聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 05月 02日 (木)

列王記第二16:1-20(11)
混合主義の危険

 イスラエルの王ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが二十歳でユダの王となりました。アハズはその父祖ダビデとは違って彼の神、主の前にかなうことを行わず、異邦の民の忌み嫌うべきならわしをまねて、自分の子どもに火の中をくぐらせることまでしました(2,3)。さらに、彼は、高き所、丘の上、青々と茂ったすべての木の下で、いけにえをささげ、香をたきました。アラムの王レツィンと、イスラエルの王ペカが、エルサレムに戦いに上って来た時、アハズはアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに援軍を頼みました。アハズの要請によってアッシリヤの王はダマスコをに攻め上り、そこを占領しました。アハズはアッシリヤの王に会うためにダマスコに行きました。そこで、アハズは王の祭壇を見て、その設計図と模型を祭司ウリヤに送りました。ウリヤはその設計図の通りに祭壇を築きました。アハズは帰って来てその祭壇の上でいけにえをささげました。また、彼はアッシリヤの王を恐れて神殿をも改造しました。車輪つきの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤をはずし、またその下にある青銅の牛の上から海も降ろして、それを敷石の上に置きました(17)。それに、安息日用のおおいのある道も、外側の王の出入り口も、主の宮から取り除きました。彼は神様に対する絶対性を失い、自分勝手な方法で神様に仕えました。
 神様に仕える時には、絶対的な姿勢で仕えなければなりません。人を恐れて妥協したり、世俗的な要素を付加したりするのはやめるべきことです。聖なる神様と世俗的なものが混ざることは、ありえないことだからです。絶対性を失い、世のものが混ざってしまえば、結局、信仰を捨てることになります。聖なる共同体が人間的な集まりに転落することになります。私たちが聖なる神様を恐れ敬い、信仰の純粋性を守っていくことが出来るように祈ります。


適用:人を恐れて妥協ようとしますか

一言:純粋性を守りましょう


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