2005年弟子修養会主題講義第1講
ガラテヤ人への手紙第2講と同じ内容です。
2005年弟子修養会第1講 朴エズラ
私のうちに生きておられるキリスト
御言葉:ガラテヤ2:1?21
要 節:ガラテヤ2:20“私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。”
10年前の映画の中で、有名な女優のデミ・ムーアが主演した「ゴースト:ニューヨークの幻」という映画があります。映画では、デミ・ムーアと結婚を決意したサムが、ある夜、強盗の銃に打たれて死んでしまう場面が出ます。死んだ直後、ゴーストになった彼は、自分の死が信じられず、再び自分の体に入ろうとしますが、それは不可能なことでした。同様に、イエス様を信じることで、クリスチャンになった私たちも、2000年前にイエス様と一緒に十字架につけられました。しかし、死んでしまった自分の肉の体に時々戻ろうとしますが、死んだ自分には決して戻れません。何故なら、私たちの中には、死んでしまった肉の本性の代わりに、イエス・キリストが生きておられるからです。この時間、私たちが再び「私のうちに生きておられるキリスト」を悟り、イエスキリストを信じる信仰によって生きることを深く学ぶことができるように祈ります。
?。啓示によってエルサレムに上ったパウロ(1-10)
1章で、パウロは、ダマスコの途上で蘇られたイエス様に出会った後、アラビヤで3年間過ごしてから、エルサレムに上り、ケパ(ペテロ)に会ったことを学びました(1:18)。今日の御言葉の背景は、それから14年後のことです。1節をご覧ください。“それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。”パウロはエルサレムを訪問してから、故郷のタルソに戻り、7年くらい過ごしていましたが、バルナバが来てパウロをアンテオケ教会に連れて行きました(使徒11:25、26)。そこでパウロは弟子養成の御業に仕えながら、一次伝道旅行を通して、ガラテヤ地方を中心に宣教旅行をします。しかし、パウロが再びアンテオケに戻った時、ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、救われない。」と教えました(使徒15:1)。彼らの主張は、ただ信仰によって義と認められるというパウロの福音に相反することでした。そのため、パウロ、バルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じ、パウロはこの問題を解決するためにエルサレムに上りました。2節をご覧ください。
“それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。”パウロは人間的に彼らと論争し続けることより、祈ったことが分かります。神様は啓示を通して、パウロがエルサレムに上って、この問題を解決するように助けてくださいました。パウロはこれまでの福音伝播の働きを無駄にしないために、慎重に福音をエルサレムに示しました。特に、おもだった人たちに個人的にそうしました。それには、自分のせいでエルサレム教会が内紛に巻き込まれることを願わなかったからです。
3,4節をご覧ください。ギリシヤ人であったテトスは割礼を強いられる恐れがあったのですが、パウロは、それに妥協しなかったことを明らかにしています。それは、パウロが割礼の反対主義者だから、そうしたことではありません。パウロは、使徒16:3で、テモテには割礼を受けさせました。パウロは福音を伝えるためには、割礼を受けさせることも、受けさせないこともできました。幾人かでも救うために、すべての人にすべてのものになりました(?コリント人への手紙9:20-22)。しかし、福音の真理自体が変質されることには決して妥協しませんでした。5節をご一緒に読んでみましょう。“私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。”テトスに割礼を受けさせると、信仰によって救われると伝えたパウロの福音は揺さぶるようになります。そのため、パウロは律法主義者たちに一時も譲歩しなかったのです。律法的なことと福音の真理は両立することはできません。十字架の福音に基づいて信仰生活をしながらも、一瞬間でも律法的な考えにとらわれると、私たちは律法の奴隷となってしまいます。そうすると、福音による生命力と恵みは段々消えていき、いつのまにか信仰生活が形式的になってしまいます。そして、心と体が別々と動く疲れる信仰生活をするしかありません。ですから、私たちはこのようなサタンのささやきに一瞬間でも負けてはいけません。私たちの心に律法的な考えが入ってこないようにしなければなりません。代わりに、神様の恵みによって使命を担うことができるように日々目を覚まして祈るべきです。
6-9節をご覧ください。パウロが一切妥協しなかった時、エルサレム教会のおもだった人たち、ペテロ、ヨハネ、ヤコブも、パウロの福音に何も付け加えませんでした。むしろペテロが割礼を受けた人々の使徒と、またパウロが割礼を受けなかった人々の使徒と立てられたことを理解してくれました。そして、パウロの福音を認める意味で、交わりの印として右手を差し伸べました。
