2013年エズラ記第3講

神の宮の完成

御言葉:エズラ記5-6章
要 節:エズラ記6:14 ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。

 先週、私たちは張パウロ宣教師を通して神殿の再建と妨害について学びました。建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、ユダヤ人は主を賛美し、感謝しながら、互いに「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌いあいました。ところが、それを待っていたかのように、神の宮の再建を妨害する人々も現れました。彼らはペルシヤ王にユダヤは反抗的で危険な民族だ、もし彼らの町が再建され、城壁が修復されるなら、税金を納めなくなるし、王に反逆するようになるでしょう。だから、彼らが進めている神殿再建を中止させるべきです。」と言う内容の手紙を送りました(4:11-22)。こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止されました(4:24)。ユダヤ人は意気消沈し、希望を失ってしまいました。しかし、神様は神の宮の完成をあきらめませんでした。神様はイスラエルの民に御目を注がれ、彼らを助けてくださいました。今日の御言葉を通して神の宮の再建を完成させてくださる神様の愛と力の働きを学ぶことができるように祈ります。

?.御目を注いで守ってくださる神様の愛(5章)
5章1節をご覧ください。預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言しました。二人の預言はハガイ書とゼカリヤ書に書いてあります。ハガイは「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。…山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。…(ハガイ1章)」と預言しました。ゼカリヤは御使いが彼に言ったことを持って「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。(4:6)」と伝えました。すると、どんなことが起こりましたか。
 2節をご覧ください。「そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子は立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らと一緒にいて彼らを助けた。」とあります。素晴らしい光景です。御言葉を伝えられると、それに応答して立ち上がる人々がいました。預言の言葉を聞くだけではなく、それを受け入れて行動したのです。御言葉を伝えた預言者たちも、ただ預言しただけではなく、神の宮を建て始める人たちと一緒に工事を手伝いました。
宗教指導者たちの中には良い言葉を語るけれども、自分の手を汚さない人もいます。しかし、ハガイとゼカリヤは主の御言葉を語るだけでなく、自分たちもその御言葉に従って言ったのです。これは私たちが目指す教会の姿でもあります。1:1聖書勉強や主日礼拝のメッセージを通して伝えられる御言葉に従って立ち上がり、御言葉を教えている牧者や宣教師も一緒に実践して行くのです。自分のことで恐縮ですが私は皿洗いやトイレの掃除をしている時に「牧師先生がやるんですか」と言われることもあります。しかし、当たり前のことです。牧師だからこそ聖徒たちと同じことをやって行かなければならないでしょう。そうすることによって初めて神様の御言葉は生きたものとして伝えられて行きます。すると、ノンクリスチャンの反応も変わって来ます。
  3、4節をご覧ください。「そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て、こう言った。「だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。」そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた。」とあります。川向こうの総督タテナイは宮を建てないことを望んでいます。何とかして宮を建てないようにすることがタテナイの使命です。先週、4章で学んだように、ペルシヤの総督たちは根本的にイスラエルの神殿再建を好みませんでした。しかし、彼らの反応は変わっています。彼らがダリヨス王に書き送った手紙の写しは友好的になっています。8節を見ると、イスラエルの神殿を指して「大いなる神の宮」として表現しています。11節ではイスラエルの指導者たちを指して「天と地の神のしもべ」と呼んでいます。また、ユダヤの長老たちの返事もそのままに写しています。「私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。…バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。」と書いています。それから、最後に王のご意見を求めています。
17節をご一緒に読んでみましょう。「ですから今、王さま、もしもよろしければ、あのバビロンにある王の宝物倉を捜させて、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにクロス王からの命令が下されたかどうかをお調べください。そして、このことについての王のご意見を私たちにお伝えください。」タテナイたちは以前のように宮を建てないように誹謗する手紙を送りませんでした。ただ、事実関係を調べて王のご意見を伝えてくださるようにお願いしています。彼らが、どうしてこんなに友好的になったのでしょうか。ユダとエルサレムの住民を非難する告訴状を書いて送ったのに、今回はユダヤ人の意見までもそのまま送ったのです。なかなか理解しがたいことです。ただ、本文の流れから二つのことを発見することができます。その一つはユダヤ人が預言者の伝える御言葉を聞いて神の宮を建て始めたことです。それとともに預言者たちも彼らを助けたことです。
