聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 05月 07日 (火)

列王記第二19:1-19(19)
主だけが神である

 ラブ・シャケの甘い言葉を聞いたヒゼキヤは、気が挫かれることなく、人間的な解決策を探しませんでした。彼はラブ・シャケのことばに怒って、自分の衣を裂きました。彼のことばが神様を嘲笑い、そしるものだったからです。
 ヒゼキヤは、長老たちをイザヤのところに遣わして、祈りをささげてほしいとお願いしました。イザヤは「恐れるな。今、神様が一つの霊をアッシリヤの王に入れる。彼はあるうわさを聞いて自分の国に引き揚げ、その国で彼は剣で倒される」(6,7)と言って安心するように励ましました。イザヤの預言通りに、アッシリヤの王はクシュの王の攻撃を受けて退きました。そんな中でも、彼はヒゼキヤに手紙を送り、脅かしました。エルサレムは必ずアッシリヤによって占領されるようになると言いました。サタンの戦略は、最後まで恐れを植えつけて、自ら降参するようにさせることです。
 しかし、ヒゼキヤは巻き込まれませんでした。彼は主の宮に上って行って、ラブ・シャケからの手紙を主の前に広げて切実に祈りました。彼は「私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、他のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう」(19)と祈ったのです。ヒゼキヤの祈りは、単に現実の問題の解決のためではありませんでした。「主だけが神様である」ことを世界万民が知るようになるのを願う本質的な祈りでした。
 私たちも、周りのすべての人が、神様が生きておられることと、神様の栄光を見るように祈りましょう 。神様は、ご自分の栄光のために祈る時に、一番喜ばれ、確実に答えてくださるお方です。


適用:自分の祈りの究極的な目的は何でしょうか

一言:神様の栄光がすべての所に満ちるように



2019年 05月 08日 (水)

列王記第二19:20-37(20)
わたしに祈ったことをわたしは聞いた

 イザヤは、ヒゼキヤのところへ人をやって、「イスラエルの神、主は、」あなたの祈りを聞いてくださった、と知らせました(20)。神様は私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。特に、神様の栄光のために切に祈る時には、必ず答えてくださるのです。神様は私たちの祈りだけを聞かれる方ではありません。主を蔑み、そしるアッシリヤの王の高慢な言葉も全部聞かれています。事実、アッシリヤがエジプトを攻め上ることが出来たのも、大昔からの神様の計画があったからなのです。セナケリブは、ただ神様の摂理を成し遂げるための道具に過ぎません。それなのに、アッシリヤは自分の能力でエジプトを攻め取ったと高ぶりました。それで、神様は、彼の鼻には鉤輪を、口にはくつわをはめ、もと来た道に引き戻そうと言われます(28)。反面、イスラエルは遠くないうちに戦争の傷がいやされ、土地が豊かになると言われます。強大国アッシリヤが滅び、イスラエルの荒れ果てた地が豊かな地に変わるのは、人間の能力で出来るものではありません。万軍の主の熱心によってのみ成し遂げられることです。
 神様は、今も熱心に働いておられます。この神様の前で、謙遜でなければなりません。今、私たちが享受している救いの恵みとすべての祝福は、神様が一方的に与えてくださったものだからです。結局、アッシリヤの王セナケリブは、神様が主の御使いを送ってアッシリヤの陣営で十八万五千人を打ち殺したので、立ち去る以外に方法がありませんでした。彼は、その神ニスロクの宮で拝んでいた時に、自分の子らの剣で打ち殺されました。
 主の御使いは、神様を蔑む者には裁きの霊として、神様の御名を高くする者には勝利の霊として働かれます。


適用:すべての御業がどのようになされますか

一言:主の熱心によって


<<(1)    前のページ(18)    19    次のページ(20)    (24)>>

聖書別日ごとの糧