2013年ローマ人への手紙19講

福音の同労者たち

御言葉:ローマ16:1−27
要 節:ローマ16:3,4「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。5aまたその家の教会によろしく伝えてください。」

今年、ローマ人への手紙の学びを祝福して下さった神様に感謝します。私たちはこの手紙を通して神様の召され、信仰による義、福音と福音の力、すべての事を働かせて益としてくださる聖霊の働きなどを学びました。パウロ自身の信仰と愛、望みについても学ぶことができました。私は個人的に使徒パウロに対して冷たく感じるほど厳しい方だと思っていました。しかし、今年はローマ人への手紙を学びながらとても謙遜で柔和なパウロの愛に触れられました。自分の同族をはじめ、自分とかかわるひとりひとりをとても大切に思い、何とかして救いに導き、信仰を成長させようとするパウロの愛と牧者の心に感動しました。パウロを通して私に対する神様の愛と信頼、望みも悟った時も感動しました。
今日はいよいよ最後の16章を学ぶようになりましたが、ここでもパウロの愛と牧者の心、信仰を学ことができます。キリストにある同労者たちへのパウロの愛と信頼、望みが感じられます。とても感動的な話です。どうか、御言葉を通してパウロと神様の素晴らしい愛に触れられて励ましとクリスチャンライフのヒントを得ることができますように祈ります。

