聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 03月 05日 (火)

列王記第二4:1-17(7)
   その油を売り、あなたの負債を払いなさい

 ある預言者の弟子がたくさんの負債を残して死にました。貸し主は、そのやもめのふたりの子どもを奴隷にしようとしました。やもめは夫を亡くした上、ふたりの子どもたちも失うところでした。エリシャはやもめを助けようと、家に何があるかを尋ねました。彼女は、油のつぼ一つしかないと答えました。エリシャは彼女に命じました。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。」彼女はたくさんの器を借りてきました。家の戸を閉めた後、器に油をつぎ、すべての器が油いっぱいになりました。やもめは油を売ってすべての負債を返済することができました。
 またある日、エリシャがシュネムに通りかかると、あるお宅に招待され食事をすることになりました。奥さんはエリシャが神の聖なる方に違いないと思って、夫に言って部屋を作り、寝台と机といすと燭台を用意しました。エリシャは彼女の繊細な配慮に感謝し、何をしたらよいかと聞きしました。彼女には子どもがなく、それに、彼女の夫も年をとっていました。エリシャは彼女に、来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになろうと言いました。そして、彼女は、エリシャの言葉とおりに、子供を産みました。
 エリシャは牧者の心情をもって、羊たちの実際の問題を解決しました。特に弱い女性ややもめのような、弱い立場の人々を哀れみ、主である神様の御力によって、彼らの人生の問題が何であるのか、神様の御力でどう解決すべきなのかに心を注ぎました。霊的指導者とは、羊たちの実際の問題に関心をもって、解決方法を祈りを通して見出す者です。


適用:エリシャのような牧者になりたいですか

一言:羊たちの実際の問題に関心を持ちましょう



2019年 03月 06日 (水)

列王記第二4:18-37(34,35)
シュネムの女の死んだ子を生き返らせたエリシャ

 シュネムの女は、神様の一方的な御恵みによって子を得ることができました。しかし、その子が「私の頭が、頭が」と言いながら死んでしまいました。普通なら、自分の子が死んでしまったら、親はすべてを諦め、悲しむしかないでしょう。しかし、シュネムの女は落胆せず、死んだ子を神の人エリシャの寝台に寝かし、戸をしめて、遠いところにいるエリシャのところまで行きました。そして、エリシャの足にすがりつき懇願しました。彼女の信仰と切なる祈りはまことに驚くべきものです。シュネムの女は、子を産むことができない状況の中で、子を産んだので、死んだ子が生き返ってくれるはずだと、信じました。信仰をもって切に祈りました。どんなに絶望的な状況の中でも、諦めず信仰を持って祈る時、必ず神様の栄光をみることができます(ヨハネ11:40)。
 エリシャは神様に切に祈りました。寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきました。これはまるで神様がアダムの鼻にいのちの息を吹き込まれるときの御姿を連想させるものでした(創世紀2:7)。エリシャがまた、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開きました。エリシャは全身全霊で祈りましたし、神様はその死んだ子を生き返らせてくださいました。神様は、これを通して、死んだ者が生き返るという復活の奇跡を見せてくださいました。
 神様には不可能はありません。神様は子を産めないシュネムの女に子を与え、そして、その死んだ子を生き返らせてくださいました。これは神の御子イエス様がこの世に来られ、死んだ者を生き返らせ、またイエス様自ら蘇られることを表すしるしなのです。復活の能力を信じる時、私たちはどんな状況の中でも悲しんだり、落胆したりしません。私たちは復活の主によって、新しい命を得ることが出来、勝利の人生を生きるようになります。


適用:絶望していますか

一言:復活の主を見上げましょう



2019年 03月 07日 (木)

列王記第二4:38-44(44)
食べて残すほどにしてくださる神様

 エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地にききんがありました。イスラエルの民が神様から離れてしまったことへの裁きでした。それによって、預言者のともがらさえもひもじい状態でした。誰かがこの問題を解決すべきでした。エリヤは、預言者のともがらの貧しさとひもじさを、哀れみました。彼は若い者に命じて、大きなかまを火にかけ、煮物を作るように命じました。彼らのひとりが野生のうりをいっぱい取って来て、煮物のかまの中に切り込みました。そのうりには、実は毒があり、誰も食べることができませんでした。神様から離れたこの世のものは、まるで毒入りのかまの中と同じです。毒キノコは見た目はきれいですが、その中は、いのちを殺す毒があるのです。神様から離れたこの世の様々な文化は、人々のたましいを死に至らせるものです。エリシャが麦粉を持って来させ、それをかまに投げ入れると、かまの中の悪い物はなくなっていました。毒に侵されたこの世の文化を解毒するためには、神様の御言葉の粉が不可欠です。十字架の福音だけが、毒に侵されている人々の心とたましいを癒し、回復させることができます。
 ある人がバアル・シャリシャから初穂のパンである大麦のパン二十個と、一袋の新穀とを持って来ました。エリシャは、「この人たちに与えて食べさせなさい」と命じました。彼の召使いは、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう」といい、不可能であるといいました。しかし、エリシャは、「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」と言って、全能の神様を信じました。そのとき、主の仰せられたとおりになりました。イエス様も五つのパンと二匹の魚で5000名を食べさせ、なお残るほどでした。私たちの神様は、人間の常識を超えて働かれる方です。目に見える現実ではなく、全能の主である神様を見上げましょう。私たちの神様は、私たちの心と願いをご覧になり、多くのたましいを食べさせる方です。


適用:少ないものであっても信仰によってささげよう

一言:食べて残るほどにしてくださる


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