聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 03月 18日 (月)

列王記第二 13:1-13 (4)
虐げられたときのみに求めたエホアハズ

 南ユダの王、アハズヤの子ヨアシュの第23年に、北イスラエルでは、エフーの息子エホアハズが王となりました。彼は、サマリヤで17年間統治しました。ところが、主の目の前に悪を行ないました。イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪に従い、そこから離れませんでした。これで主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをアラムの王ハザエルとその息子ベン・ハダデの手にいつまでも渡しておられました。イスラエルが虐げられると、エホアハズは謙虚になって主に求めました。主はこれを聞き入れました。神様は虐げられたイスラエルを哀れんで救い手を送ってくださいました。それで、イスラエルの民は、アラム人の支配から脱することが出来ましたが、それでも、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れませんでした。その罪を続け、サマリヤのアシェラ像もそのまま立っていました。再びアラムの王が北イスラエルに侵攻し、イスラエルの民を絶滅して打穀のときのちりのようにしました。騎兵50人と戦車10台、歩兵1万人のほかは残しませんでした。
 偶像崇拝を完全に捨てなかったとき、エホアハズは民をすべて奪われ、みすぼらしい国力しかない王になりました。彼の息子ヨアシュも、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れることなく、同じく行いました。偶像を崇拝するとき、神様は虐げと恥しさのうちに陥れます。エホアハズは苦しむときはしばらく神様に叫びました。しかし、少し回復すると、再び偶像を崇拝しました。


適用:虐げられるときのみ、叫びますか

一言:平安の時にも主に仕えなさい



2019年 03月 19日 (火)

列王記第二 13:14-25(19)
五回、六回、打つべきだった

 エリシャが死の病にかかると、イスラエルの王ヨアシュは彼にきて、涙を流しながら、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫びました。この言葉は、エリシャの権威と影響力をよく示しています。エリシャは北イスラエルを守る力であり、彼がいる限り、強大国はイスラエルを見下すことはありませんでした。ヨアシュは、百万の大軍よりも力になったエリシャがこの世を去ることを惜しみ、イスラエルの将来の安危を心配しました。エリシャは、ヨアシュが弓をつかむようにさせた後、自分も王の手を握りました。そしてイスラエルを脅かすアラムに向かって窓を開き、矢を射るようにしました。その矢は主の勝利の矢、アラムから救う矢であり、主が彼の敵を滅ぼして下さるという約束を、エリシャは与えました。その後、エリシャは再びヨアシュ王が矢を拾って地面を打つように言いました。しかし、王は力弱く地面を三回打ってから、やめてしまいました。それで、神の人エリシャは、五、六回打つべきだったのにそうしなかった、と怒りました。ヨアシュに、アラムの軍隊に勝てるという信仰が足りないのを見たからです。エリシャは、王が三回しか勝てないだろうと言いました。神様の約束に対して、私たちも信じ切れずに、途中で祈ることをやめてしまったり、期待しなくなったりすることがあります。しかし、イエス様は、「あなたがたの信仰のとおりになれ。(マタイ9:29)」と言われます。信仰は、キリストについてのことばを聞くことから始まります(ローマ10:17)。自分や人々、あるいは状況を見ても信仰は生まれません。イエス・キリストについて読み、聞き、黙想しましょう。そうすれば、信仰が生まれます。
 エリシャの骨に触れた死体が、生き返って立ち上がりました。死んでからも、エリシャを通して神様の偉大な力が現れました。彼は、復活の主イエス様のモデルです。神様は、北イスラエルが偶像崇拝していたときに彼らを懲らしめましたが、信仰の先祖との約束のためにいつまでも我慢しました。エリシャの言葉通り、ヨアシュはアラムの王ベンハダドを三回打って勝利してイスラエルの町を回復しました。


適用:信仰の通りになることを知っていますか

一言:勝利の確信を持ちなさい


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