2024年 10月 07日 (月)
さびついている鍋
さびついている鍋は、そのさびを落とさなければ使えません。ユダはさびついている鍋のようでした。その中はさびがあり、ひどく汚れていました。神である主は、ユダのこのみだらな汚れをきよめようとされました(13)。主はエゼキエルに鍋を一つ与え、ももと肩の良い肉の切れをよく煮るように言われます。ももと肩の良い肉の切れとは、ユダの上流階級層と富裕層を指します。彼らは血を岩や地に流す悪を行いました。主は、彼らを鍋に入れ、骨まで煮ることで御怒りを表しました。主は、たきぎを増やし、肉も骨も煮て焦がせと命じられます。鍋を空にして炭火にかけ、その中の汚れを溶かし、さびがなくなるようにせよと命じられました。しかし、そのひどいさびは落ちず、なお、火の中にありました(12)。そのひどいさびがみだらな汚れです。私たちの中にある罪はひどいさびのようです。簡単には落ちません。私たちはさびついている鍋のようです。
神である主は、さびついている鍋のようなユダに憤ります。主は彼らに対する憤りを静めるまで、彼らは決してきよくならないと言われました(13)。神である主は、裁きのとき、惜しまず、思い直しもしません。彼らの行いに従って、彼らを徹底的に裁かれます。これを通して、さびついている鍋のようなイスラエルはきよめられ、神が主であることを知るようになります。神である主は、さびついている鍋のような私たちをきよめるため、イエス・キリストの十字架の血を与えてくださいました。十字架の血は、私たちのどんな罪のさびをも取り除くことができます。さびついている鍋のような私たちも十字架の血によってきめられるとき、私たちは主に用いられる鍋となります。さびついていたとしても、主イエス・キリストの中では、だれでも望みがあります。
祈り:さびついた鍋のような私のために、ひとり子イエス様を与えて下さった主の御名をほめたたえます。主の十字架の血が、私を全ての罪と咎からきよめ、主に用いられる器に変えてくださったことを信じます。御心のままに私を用いて下さい。
一言:十字架の血によってきよめよ
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