?.パウロの偉大な同労者たち(1−16)
1,2節を読んでみましょう。「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」パウロは多くの同労者たちの中で最初にフィベ姉妹を紹介しています。彼女はケンクレヤにある教会の執事でした。ケンクレヤはコリントの港町です。恐らく、彼女はパウロがコリントで宣教活動していた時に伝道されてイエス・キリストに出会い、救われたでしょう。その後、彼女の美しい人生は始まりました。愛されるよりも愛する人生、助けられることよりも人を助ける人生へ変えられたのです。聖書に「この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」と書いてある通りです。
当時の社会状況を考えてみると、一般的に女性の地位も学歴も低く、経済力なかったので大きなことはできなかったと思われます。聖書に具体的に書き記すほどのことはできなかったのです。恐らく女性としてできること、小さな事を通して多くの人を助けていたでしょう。伝道したり、相談したりしながら多くの人に仕えていたでしょう。22節を見るとこの手紙を筆記したテルテオのことも記されてありますが、彼女はその手紙の書き写しをして多くの人々に仕えていたかも知れません。どっちにしてもパウロは人を助ける彼女を信頼してこの手紙を彼女に預け、ローマの聖徒たちに伝えるようにしたのです。そしてローマ教会も、そういう人を歓迎し、どんなことでも助けてあげるように指示しています。パウロは多くの人を助ける人が教会から歓迎され、助けられることを切に望んでいたのです。神の教会はそういう姉妹たちによって支えられ、成長して行くからです。ここで、私たちは人を助ける人を信頼し、大切にするパウロを学ことができます。世の中には地位や学歴、経済力のある人を信頼し、大切に思う人が多くいます。しかし、神様は地位や学歴、年収が低くても、多くの人を助ける人を歓迎し、信頼して助けてくださいます。実際に多くの人を助ける人は神様に歓迎され、助けられます。神様は人を助ける人には私たちの願うことろ、思うところのすべてを越えて豊かに施してくださいます。
ですから、多くの人を助ける人は自分も助けられ、豊かに祝福されます。それは私がの教会生活を通しても体験していることです。UBF教会もフィベ姉妹のように多くの人を助け、主のしもべを助ける姉妹たちによって支えられ、成長して来ました。東京UBFもフィベ姉妹のように多くの兄弟姉妹たちを助けている姉妹牧者・宣教師たちによって支えられ、成長していることを心から感謝します。これからも、私たちがフィベ姉妹のように多くの人を助けて行きますように祈ります。次にパウロは素晴らしい同労者であるプリスカとアクラ夫婦を紹介しています。
3−5a「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。「この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。またその家の教会によろしく伝えてください。」とあります。ここに聖書の中で最も素晴らしい夫婦であると言えるプリスカとアクラ夫婦が紹介されています。新約聖書にペテロ、ヨハネ、ヤコブをはじめ、多くの主のしもべたちのことが記されていますが、夫婦としては紹介されていません。ところがプリスカとアクラは夫婦として紹介され、使徒の働きと書簡において6回も登場しています。それほど素晴らしい夫婦だったということでしょう。
彼らはユダヤ人ですが、もともとローマに住んでいました。ところが、ローマのクラウデオ帝が反ユダヤ主義の政策を取り、ユダヤ人たちをローマから追放してしまいました。プリスカ夫婦も追放されてコリントに行きましたが、そこでパウロに出会います。その後、天幕作りの仕事をするパウロと同業者になりました。そして、彼らはエペソに行き、家の教会を形成しました。後でパウロが再びエペソに行った時はプリスカとアクラの家を教会として用いています (?コリント16:19)。
ここでプリスカとアクラ夫婦のエピソードを紹介します。パウロがエペソに戻ってくる前に、エペソにはアポロという雄弁家がいました。彼はイエスについて力強く論証していましたが、聖霊のバプテスマについて知りませんでした。そこでプリスカとアクラは彼に、もっと正確に神の道を教えました。すると、アポロは聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破しました(使徒18:25-28)。プリスカとアクラはあの雄弁家アポロを立派な聖書先生に育て上げたのです。ここで私たちは本当に素晴らしいクリスチャン夫婦の模範を見ることができます。
第一に、彼らは自分の家を教会として用いました。自分の家を開放して教会にすることは決してやさしいことではありません。特に女性にとっては難しいでしょう。家事やもてなすことは、主に奥さんがするからです。だから、どの家でも奥さんの同意がなければ人を招くことができないでしょう。特に、何か月も、何年間も自分の家を開放することはやさしくないでしょう。この間、韓国にいる金グレース宣教師に修養会のピアノ伴奏のことで電話した時、毎週金曜日は自分の家で聖書勉強会があると言いました。それで、どこかに行くことは調整が必要であると言いました。だから、何年かも自分の家を教会として開放することは想像できないほど難しいことなのです。まず夫婦が愛し合い、協力し合う関係でなければできないことでしょう。ところがプリスカとアクラ夫婦は自分の家を教会として開放していたのです。と言うのは夫婦関係もよく、主の福音のために献身する姿勢も一致している素晴らしい夫婦だったということです。
第二に、夫婦が共に聖書の達人になっていたことです。先ほど話したアポロは雄弁家で聖書に通じていました。ただ、イエス様の事について教えていた時に、御言葉の意味について十分にわかっていないところがありました。それを見たプリスカとアクラはアポロを家に招いて、神の道をもっと正確に説明しました。すると、アポロは立派な聖書先生になってアカヤの宣教師になったのです。これはプリスカとアクラ夫婦が聖書の達人、力ある聖書先生であったことの現われです。彼らは本当に素晴らしい平信徒宣教師だったことが分かります。天幕作りの仕事をしながらも聖書勉強に励み、あの雄弁家に負けない聖書の知識、霊的な力を持っていたのです。最近、私は平信徒宣教師としての限界を感じていました。先週は鳥取県に行って奉仕活どもしなければならなかったので今週のメッセージは他の宣教師にしてもらいたいと思い、お願いもしました。ただ、ローマ人への手紙の最後のメッセージだから伝えなければと思ったので準備しました。そして、奉仕活動の現場でも、飛行機の中でもこのメッセージの御言葉を通してパウロ、プリスカとアクラ夫婦のことを黙想しながら本当に励まされました。私たちの中には平信徒牧者、宣教師として仕事をしながら教会の活動も、伝道も、聖書勉強の導きもしている方が多くいます。だから、聖書勉強する時間も、読む時間も確保することがなかなか難しいです。先週、パウロ宣教師は基礎勉強の質問紙を送りながら深夜に作成していたと書きましたが、そういう時間でなければ時間の確保ができないかも知れません。でも、皆がそれぞれの役割を果たすことを通して東京UBF教会が運営され、日本宣教のみわざが成し遂げられています。それは神様が私たちのうちに働いておられるからできることだと思います。どうか、私たちひとりひとりがさらに優れた聖書先生として成長して行きますように祈ります。
第三に真実な愛を実践していました。プリスキラとアクラは、パウロのいのちを守るために、自分のいのちの危険をも冒すようなことさえしたほどにパウロを愛していました。本当に「ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛していたのです(?ヨハネ3:18)」。
5b-16節では主にあって愛する同労者たちに親しみを込めて「よろしく」と伝えています。挨拶の言葉にひとりひとりの特色もつけています。「私の愛するエパネト、アジヤでキリストを信じた最初の人、あなたがたのために非常に苦労したマリヤ、私の同国人で私と一緒に投獄されたことのあるアンドロニコトとユニアス、私たちの同労者であるウルバノ、キリストにあって練達したアベレ、主にあって非常に労苦した愛するベルシス、彼と私との母など」で読んでいます。本当に素晴らしい場面です。パウロは自分より先にイエス・キリストを信じた人に対しては信仰の先輩として、年上の女性に対しては自分の母のように尊敬していたでしょう。特に、主にあってひとりひとりが経験していた苦労を覚えていました。このような手紙を受け取って読んでいるローマの聖徒たちはどれほど感動していたことでしょうか。彼らはひとりひとりがパウロと掛り合っていることやパウロを通してイエス・キリストに出会い、体験して来た恵みを思い出したでしょう。それぞれの証、信仰の証、恵みの証を持っていたと思います。できることなら彼らのそういう恵みある証、Life Testimonyを聞いてみたいですね。特にキリストにあって練達したアベル、主にあって非常に労苦したベルシスなどの証を聞いていると泣かさずにはいられなくなるでしょう。聖書に彼らの具体的な活動も、恵みの証も記されてはいませんが本当に感動的なクリスチャンライフの証があったでしょう。パウロはそういうひとりひとりの働きと労苦をとても大切に思い、感謝していたのです。
そして、パウロさえそうだったと思う時、イエス様はどれほど私たちを大切に思ってくださるだろうかと思われます。主にあって苦労したすべてのことを覚えていてくださいます。人を助けたこと、愛したこと、伝道したことを覚えていてくださるでしょう。自分はちっぽけなものだと思うことでさえ、神様は覚えていてくださって報いてくださるのです。特に、この世では知られていないけれども、黙々と主にあって労苦したことを主は覚えていてくださいます。有名な人よりも彼らの報いが大きいだろうと思います。私たちはひとりひとりが主にあって大切な同労者なのです。ですから、私たちは互いに大切に思って挨拶を交わし、愛し合って行くことができます。
 16節をご一緒に読んでみましょう。「あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。」 ここで、口づけは、もちろん、当時の社会においてあいさつとして行なっていました。日本式にして隣の人と聖なる握手を持ってあいさつしましょう。「挨拶はその人自身の人間性を表すものだ」と言われています。挨拶の仕方1つで、相手の気持ちを和ませることができる道具だと思います。大きな声で、元気よく気持ちのいい張りのある声で挨拶されると、挨拶された方も気持ちがよくなるでしょう。挨拶で人の感情を左右できるのです。こんなすばらしい道具はないでしょう。聖なる家族として元気よく気持ちのいい張りのある声で互いにあいさつを交わすことができるように祈ります。

