2013年エズラ記第2講   張パウロ        
                        
礼拝の回復と神殿の再建

御言葉:エズラ記3−4章
要 節:エズラ記 3:11 「そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。」

 先週、私たちは世界的な学者、朴エズラ宣教師によるエズラ記の第1講のメッセージを通し、歴史の主管者である神様について学ぶことができました。神様は聖書の預言を実現するため、ペルシヤのクロス王の心を奮い立たせ、イスラエルの帰還を果たされました。今日の御ことばでは、イスラエルが70年の捕虜生活を終え、約束された地で再び、失われた礼拝を回復し、神殿の再建への第一歩を踏み出す感激のドラマが繰り広げられます。以前、イスラエルは、神様の愛と律法を捨て、異邦の風習を受け入れ、偶像崇拝に走りました。その結果、巨大国によってイスラエルは滅ぼされ、自由もなく希望もない捕虜生活を強いられました。国を失われた捕虜たちが心から求めるものは何でしょうか。それは、国の解放と回復でなくて何でしょうか。でも、イスラエルの民たちにとっては、国の回復以上に重要な意味(問題)があります。それは、彼らが信じている神様が住まわれる神殿を建て直し、いけにえをささげる礼拝を回復することでした。指導者(王)の堕落と神殿礼拝の破綻によりめちゃくちゃになった信仰と神様への愛を取り戻すことでした。神様は、聖なる礼拝と純粋な信仰を失い、堕落したイスラエルの民たちをしばらくの間、捕虜生活という苦難と侮辱の奈落に落とされました。でもいつくしみ深い神様は、時になると選民イスラエルをかわいそうに思い、イスラエルと愛の関係を回復しようとされました。
今日の御言葉を学びながら、失われた民を立ち返らせ、神殿の再建という課題を通して彼らと愛の関係性を回復させようとされる神様の心を知ることができるように祈ります。

?。信仰の再建と神殿の再建への第一歩(3章)
1節をご覧ください。「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。」イスラエルの人々は、ついに心から待っていた祖国、神様の約束の地に帰ることが出来ました。しかし、祖国は、荒れ果てていました。祖父が教えてくれたダビデの栄光もお母さんが聞かせてくれたソロモンの栄華も、見つけることはできませんでした。神殿は徹底的に壊され、残されたものは何もありませんでした。約束の地には、アブラハムもモーセの律法をも知らない、異邦人たちが住み着いていました。彼らは、今尚忌まわしい偶像崇拝をしていました。
彼らは、おそらく唖然として、自分の家に帰ったことでしょう。そこで、静かに神様のことを考えながら、祈ったことでしょう。なぜ、私たちは、異邦人の国によって侮辱を受け、苦難の捕虜生活を余儀なくされたのか。なぜ、先祖がモーセの律法とおり、いけにえをささげていた聖なる神殿が跡形もなく、破壊されたのか。神様の前で心をいためていました。それで、彼らは心から悔い改めの祈りをささげたくなりました。主に叫びたくてたまりませんでした。それで、彼らは、‘じゃ神様に立ち返ろう’、‘礼拝を立て直そう’、‘神殿を再建する前に先ず信仰を改めて主に憐みをもとめよう’と誰もが思い始めました。神殿の再建の前に、礼拝を回復し、信仰の再建をなしどけることが一番大事であるとわかってきたのです。それで、彼らは第七の月が近づくと、いっせいにエルサレムに集まってきました。
2節をご覧下さい。エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築きました
また、3節を見ると、周りの国々を恐れていたので、祭壇を元のところに設けたことがわかります。彼らは、先祖たちが聖書と律法の教えを無視して異邦の国々の風習にしたがったことによって信仰を失った歴史を覚えていました。聖書の教えに背き、勝手に高いところに祭壇を築き、変ないけにえをささげた結果がどれだけ厳しいものなのかを知っていました。アッシリアとバビロンの弾圧、厳しい捕囚生活を経験しながら、神様への礼拝の重要性をしみじみに感じるようになりました。本当に礼拝をささげられる行為がどれだけ大きな祝福なのかを身をもって体験しました。だから、まわりの国々の民を意識して信仰を曲げることはしたくありませんでした。彼らは、徹底的にモーセの律法とおりに、聖書とおりに全焼のいけにえをささげるための祭壇を築いたのです。4節でも、聖書にかかれているとおりに、仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められている数に従って、日々の全焼のいけにえをささげたことがわかります。彼らは、心から神様に立ち返ろうとしました。礼拝の感激を回復し、神様の愛と憐れみを切に求めました。本物の神殿を再建するまえに、目に見えない礼拝を回復しようと本気で立ち上がりました。
私たちの礼拝は、いかがでしょうか。心から神様を待ち望み、主に感謝と尊厳をあらわす礼拝になっているのでしょうか。本当に神様に喜ばれる礼拝になっているのか点検しようではありませんか。礼拝が負担になったり、面倒になった、危険信号です。メッセージを聞くのが退屈で説教が始まるやいなや深い居眠りにおちてしまったら、悔い改めて礼拝を回復すべきです。
5年前に神様は、私たちに想像を超えた形で今の教会堂を購入できるように導いてくださいました。不可能のように見えた教会の購入が、不思議な神様の力と働きによって実現された時にどんなに喜んだでしょうか。日本UBFは、25年前、二人の韓国の田舎出身の若き青年たちによって、板橋本町の4畳半の部屋からはじまりました。教会が壁の薄いアパートだったので、布団をかぶって祈りの声が漏れないように切に祈りました。礼拝の賛美が周りに漏れ、苦情が殺到してきても主に感謝があり、礼拝の感激があったそうです。
今はどうでしょうか。わたしたちの教会堂なので、自由に出入りすることができます。祈りたいのであれば、いつでもきて声をあげて祈ることができます。賛美も自由です。聖書勉強が出来る場所は2階から4階まであります。食堂は、1階、4階と2箇所もあります。この教会堂が、神様が喜ばれる祈りの場所、賛美の場所、聖書勉強の場所として尊く用いられるように祈ります。