10節をご覧ください。ただ、パウロは貧しい人々を顧みるように頼まれましたが、パウロ自身、すでにユダヤに飢饉が起きた時、救援の物を集めてエルサレムに送ったことがあります(使徒11:28,29)。すなわち、福音を宣べ伝えることと、実際に貧しい人々を助けることをうまく並行したのです。パウロがこのような事実を詳しく説明したのは、パウロの福音が完璧であることを立証するためでした。
?。信仰によって義とみとめられる(11-18)
ペテロが、アンテオケの教会に来たときのことを話しています。使徒10章を見ると、ペテロは、異邦人のコルネリオに臨んだ聖霊の働きを体験し、異邦人も、その信仰によって神にきよめていただくことができる、ということを理解していました。そして、異邦人たちとも主にあって交わりをするために、食事をともに取っていたわけです。にもかかわらず、ペテロは、割礼派の人々を恐れて、異邦人と一緒に食事中に身を引き、離れていくような行動を取ってしまったのです。ペテロのこのような人を恐れる行動は、パン種のように急速に悪影響を及ぼし、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に巻き込まれてしまいました。
ペテロのこのような行動によってキリストの福音は危機に処せられるようになりました。このような状況を
そのまま放置しておけば、パウロが伝えてきた福音の自由は崩れてしまうようになります。それで、パウロは人々が見る前でペテロを厳しく責めました。ペテロは人を恐れる卑怯な行動を取ったものの、当時のエルサレム教会のリーダーでした。しかし、パウロはこのようなペテロの地位や身分を気にすることなく、断固と神様の前でペテロの行動を責めることができたのです。このように、神様の前で真理を堅く守ろうとしたパウロによって、イエスキリストの福音は変質されず、今日の私たちまで受け継がれているのです。ペテロに対するパウロの叱責の中には、福音の真理が明らかに示されています。
一緒に16節を読んでみたいと思います。“しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。”
パウロは、イエス様と出会う前に、律法による義についてならば非難されるところのない完璧な人でした(ピリピ3:6)。彼は、もっぱら律法に従って生きようとしました。しかし、「むさぼってはいけない」という律法によって、かえって彼のうちにあらゆるむさぼりが引き起こされたのです(ローマ7:7,8)。それで彼は告白しています。「私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:23,24) パウロは、律法の行いによって義と認められるどころか、律法によって罪が生きるようになり、むしろ死ぬようになったのです(ローマ7:9)。
宗教改革の旗手であったマルチン・ルターも使徒パウロと同様に自分の行いによって義と認められようと努力しました。約5世紀ほど前に、ザクセン人の若い修道士であった彼は、苦悩に満ちた良心に鞭打たれ、罪の重荷に押しつぶされそうになって、聖なる階段のあるローマのサンクタ・スカラ教会(聖なる階段のある教会)に来ました。その熱心のうちに、彼は、重荷から自由にされ、神の愛顧を得ようと、その階段を膝で昇るためにやってきたのです。彼は、大理石の石段に集まった人々に混ざって、忠実に、彼の祈りを繰り返しながら、手と膝で昇りはじめたのです。彼は、苦労して半ばまで昇った時、突然、魂の奥深くに「義人は信仰によって生きる」と宣言する声を聞いたのです。決して人間の行いや努力によっては、義と認められることはできません。聖人であっても、自分の行いによっては、律法の要求を満たすことができません。律法主義者たちは律法を主張しますが、律法の行いによって義と認められる人は一人もいないのです。律法はもっぱら罪を悟らせるだけです。人が義と認められるのはイエスキリストを信じることによってのみ可能です。私たちが、イエス・キリストの十字架と復活を受け入れる時、神様が私たちのイエス・キリストへの信仰に基づき、義と認めてくださるのです。これは、とてもすばらしい恵みであり、祝福なのです。
ここで、「義と認められる」という言葉は、法廷で「正しい、無罪である」と宣告する時使う用語です。私たちがみ言葉を通して内面の罪を悟り、キリストの十字架の恵みを受け入れるとき、私たちは相変わらない罪人であるが、神様が私たちの信仰をご覧になり、私たちを義と認めてくださるということです。これは、驚くべき恵みであり、祝福なのです。私たちが信じ、頼れるのはこの恵みのみです。
しかし、人々は、あまりにも簡単に与えられる恵みであることで、その恵みを勝手に考える人も現れます。17、18節をご覧ください。
