス1世は313年にミラノ勅令でキリスト教を公認し、テオドシウス1世が380年に国教としました。初代教会から始まった聖霊の働きは今日もなお続いています。

 私もこの聖霊の働きを経験しました。皆さんもご存知のように、私が韓国に留学した時全く韓国語を理解することができませんでした。修養会のメッセージを聞いても分かりませんでした。ところが修養会の最後の日に、唯一「エリ、エリ、ラマ、サバクダニ」(マコ15:34)が聞き取れました。すると訳も分からないうちに感動を受け、涙があふれ流れました。本当に不思議な体験をしました。今は通訳なしに自由に意思疎通ができるだけではなく、メッセージも書いて発表できるようになりました。そのタラントを生かして、韓国語の日ごとの糧を日本語に翻訳し出版しています。そしてホームヘルパーの仕事をしながらも、神様の御業に仕えるようになりました。
 しかし時には、疲れて限界にぶつかることもありました。早稲田大学のキャンパスの学生たちに仕えようとすると、世代差を感じるようになりました。同じ国の学生に、聖書の御言葉を教えようとするのに、うまく伝えることができませんでした。話しかけても壁を作る学生たちを見ていると、次第に心身ともに疲れが出てきました。福音を証しすることが負担にさえ思えて来ました。それでも彼らを招くために今年夏修養会の準備に力を入れました。ところが同労者たちの中には、「修養会に仕える時間があったら、少しは家庭を顧みて」と言い出す方も出て来ました。忙しい時間をやりとりして仕えているのに、それを分かってくれない同労者のことで心に深い傷を負っていました。忘れようとしましたが、何度も思い出しては癒された傷が痛み出しました。
 このような中で、神様は弟子修養会第1講のメッセージを準備するように方向をくださいました。しかし実際にメッセージを用意しても、なかなか実感が湧いて着ませんでした。何でもメッセージを書こうとしましたが、文章になりませんでした。今週は体調を崩して風邪をひいてしまいました。喉の痛みによって、なかなか声を出すこともできませんでした。そのような時、神様は御言葉を通して、私を慰めてくださいました。本当に聖霊で満たされる時、疲れが取れ、心の傷が癒されるのを感じました。仕事を終えて家に帰る中、私の心は賛美に満ちていました。もう一度、新たな気持ちを持って、主の御業に仕える心をくださいました。週1回のヨシュアチームの集まりの中で、家族的な雰囲気を作ろうとしています。それで互いに祝福し、祈り合うように方向を出しました。更に進んで、日本語と韓国語を使って会話をする中で、宣教師たちとの距離を少しずつ縮めようとしました。その結果、私の中にもう一度光が見えて来るのを感じました。そしてセンター購入のために祈る時、「早稲田大学の近くで物件を得ることができるように。」と具体的な祈りの課題を持つことができるようになりました。
 私が続けて、聖霊の力を受け、早稲田大学開拓ために祈り、このイエス様を証しする生活ができるように祈ります。今度は、信仰によって英語を征服し、学生たちの心を理解し、ふさわしい御言葉で助ける牧者として成長できるように、祈ります。

 結論的に、もう一度8節の御言葉を読みたいと思います。「しかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」イエス様は私たちに聖霊を送ってくださいました。この聖霊が私たちの上に臨まれるとき、私たちは力を受けるようになります。聖霊に満たされ、走ってもたゆまず、歩いても疲れません(イザ40:31)。
 今年東京UBFの同労者たちが、みな心を合わせ、祈りに専念する中で、聖霊がこの教会に臨まれますように祈ります。2008年には日本UBF本部センターを通して、日本宣教の御業は早稲田大学から始まり、東京大学、自由学院大学、明治学院大学、さらには日本47都道府県の全キャンパスが開拓されます。更に進んでアジア47カ国開拓と、全世界のキャンパスが開拓される御業が起こります。私たちがこのビジョンの中で祈り、イエス・キリストを証しする生活ができるように祈ります。