2024年 10月 02日 (水)
わたしがあなたがたの神である
イスラエルの長老たちの何人かがバビロンの苦難がいつ終わるのかを主に尋ねたくて、エゼキエルのもとに来ました。しかし神様は彼らの質問に対してお答えにならず、彼らの忌み嫌うべき罪を咎められます。神様はイスラエルを選び、彼らの神様になられました。神様は彼らをエジプトから導き、乳と蜜が流れる麗しい地に入れることを誓われました。「わたしがあなたがたの神、主である。」彼らは当然、神であられる主に頼り、仕えなければなりませんでした。しかし彼らは神様から離れ、偶像を慕いました。偶像を投げ捨てよ、という神様の命令にも関わらず、彼らはカナンの偶像を投げ捨てず、エジプトの偶像も捨てませんでした。
神様はご自分の名のためにイスラエルをエジプトから導き出されました。そして荒野で彼らにおきてと定めを教えられました。これは人が行えば、それらによって生きることのできる命の道でした(11)。また神様は、偶像で汚れた彼らを聖別する主であられることを知らせるために、安息日を与えしるしとされました。しかし彼らは定めをないがしろにし、安息日を甚だしく汚しました。このような彼らに向けて、神様は荒野で憤りを注がれ、罪を犯した彼らを約束の地に入らせませんでした。
荒野で生まれた次の世代も同じように逆らいました。主は憤りを彼らの上に注ごうとされましたが、主はご自身の名のために、そうされませんでした。しかし、神様は逆らい続けた民を諸国の民の中に散らし、国々へ追い散らすと荒野で誓われました。それでも、イスラエルがカナンの地に入ることができたのは、神様がアブラハムに約束された契約があり、滅びるしかない民への主からの恵みとあわれみがあったからです。
祈り:主よ、私が心の奥にある偶像を捨てて、神様の御言葉に聞き従い、安息日を聖別できるように助けてください。
一言:私たちの神、主
2024年 10月 03日 (木)
あなたがたの悪しき生き方によってではなく
イスラエルは神様の恵みでカナンの地に入ることができましたが、偶像崇拝に陥っていました。この不信の罪のために、彼らは滅ぼされ、バビロンの捕虜となり、連行されました。このようなさばきにあってもなお、捕虜の民は父たちの行いをまねて自分たちを汚し、彼らの忌まわしいものを慕って姦淫を犯しました。異邦の地でまるで異邦人のようになり、木や石を拝もうと堂々と言いました。しかし、主は、彼らが心に思い浮かべていることは決して実現しないと仰せられます。それは、彼らの現在の社会的身分が捕虜であったとしても、彼らは変わらず神の選ばれた民であり、神様が彼らを必ず元通りにしてくださるからです。
神様は、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、イスラエルを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々から民を集められます。再び彼らと契約を結び、契約の民とさせてくださいます。そうしてイスラエルの全家はシオンで神様に仕えます。神様はイスラエルのうちに、諸国の民が見ている前で、主が聖であられることを示されます(41)。イスラエルは、自分の身を汚した自分たちの行いと、すべてのわざとを思い起こし、自分たちの行ったすべての悪のために、自分自身を嫌うようになります(43)。過去の罪な生き方を嘆く思いを持つようになります。悪い行いや、腐敗したわざによって、イスラエルはすでにさばきを受け、滅びを受けてもおかしくありませんでした。しかし、神様は彼らの行いによってではなく、ただ主の名のために、彼らに報いました(44)。アブラハムと結ばれた契約を成就され、罪ばかりを犯す民に向かい一方的にも恵みを施されました。この恵みを悟ってこそ、彼らも主が神であることを知ることになるのです。
祈り:主よ、私たちの悪しき生き方に従ってではなく、主イエス・キリストの完了された贖いのみわざに従って私たちに報いてくださったことに、心から感謝と賛美をささげます。
一言:主の名のために私たちに報いて下さる主
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