聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 03月 09日 (水)

民数記16:1-14(7)
逆らう者たち

 レビの子コラとルベンの子孫ダタン等250名の指導者たちが集まり、モーセとアロンに逆らって結集しました。「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」と二人に言いました(3)。この時もモーセは感情的にならないで、その判断を神様に委ねました(4)。火皿を取り、神様の前でその中に火を入れ、その上に香を盛り、神様が誰をお選びになるか見ようと言いました。モーセは、彼らレビの子たちが分を超えていると指摘しました(7)。神様が彼らをイスラエルの会衆から分けて主の幕屋の奉仕をするように、また会衆の前に立って仕えるようにしてくださったのは、決して小さなことではありません。しかし、彼らはいただいた恵みに満足せず、モーセとアロンと同じ祭司の職を要求しました。これは、神様が立てられたしもべたちに敵対することであり、神様に挑戦することでした。分を超えた要求は高慢であり、貪欲です。

 モーセは彼らを何とか人格的に助けようとしましたが(11,12)、彼らは頑固になるばかりでした。彼らはモーセが民たちを乳と蜜の流れる地から連れ上って、荒野で死なせようとし、その上、民たちの上に君臨していると言いました。しかも、モーセに、「あなたは、乳と蜜の流れる地にわれわれを導き入れず、畑とぶどう畑を、受け継ぐべき財産としてわれわれに与えてもいない。あなたは、この人たちの目をくらまそうとするのか。われわれは行かない。」(13,14)と、強く非難しました。彼らが与えられた恵みに感謝せず欲張るようになった時、共同体に分裂が生じ、神様が立てられた秩序を破壊する大きな罪を犯してしまいました。貪欲と高慢は、霊的な分別力を失わせ、サタンの言いなりになって破滅の道に走るようにさせるだけです。私たちは常にいただいた恵みに感謝し、仕えなければなりません。



適用:神様にどのような心で仕えていますか

一言:感謝と謙遜な心で



2022年 03月 10日 (木)

民数記16:15-35(28)
私自身の考えからではない

 コラをはじめモーセに逆らった人たちは、モーセには真実な心がなく、私欲に満ちた指導者だという風に歪曲して言いました。しかし、モーセは神様の前でも人の前でも清廉潔白な人でした。神様はついにモーセに逆らった会衆全員を裁くことを決められました。モーセは、神様の御怒りの前で、一人の人の罪のために全会衆に御怒りを下されるのですかと、とりなしの祈りをささげました(22)。神様はモーセの祈りを受け入れ、ご自分に反逆した中心的な人物たちだけを裁かれました。

 モーセは、これまでに何度も民や側近から、指導者としての役割を非難されてきました。これだけ繰り返し否定されてしまうと、普通の人ならば、自信喪失し、自分の使命を疑い、力を失って何も出来なくなってしまうのではないでしょうか。ところが、どれほど大勢の人から非難されようと、モーセは常に、自分が主によって召され、主によって用いられているのだという主にあるアイデンティティーを見失うことがありませんでした。それで、彼は、「私を遣わして、これらのわざを行わせたのは主であり、私自身の考えからではないことが…あなたがたに分かる」(28)と言うことができました。彼は、主にある自分を見つめ、堂々と且つ冷静に、主を前面に出しながら反逆者たちに応じました。

 私たちクリスチャンの本質的なアイデンティティーは、キリストにあります。私たちはキリストによって、恵みと義をあふれるばかり受けている者となりました(ローマ5:17)。神様に完全に受け入れらており、神様の所有となっており、王族に属する祭司として、イエスさまと一緒に支配し、人々のためにとりなしをする存在になっています。そして、神様が下さった賜物や祝福を通してキリストに栄光を帰す人生を送る者となっています。



適用:あなたは誰ですか

一言:神様に愛され、救われ、遣わされている者



2022年 03月 11日 (金)

民数記16:36-50(47,48)
香をたいて、民のために宥めを行った

 神様は、反逆した者たちを裁いた火皿を持って記念とするように言われました。アロンの子孫以外の者は神様の前に出て香をたくことがないようにするためで、また、反逆者たちと同じ過ちを犯さないためでした(40)。神様は火の皿記念してまでご自分の民を純潔にしようとされました。しかし、民はまだ神様の教訓を深く理解せず、受け入れようともしませんでした。彼らはモーセとアロンが民を殺したと不平を言いました。彼らは一日もすぎない内に、また心が頑固になりました。逆らい、反発し、不平をもらす罪の根がどれほど深いかが分かります。

 会衆がモーセとアロンに向かって不平を言っていたその時、神様が栄光の中で現れました。神様は彼らを絶ち滅ぼすと言われました。神様の激しい御怒りで、民に対する神の罰はもう始まっていました。モーセとアロンは香をたいて民のために宥めを行いました。アロンが火の皿を持って死んだ者たちと生きている者たちの間に立った時、主の罰は終わりました(48)。これは、将来神様と民の間を仲介するイエス様の雛型です。私たちは感謝しない心、不平不満、高慢、妬みなど、様々な罪の故に神様の裁きを受けるしかない存在です。しかし、新しい契約の仲介者であるイエス様によって罪が赦され救われたのです。私たちはイエス様の十字架の前に進み出て罪の苦い根を取り除き、謙遜と柔和な心を持って神様に仕える者にならなければなりません。歴史の教訓を肝に銘じるべきです。



適用:仲介者イエス様に頼っていますか

一言:裁きから救いへ


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