もし、ユダヤ人たちがハガイやゼカリヤの言うことを信じず、神の宮を建て始めようとしなかったら、どうなっていたでしょう。総督タテナイたちはやって来なかったでしょう。当然手紙も送らなかったでしょう。ところが、ユダヤ人は預言者たちが伝える預言の言葉を聞いて立ち上がり、預言者たちも彼らと一緒に協力したのです。まずユダヤ人たちが心を一つにして神の宮を建て始めました。すると、周りの人々も協力的な人に変わって来たのです。神様は、ご自分の民の業績を見て祝福するのではなく、神様のために仕えようとする者を祝福してくださいます。御言葉を聞いて立ち上がる人を祝福し、その目標を達成するように助けてくださいます。始めもしないで「だめだ」と思ったらだめです。しかし、神の宮を建て始めたユダヤ人のように、御言葉を信じて建て始めると神様が助けてくださるのです。多く人々は新年を迎えても年賀状を送ったりもらったりするだけで過ごします。しかし、御言葉を要節にして自分を新しく建て始めようとするなら、神様が助けてくださいます。去年要節シンポジウムの時に、多くの方が神様の助けを経験して告白しました。今年も一月が終わろうとしていますが、何にも始めようとしなければ何も始まりません。しかし、神様を信じて御言葉に頼って新しく決断するなら、神様が助けてくださいます。崩れてしまった祈り生活を新しく建て始めようと強く決意するなら、助けてくださるのです。そういう意味で私はヨシュアチームの宣教師たちに提案します。崩れている土曜日特別早天祈祷会を立て始めることです。どうか、神様が哀れんでくださいますように祈ります。
その二つ目は神様の御目が注がれていたからです。神様がユダヤ人の味方になり、守ってくださったのです。
5節をご一緒に読んでみましょう。「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。」ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので反対者たちは神殿再建を止めさせることはできませんでした。神様はご自分の民に目を注がれ、守ってくださいます。申命記11:12節をみると「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目を留めておられる地である」とあります。
私が4人の子どもたちを育てながら分かったことの一つは母親の目が子どもに注がれていることです。父親である私は気づいていないことでも母親は分かっているし、夜中でも子どもたちの行動に目を留め、ひとりひとりの必要に適格に対処していることに感心させられました。私たちの神様は母親どころではありません。私たちの心の中まで目を留め、守ることのできるお方です。年の初めから終わりまで、つまり絶えず愛と関心を持って私たちの教会と私たちひとりひとりに目を留め、守ってくださいます。今年も私たちの敵である悪魔は私たちが志を持って始めることを妨害するでしょう。神様の御言葉に基づいて出発しましたが悪魔の妨害もあるのです。しかし、神様の御目が注がれていることを忘れてはいけません。神様が守ってくださいます。
昨日、朝、ホセ安宣教師からホンジュラスのカンダビデ宣教師家族が銃で撃たれたというメールが届きました。私はびっくりして祈り、マリヤ宣教師にも知らせました。ところが、神様は彼らを守ってくださいました。午後にメールを開いてみるとエリサベツ宣教師がGrace Lee宣教師に送ったメールが届いていました。それを紹介します。「同労者様の祈りが慰めと力になります。私たちはサンペドロに住んでいながら一日に20名も銃で撃たれ死んでいく悲惨で恐ろしいニュースを耳にしていました。今まで神様が私たちを守っておられたことを悟ります。今日は信号待ち中…降り注ぐ銃弾によって車に穴ができ、ガラスが粉々になりました。でも、神様がご自分の御手で防いでくださいました。ダビデ宣教師と私のいのちを守ってくださいました。子どもたちは驚いて泣きましたが、私たちのいのちの主人が神様であることを学び、家族一緒に手を合わせて祈りました。私たちにいのちが許されるその日まで復活信仰と神の国に対する真の望みを持って二世宣教師たちと羊たちに忠実に仕えることができるように祈ります。ダビデ宣教師は黙示録2:10節「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」と言う今年の要節を3人の姉妹たちと分かち合い、力を合わせて祈ってからを彼女たちと別れたばかりでした。ところが、その要節が実際に働きました。私がいつも「今日が最後だ」と思い、死に至るまで忠実であるように祈ります。皆様のお祈りを感謝します。―ホンジュラスのカンダビデ・エリサベツよりー」 ダビデ宣教師は頭と心臓に打たれましたが深く入り込まなかったのです。医者は今までなかったことで天使が防いでくださったことしか言えないと言ったそうです。本当に、神様がご自分の民を堅く守ってくださるお方です。
パウロは言いました。「…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。…私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか。苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:31〜37)」

