聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 03月 21日 (木)

列王記第二 15:1-16(4)
高き所は取り除かなかったので

ユダの王アザルヤは、すべて父アマツヤが行った通りに主の目にかなうことを行いました。しかし、高き所は取り除きませんでした。これにより、民はまた高き所でいけにえをささげ、香をたきました。高き所は、元々はカナン人が彼らの神に仕えるためのところでした。ところが、イスラエルの民がカナンを征服した後に、そこでイスラエルの神様にいけにえをささげました。神殿が建設される前には、ソロモンも、そこでいけにえをささげました。神殿が建設された後も民は依然として高き所でいけにえをささげました。ところが、高き所には、カナンの地の神バアルとアシュタロテに仕える慣習がまだ残っていました。そのため、偶像崇拝と真の神への信仰が混在するようになりました。民は次第に神様のみに仕えず、彼らを滅亡に至らせた偶像も崇拝するようになりました。
なぜ王たちは高き所を取り除くことができなかったのでしょうか。それは、エルサレムの神殿まで行っていけにえをささげることが不便だったからです。家の近くにある高き所を利用する事が、もっと便利だったのです。それだけではなく、バアルとアシュタロテに一緒に仕えるなら、豊かさと多産も得られると考えました。それで、すべての行いを主の目にかなうことを行った王でさえ、高き所を取り除けませんでした。このように便利さを追う心と、この世でもっと多くのものを得たいという心が、民を神様から遠ざけました。彼らは今、神様を愛する代わりに偶像を求めました。北イスラエルの王たちは、神様の目の前にかなうことを行うどころか、ヤロブアムの罪から離れませんでした。このような北イスラエルでは、絶えず反逆が起こり、結局は滅亡してしまいました。
 便利な方法で神様に仕えたいという心と、神様と世の豊かさを共に追いたい心が、私たちの中に高き所を作ります。高き所を作って仕えると、しばらくは楽で豊かになりそうですが、結局は、イスラエルの民のように滅亡してしまいます。神様のみに仕えて、心の高き所を取り除くことが、長く栄えて豊かになる道です。


適用:残った高き所がありますか

一言:取り除きなさい



2019年 05月 01日 (水)

列王記第二15:17-38(34)
主の目の前に

 ユダの王アザルヤの第三十九年に、メナヘムがイスラエルの王となりました。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。アッシリヤの王プルがこの国に来て攻撃しようとすると、メナヘムはイスラエルのすべての有力な資産家にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、プルに銀一千タラントを与えました。
 メナヘムが死んで彼の息子ペカフヤが王となりました。ペカフヤは二年間国を治めましたが、主の目の前で悪を行いました。ペカフヤの侍従ペカは彼を殺し、彼に代わって王となりました。ペカは 二十年間、王でありましたが、彼もまた、主の目の前に悪を行い、 ネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。ペカの時代にアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て全土を占領し、イスラエルの民をアッシリヤに捕らえ移しました。エラの子ホセアが謀反を企て、ペカを打ち殺し、王となりました。
 一方、ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となりました。ヨタムは、すべて父ウジヤが行ったとおり、主の目にかなうことを行いましたが、高き所は取り除きませんでした。そのため、民は高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていました。主はこのような彼を罰せられ、アラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに送って攻めるようにされました。
 世の王たちは、しばらく国を治めてからが死んでしまいます。彼らに対する聖書の評価の基準は、彼らが主の目の前に悪を行ったか(18、24、28)、それとも主の目にかなうことを行ったか(34)、です。主の目にかなう生活だけが意味あるのです。私たちが人の前ではなく主の前で、主の目にかなう生活が出来るように祈ります。


適用:人生の中で意味あるものは何でしょうか

一言:主の目にかなうこと


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