聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2019]

2019年 05月 13日 (月)

列王記第二23:1-20(6)
徹底した宗教改革

 ヨシヤ王はすべての民を集めて、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせました。彼は、御言葉によって自分自身が新しくされるだけでなく、すべての民の心が新しくなることを願いました。それから、心を尽くし、精神を尽くして、主のことばを実行することを誓いました。そして、徹底した宗教改革を始めました。
 第一に、宮を汚したすべての偶像を、粉々に砕いて灰にし、まき散らしました。宮はイスラエルの中心であり、たましいの故郷です。宮は神である主と交わりをし、祈るところです。ですから、神様に敵対して立てられた忌み嫌うべきものは、少しも残さず処理しました。バアルやアシェラや天の万象のために作られた器物をことごとく捨てました。そして、偶像に香をたく者どもを取り除きました。
 第二に、ユダの町々にある高き所を壊し、高き所の祭司たちを取り除きました。本来、その高き所は偶像ではなく神様に捧げるところでした。しかし、これが純粋な信仰を汚す温床になっていたので壊しました。
 第三に、北イスラエルでも徹底した宗教改革を実行しました。ヨシヤは、神の宮とユダ王国の改革だけで満足しませんでした。それまで、北イスラエルと政略的に交流しながら南ユダは悪い影響を受けていました。彼は根本からその問題を改革しようとしました。ヤロブアムの造った高き所と祭壇を壊しました。また、高き所の祭司たちをみな、殺しました。ヨシヤは、再び主の御言葉に聞き従わないことが起こらないように最善を尽くしました。


適用:罪の根を引き抜くために心を尽くしていますか

一言:粉々に砕いて灰にする



2019年 05月 14日 (火)

列王記第二23:21-30(26)
主は怒りを静めようとはされなかった

 ヨシヤ王は宗教改革をしながら、過越のいけにえをささげるようにしました。過越は、エジプトから救って下さった神様に感謝する日としてユダヤの祭りの中で一番大切な祭りです。しかし、士師の時代から約六百年間、その祭りを守ってきませんでした。それは、彼らが長い間、神である主を忘れて、感謝もしないで生きてきたことを意味します。ヨシヤは契約の書にしるされているとおりに、過越のいけにえをささげるようにし、すべての民が主に立ち返るように助けました。ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にも、彼の後にもひとりも起こりませんでした。
 ヨシヤは最善を尽くして律法を守り、先祖の墓に安らかに入る恵みを受けました。しかし、ユダに向けられた怒りを、主は静めようとされませんでした。祖父マナセが主の怒りを引き起こしたからです。それで、イスラエルを移したと同じように、ユダもまた、主の前から移すと言われました。「わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、わたしは退ける」と言われました。偶像崇拝と罪のない者の血を流した罪は、人の良い行いや熱心によっておおわれるものではありません。ヨシヤでさえ主の怒りを静めることができなかったのなら、私たちは言うまでもありません。今も不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されています(ローマ1:18)。
 ところが、神様の怒りがイエス・キリストの十字架の犠牲によって静められました。神様は、私たちの代わりに十字架につけられたイエス様をご覧になって、怒りを静められました。誰でもイエス様の御名によって出て来る者を神様は義と認めてくださいます。主はそのしもべのたましいを贖い出されます。主に身を避ける者は、だれも罪に定められません(詩編34:22)。


適用:主を憤らせる私の罪は何でしょうか

一言:幸いなことよ。彼に身を避ける者は(詩編34:8)



2019年 05月 15日 (水)

列王記第二23:31-24:7(24:3)
強国の板ばさみになったユダ

 ヨシヤ王が死んで、彼の子エホアハズが王となりました。彼は父の信仰を受け継がず、主の目の前に悪を行いました。エジプトの王パロ・ネコは、彼を幽閉し、エホアハズの兄エルヤキムをユダの王としました。そして、銀百タラントと金一タラントの科料を課しました。ヨシヤがエジプトに逆らい、またユダの民たちがパロの許可なくエホアハズを王としたからでしょう。
 パロ・ネコは、エルヤキムの名をエホヤキムと改めさせました。ユダがエジプトの属国となったことを象徴するためでした。エジプトの操り人形となったエホヤキムは、銀と金をパロに贈りましたが、パロの要求する分だけの銀を与えるためには、ユダに税を課さなければなりませんでした。エホアハズは悪を行いましたが、兄エホヤキムもエジプトの要求に従って民を苦しめる悪を行いました。
 その後、エジプトはバビロンとの戦いで負けました。神様は、預言者たちを遣わして、ユダがバビロンに降伏するように促しましたが、エホヤキムはそれに従わず、バビロンの王ネブカデネザルに反逆しました。このようなユダを、神様はバビロン連合軍によって懲らしめました。これが、「第一次バビロン捕囚」となりました。その時から、国際情勢の流れはエジプトからバビロンに移りました。エホヤキムが死んでから彼の子エホヤキンが王となりましたが、エジプトはバビロンとの戦いに負け、弱い国になっていました。国際情勢が激しく動く中でユダの王たちは信仰改革ができず、主の目の前に悪を行いました。
 外面的には、鯨のようなエジプトとバビロンの間で板挟みになったユダは、エビのように苦しんでいるようです。しかし、それは強国のせいではなく、神様に犯した罪のせいでした。マナセが犯した罪のため主はその罪を赦そうとはされませんでした。指導者は、強国ではなく、神様を恐れて正しい道を歩まなければなりません。


適用:強い勢力の間で苦しむ理由は何でしょうか

一言:罪のため


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