?.すべてのことを働かせて益としてくださる神様の力の働き(6章)
6章1、2節をご覧ください。ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、メディヤ州の城の中のアフメタで、一つの巻き物が発見されました。その中に次のように書かれていました。
3〜7までをご一緒に読んでみましょう。クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。大きな石の層は三段。木材の層は一段にする。その費用は王家から支払う。また、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンに運んで来た神の宮の金、銀の器具は返し、エルサレムの神殿に運び、一つ一つもとの所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」「それゆえ、今、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚で川向こうにいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちにこの神の宮をもとの所に建てさせよ。」巻物には、神殿の構造についての詳しい指示、またその予算も記録されていたことが分かります。
さらに、8-12節を見ると、ダリヨス王は神殿再建を続けさせることだけでなく、手伝わなければならないと命じています。その建築に必要なすべてを支援するようにしました。天の神様にささげるいけにえや日常の糧までも支援するように命じました。さらに、ダリヨスの命令をまちがいなく守るように強く命じています。このように、ダリヨス王が書き送ったので、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイとその同僚たちとは、これをまちがいなく行ないました。結局どうなりましたか。 
14、15節をご一緒に読んでみましょう。「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」とあります。ここで、ダリヨス王の治世第6年、アダルの月とは紀元前515年の三月あたりです。そして、ネブカデネザルがエルサレムの神殿を破壊したのは70年と半年前の586年8月頃でした。つまり、エレミヤが預言した七十年の捕囚生活が預言の通りに成就しているのです。神様の預言は本当に確かです
そこで、イスラエル人、すなわち、祭司、レビ人、その他、捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝いました。彼らは神様がクロス王の心を動かし、ダリヨス王を用いて神の宮の完成を成し遂げられた神様の恵みに感動し、感謝したでしょう。異邦人の王までも用いて神の宮を建てて成功するようにしてくださった神様の恵みを感激し、喜んで祝ったはずです。
19節から22節を見ると過越のいけにえをささげました。彼らは捕囚から帰って来たイスラエル人と、イスラエルの神、主を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って彼らに加えったすべての者たちと一緒に過越のいけにえをほふって食べました。そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守りました。彼らは神様に選ばれた民としてアイデンティティを回復していることが分かります。ではどうやって彼らは神の宮の完成ができ、過越の祭りも守れるようになったでしょうか。
結論的に22節をご一緒に読んでみましょう。そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守った。これは、主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。」
神様は異邦人の王の心までも彼らに向かわせてくださいました。イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされました。
ユダヤ人は捕囚の民として自らの力でエルサレムに神の宮を建てることができませんでした。政治的な力も建築資金もありませんでした。エルサレムから遠く離れた所にいました。いざと帰って来て始めた神殿建築は周辺国の妨害によって中断されました。でも、神様が異邦人の王たちを用いて神の宮を完成させてくださいました。つまり、神様はご自分の民を喜ばせるために異邦人の権力者たちも用いられました。ここで、私たちはすべてのことを働かせて益としてくださる神様の力の働きを学ぶことができます。神様は力の働きによって私たちを喜ばせてくださいます。大いなる力によって私たちを守り、助けてくださいます。
 この教会堂を購入する時も、私たちはすべてのことを働かせて益としてくださる神様の力の働きを体験しました。私たちは教会堂建築のために20年近く祈り、建築献金をして来ましたがなかなかできませんでした。それで一時的には都心から離れた所に移すことも考えました。私たちは意気消沈し、あきらめかけていました。ところが、2007年の夏修養会から帰って来ると、この教会のメンバーでもない方から100万円の建築献金がありました。それによって私たちの心は奮い立たせられました。その後、3か月間に18年間の献金よりも多い建築建機ができてちょうど5年前の今日、この教会堂の購入ができました。クロス王を奮い立たせてくださったように人々の心を奮い立たせてくださったのです。今年も私たちの周囲の人々を用いて私を助けてくださる神様の力の働きを体験することができます。
 どうか、私たちがどんな時にも意気消沈してあきらめることなく、私たちに御目を注いでおられる神様に焦点を合わせて生きるように祈ります。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方の無尽蔵の富を所有して行きますように祈ります(エペソ3:21)。