8節をご覧ください。
「彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。」
 イスラエルの民たちがエルサレムにある宮のところに着いてから2年が経ちました。長い捕虜生活の傷が治り、礼拝と信仰が回復されつつあったので、神殿再建の雰囲気が熟してきました。ゼルバベルとヨシュアは、レビ人たちをたてて、工事を指揮させました。歴史的な神殿再建は、このように始まりました。彼らは、心もカラダも一致して立ち上がりました。誰ひとり、さぼるひとはなく喜んで神の宮の工事の指揮を手掛けたのです。ついに、建築師が主の神殿の礎を据えました。すると、祭司たちはラッパを手にしました。レビ人たちはシンパルを持ってきて神様を賛美しました。彼らはどんな神様を賛美しましたか。11節をご一緒に読んでみましょう。
『そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。』彼らは、主を賛美して大声で喜び叫びました。「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」彼らは、いつくしみ深い神様を賛美しました。
 神様は、イスラエルを本当に愛し、可愛がっておられます。モーセを用いてイスラエルをエジプトから連れ出されたあと、神様はイスラエルと契約を結ばれました。それで、契約の証として律法を与えてくださいました。彼らが他の神々を仕えてはならず、偶像をつくてはならないと命じられました。しかし、彼らは、すぐ神様に背きました。他の国々の偶像を拝み、神様の教えを簡単に捨ててしましました。でも、神様はいつくしみ深い方です。実に愛に富んでいます。いつくしみ深いと言う意味は、神様の御業や働きのすべてが善であり、正しいという意味をも含んでいると考えられます。神様は、イスラエルが神様への信仰を失い、聖なる民としての資質がなくなった時、しばらくの間、アッシリアやバビロンの手に渡して恥辱と苦難の中に置いたのです。捕囚生活は、心の痛みと労役による苦痛が伴いました。礼拝を自由にささげることができないもどかしい日々は、彼らを一層苦しめました。
捕虜生活は、まるで監獄に入れられた状態に似ています。私は、監獄ではないですが、警察の留置場に入れられたことがあります。短い期間でしたが、自分の意思を自由に表現できないことは、もちろん、すべてを監視され、すべてを見張られます。トイレも壁の上の2/3がないので、便を出すときも監視されます。だから、監獄にいれられた人は、高いお金を払ってでも何とかしてそこから出ようとします。
 神様は、このように捕虜となって苦しむ彼らのうめきを聞かれました。怒るのに遅く、愛で富んでおられる神様は、イスラエルを可愛そうに思い、クロス王の心を奮い立たせて、ふたたみ神様の豊かな恵の世界に取り戻されました。主は、罪をおかして神様を背けば、三代、四代までその怒りを発せられますが、恵みは千代まで施される方です。
イスラエルの人々は、自分たちの大きな罪と過ちを見逃され、豊かな愛により包んでくださる神様の愛に感激して大声で喜んで賛美したのです。私たちがいつくしみ深い神様の愛と恵みの大きさに感謝し、賛美できるように祈ります。
 