?。パウロの警告(17-20)
 17、18節をご覧ください。「兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。」分裂とつまずきを引き起こす人たちです。彼らは、自分たちが学んだ教え、つまり聖書の教えにそむいている人たちです。そのような人が教会の中にいると、その人は必ず分裂とつまずきを引き起こします。だから、警戒しなければいけません。パウロは、「彼らから遠ざかりなさい。」と言いました。彼らを攻撃して、彼らと対抗しなさい、とは言っておらず、「遠ざかりなさい」と言っています。彼らを攻撃して滅ぼすのは神様がなさるからです。
19、20節をご一緒に読んでみましょう。「あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」私たちが神様の御言葉に従順であれば、平和の神は、すみやかに、サタンを踏み砕いてくださいます。平和の神様こそが、私たちが悪い人に打ち勝つようにしてくださいます。神様はサタンを私たちの足の下に打ち砕きます。パウロはそれを確信していました。
21-23節ではパウロが仲間になっている人人の名前を載せて、彼らのあいさつも一緒に、ローマのクリスチャンたちに送っています。

?.パウロの祈祷(25-27) 
結論として25-27節をご一緒に読んでみましょう。「私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。」パウロの完全な神様の導きに対する確信がよく表れています。パウロはこのローマ人への手紙を通して福音を明らかにしてくれました。そして今日、私たちは使徒パウロの最後の「アーメン」に来ました。なんと素晴らしい手紙でしょう。ローマの聖徒たちがこの手紙を受け取り、そこに自分の名前を見出した時、その人たちはどんなに励まされたことでしょうか。パウロの牧者の心、愛の心、愛情のこまやかさに驚いたことでしょう。
私たち一人一人がここに記されたパウロの同労者たちのように主にあって感謝と賛辞の言葉をいただけるクリスチャンとして成長して行くことができるように祈ります。