聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 03月 07日 (月)

民数記15:1-21(2,3)
芳ばしい香りを献げなさい

 14章で神様は、一つになって主に逆らった悪い会衆は、すべて荒野で死に絶えると宣言されました(14:35)。その後会衆は悔い改めるだろうと思いきや、またもや自分勝手に判断して勝手な道を行きました。イスラエルの民と神様の関係は、回復しようがないと思えるほど、最悪の状態に陥っていました。ところが神様は、15章ではイスラエルの民が約束の地に入ってから献げるべきものについて話されています。神様は目の前の世代の悪さに捉われることなく、約束の地に新しい世代が入る姿を既に見ているということです。約40年も先に起こることですが、神様は民たちにも、約束の地に入るビジョンを持たせました。

 イスラエルの民は、約束の地に入ってからは、ささげ物を献げなければなりません。ささげ物はすべて、主への芳ばしい香りとなります。3節から16節までは、神様が教えられた献げ方が詳しく記されています。ささげ物をする理由は、彼らが約束の地に入るようになったのは、自分たちの業績や善行によってではなく、完全に神様の恵みによるのだということを常に覚えて、神様に感謝と献身を表すためです。これはユダヤ人だけでなく寄留している異邦人も同じです(14)。神様は、私たちの罪のためになだめの供え物となられたキリストによって、すべての民たちが共に救われた恵みを味わいながら生きることを願われます。すなわち、イエス様の十字架にあって、ユダヤ人も異邦人もともに相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。(エペソ3:6)

 約束の地に入ってから初物の奉納物を献げなければならないというのは(20,21)、 生活の中心に神様がおられるということをいつも覚えるようにするためです。私たちも同じく、感謝と献身の礼拝を捧げることによって、私たちの生活の中心に神様がおられるということを忘れずに生活出来るのです。



適用:神様の恵みをどのように担っていますか

一言:感謝と献身の心が込められている香ばしい礼拝



2022年 03月 08日 (火)

民数記15:22-41(25)
宥めを行うなら、赦される

 神様の民であってもすべての命令を完璧に守ることは出来ません。気づかずに罪に陥ってしまうこともあります。そんな時、恐れたり適当にもみ消したりしてはなりません。主への芳ばしい香りのための全焼のささげ物として若い雄牛一頭、また、定めにかなう穀物のささげ物と注ぎのささげ物、さらに罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹を献げ、祭司が彼らのために宥めを行う時に赦していただくことが出来るので、積極的に神様の前に出なければなりません。これは会衆も個人も彼らの間に寄留している者も、同じです。

 恵みは、ただ罪を覆ってくれるだけではありません。贖罪を通して罪の代価を払う時、神様の求められる正義を満足させ、罪から自由になることが出来るのです。イエス様は十字架でご自分の体を贖いの代価として捧げ、私たちの罪を赦してくださいました。ですから、私たちはどんな小さなことでもイエス様の十字架の前で悔い改めるなら、罪が赦され、健全なものになれます。

 神様は故意に罪を犯した人は、必ず処罰するようにと言われました。これは、主を冒涜する者であり、主の言葉を侮り、その命令を破った重大な罪だからです(30,31)。安息日を意図的に守らなかった者も、必ず殺して共同体から追放するように命令されました(35)。これは、良くない影響力を共同体から遮断するためです。神様はイスラエルの子らに「彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように」と言われました。これは服を着る度に、この房を見て神様のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、 淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためでした(38-40)。神様は、ご自分の民が戒めの御言葉を覚え、神様との正しい関係性を持って神様が喜ばれる祭司、聖なる国民になることを願われます(41)。



適用:気づかずに陥ってしまった罪も悔い改めますか

一言:赦していただける


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