?。敵の妨害による宮の工事の中止(4章)
4章1節をご覧ください。神殿の再建が順調に滑り出そうとした時、これを妨害する勢力が現れました。ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰還した人々が主のために神殿を建てているときいてゼルバベルと一族のかしらたちに、自分たちも神殿の建築を手伝わせてほしいといいました。また、彼らもイスラエルと同様にイスラエルの神を求め、いけにえをささげてきたと主張しました。しかし、彼らの主張は嘘でした。列王記?17章をみると、紀元前722年、アッシリアがサマリヤを占領したとき、イスラエルの人々をアッシリアに移住し、異邦人の五つの宗族をサマリヤに移住させました。彼らは、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムの人々でした。彼らは、サマリヤに移住しながらアッシリアの風習と偶像をも一緒にもって入りました。彼らは、人間の常識からも理解できない崇拝をしていました。列王記?17章:30、31節をみると、彼らは自分の子供を焼いていけにえとしてささげていました。非常に忌まわしいしきたりと習慣によりサマリヤ地域の信仰と文化を汚しました。ヨハネの福音書4章をみる、イエス様がガリラヤに行かれる際にサマリヤを通っていきましたが、ユダヤ人は、サマリヤを避けて迂回していきました。それは、このような歴史的な背景があったからです。
ユダとベニヤミンの敵たちは、当然ながらイスラエルの捕囚からの帰還、神殿の再建を受け入れるはずがありませんでした。それで、ゼルバベルと一族のかしらたちに甘い言葉で彼らの心を伺おうとしました。
これに対して、ゼルバベルとヨシュアらは、どのように答えましたか。4章3節を一緒に読んでみましょう。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」イスラエルは、断固して敵たちの要求を断りました。これと同じようにサタンの誘惑も唆す言葉で巧妙についてきますので、きっぱりと断る勇気と決断が必要です。
でも、敵たちは、そう簡単に引き下がろうとはしませんでした。彼らは、神殿を建てさせまいとして、建築に取り組むユダの民の気力を失わせ、脅しました。敵の妨害は、BC536年〜BC520年まで16年間続きました。彼らは、さらに官僚たちを金で買収して、ペルシヤの王に圧力をかける作戦に打って出ました。参事官レフム、書記官シムシャイとその同僚たちはエルサレムを非難する手紙をアルタシャスタ王に書き送りました。6節〜23節は、挿入された内容です。ネへミヤが第3次捕囚からの帰還を果たした後、城壁を建て直す時にサマリヤの人たちが妨害する内容です。21節をご覧ください。結局、敵たちの巧妙な妨害によって、エルサレムにある神の宮の工事は中止されます。この状態が続き、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年までイスラエルは、神殿の建築を再開することはありませんでした。
以上を要約すると、神様の働きによってクロス王が感動し、イスラエルの帰還と歴史的な神殿の礎が据えられる素晴らしい出来事がありました。そして、これを妨害し、イスラエルの喜びとビジョンを奪っていくサタンの仕業もあるということがわかります。
心から決断し、神様の愛と恵みを悟って新しい出発をスタートするときに予期せぬ試練が訪れることがあります。神様に献身しようと誓っても予想しなかったサタンの策略に阻まれることを看過してはいけません。
しかし、ヨハネの手紙第一 5:3、4節の御言葉は、次のように私たちを励ましています。「5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」私たちがこの礼拝の席に座っているのは、主を愛しているからです。主を愛しているからこそ、自ら進んで主の教えを守り、行うことができます。それが決して重荷にはなりません。私たちこそ、世に打ち勝つ信仰者です。
私たちが、2013年は、いやこれからずっと、神様と深い愛の関係性を結び、神様が喜ばれる礼拝をささげることができるように祈ります。