パウロは、この信仰による義、神の恵みについて語るときに必ず出てくる反論に対して答えています。つまり、信仰によって義と認められるのであれば、いくら罪を犯しても、咎められることはないのか。それなら、肉の欲望のままに、好き勝手に生きてもよかろう、という議論です。パウロは、「そんなことは絶対にありえない」と強く答えています。私たちが信仰によって義と認められるという神の恵みを知ったなら、もはや、罪の中に生きようとは願わなくなります。信仰によって義と認められるということは、本当に自分の行ないが死んでおり、自分が救いようのないみじめな人間であることを心得ているからこそ、その恵みを知ることができます。主にある新しい関係を知った人はみな、それを壊すような罪の中で生きたいとは願わないはずです。パウロはこのような危険性があるとしても、自分が壊したものを再び立てることはしないことを告白しています。
?。パウロの中で生きておられるキリスト(19-21)
パウロは、19節で律法と私たちとの関係について説明しています。
19節をご一緒に読んでみましょう。“しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。”
律法は私たちにすべてのことを守ることを要求します。一つでも守ることができないと、罪人として裁かれ、結局死ななければならないのです。人間の努力としてはこの律法が要求する死から逃れることが出来ません。ところが、パウロは十字架に付けられたキリストと連合することによって、今は律法に向って死んだ者となりました。律法の下で苦しんでいた“昔の人”はイエス様の十字架の死とともに連合して死んでしまったのです。ですから、私たちはこれ以上律法とは関係のない存在、律法を守ろうと努力する必要のない存在となったのです。神様がこのようになさったのは、私たちが今後は神様に向って生きるようにするためでした。
20節をご一緒に読んでみましょう。“私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。”このみ言葉の中には深い霊的な秘密が隠されています。
第一に、私たちがキリストとともに十字架につけられたという事実です。これは、時間的、空間的概念ではとんでもない話です。パウロ自身は十字架の現場にさえもいませんでした。時間的、空間的にみると、イエス様と一緒に十字架につけられた人々は、パウロではなく、むしろイエス様の左右にいた二人の強盗でした。ここから、パウロがキリストとともに十字架につけられたのは、キリストと継ぎ合わせられた死を意味します。特に、この箇所をNIVでは、「I have been crucified with Christ」と、現在完了受動態となっており、キリストの十字架と一緒に私たちの体は罪に対して死んだ状態にいることを意味します(ローマ6:11)。すなわち、イエス様はただ一度(Once For All)すべての人の罪のために十字架で死なれましたが(ローマ6:10)、イエス様の十字架を信じる私たちもそのイエス様の十字架の死に継ぎ合わされて、昔の肉の体が死んでいることを意味します。ここから、私たちも2000年前のイエス様の十字架上で、イエス様とともに徹底的に十字架につけられた事実を悟り、信じるべきです。
第二に、私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるという事実です。
イエス様を受け入れる以前の私、アダムの子孫である私は、イエス様の十字架とともにつけられたのです。従って、霊的にはそれ以上存在しません。ただ、私はキリストの復活に継ぎ合わされて蘇られたのです。“もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。”(ローマ6:5) 十字架のイエス様を受け入れる前の古い私と、イエス様を受け入れたADの私は全く異なる存在となりました。すなわち、新しく造られた者になったのです。何故なら、私の肉の本性は死んでなくなり、私たちの中に新しいキリストの命が生きているからです。この「キリストの命」は「聖霊」を意味しています。“もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。”(ローマ8:11)イエス様を信じる以前の私は死んでしまったのです。イエス様を信じる以前の私は死体としては存在するものの、生命体ではありません。そのため、キリストが私たちのうちにおられるなら、私たちの体は罪のゆえに死んでいても、神の御霊が生きていることになります(8:10)。私たちは、すでに死体となってしまった、「過去の自分」を何とかしようとすることより、私の中にキリストが生きるように、古い自分を捨てる闘争を学ぶべきです。このために、私たちは御言葉と祈りに励み、御言葉に従順する生活をしなければなりません。自分を主張する限り、「私の中のキリストの命」は活動することができません。私たちが、十字架につけられた過去の自分に頼らず、私たちのうちに、キリストの命が生かされるように祈るべきです。その時、私を通して、キリストの人格が現れ、キリストの香りが放たれるようになります。
しかし、私たちは、私たちに与えられた恵みがあまりにも簡単に手に入ったことで、よく実感ができない場合があります。昔、アメリカのリンカン大統領によって奴隷解放が行なわれましたが、奴隷の中では自分が自由になったことが信じられず、昔の主人の家に戻り、奴隷として働こうとした人たちがかなりいたそうです。そのように私たちがイエス様を信じることで私たちのうちにキリストが生きるようになりましたが、それが実感できず、昔の自分に頼って生きようとするのです。しかし、信仰と律法は共存することはできません。むかしの自分に頼ろうとすると、イエスキリストの十字架による贖いの力は急速にその効力を失い、昔の自分に戻ってしまうのです。それでパウロは強い口調で言っています。“もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです(ローマ8:13)。”私たちが決して昔の自分に戻ってはいけません。そういった欲求が生じるたびに、御霊によって肉の体の行いを殺すべきです。その時、私たちは霊的に生きるようになるのです。
第三に、私たちの生活の基礎と原動力が、ただ神の御子を信じる信仰であるという事実です。
過去のパウロの生活の基礎は律法であり、生活の原動力は自分の努力、自分の熱心でした。しかし、ダマスコ途上で倒れることで、そのような「昔のパウロ」は死んだのです。「今のパウロ」は、パウロを愛しパウロのためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって生きているのです。パウロは、このような神の恵みに感謝して、ほかのすべての使徒たちよりも多く働きました(?コリント人への手紙15:10)。また、このイエス様に対する信仰があったので、どんな死の苦しみと苦難も乗り越え、勝利することができたのです。愛する御子を惜しまず、与えてくださった神様の愛を悟れば悟るほど、神に感謝せざるを得なくなります。
「トラ、トラ、トラ」という太平洋戦争を舞台にした映画で、実際の真珠湾攻撃隊長を務めた、あの有名な淵田みつお大佐を感動させたのも、神の愛でした。戦争が終わって、敗戦のむなしさと絶望の中で苦しんでいた日々を過ごしている淵田大佐のもとに、かつての部下が捕虜収容所から釈放され、あいさつに訪ねて来ました。この部下たちから、淵田大佐は驚くべき話を聞きました。淵田大佐は彼らに、「おまえたちは、敵の捕虜になって、収容所で地獄の思いをしてきただろう」と聞いたのですが、この部下達は口をそろえて「大佐、そうではありません。収容所の数年間は私達にとって、天国でした」と答えました。実はその捕虜収容所に、一人の白人の女性が働いていました。この女性は彼らに対して、食べ物と薬を差し入れ、彼らを励ましたのです。あまりにも良くしてくれるので、ある時彼らはこの女性にたずねました。『あなたは敵の捕虜である私達に、なぜそんなに良くしてくれるのですか。』そうしたらその女性が答えました。『私の両親は宣教師として20年、日本で働きました。そして戦争に反対したために国外に追放され、その後フィリピンに渡りました。そこで日本の兵士に首をはねられて、殺されました。両親が最期まで愛した日本のため、私も働かせていただいています。」と答えたそうです。彼らは彼女に言いました。『あなたは、なぜそういう生き方ができるのか』。すると、その女性が一冊の日本語の聖書を持って来ました。その聖書を読んで、彼らは、キリストを信じてクリスチャンになったというのです。そして、彼らにとって、収容所の数年間は、天国だったと、大佐に報告しました。腕を組んで、目をつぶってその話をじっと聞いていた鬼のような大佐の目から、熱いものが溢れました。やがて彼は渋谷の駅頭で、自ら聖書を手に入れると、むさぼるように聖書を読みました。彼はその後、牧師になるため神学校に入学し、そして聖書を持って、真珠湾を訪ねました。やがて淵田大佐は召されましたが、その最後の一息まで彼が叫んだメッセージは、これでした。「憎しみの革命を通して平和は来ない。戦争を通して平和は来ない。真の平和はイエス・キリストの十字架の愛。アガペの愛によってのみ来る」。
淵田大佐は、自分を愛し自分のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって新しく生まれ、イエス・キリストの愛を全世界に伝えたのです。パウロも淵田大佐も、彼ら自身は、2000年前のキリストとともに十字架に付けられ死んでおり、復活されたキリストが彼らのうちに新しく生きておられたのです。つまり、彼らの人生の基礎と原動力は、自分を中心とした自己努力や自己熱心ではなく、自分のためにご自身をお捨てになった神の恵みにあったのです。そうした際、彼らは偉大な神様のしもべとして驚くべきことを成すことが出来ました。私たちもパウロのような信仰の先輩に見習い、私たちを愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって生きることができるように祈ります。このイエス様の愛に基づき、私たちがこの神の愛の福音を周りに宣べ伝える人生を生きることが出来るように祈ります。
私たちが口先では、「信仰によって生きる」と言っていますが、実は自分を中心とした信仰生活をしやすいです。この時間、このみ言葉を深く黙想しながら、自分を省みる時間となりますように切に祈ります。