聖書別日ごとの糧   >>   歴代誌Ⅱ[2019]

2019年 07月 08日 (月)

歴代誌第二2:1-16(4)
 主の宮を建てる準備をするソロモン

 ソロモンは、主の御名のための宮を建てることを心に決めました。そのために、働く人々をそろえました。またツロの王ヒラムのもとに人を送り、ツロの杉を送ってくれるようにお願いしました。彼は主の宮を建てて、それを主にささげ、礼拝と祭りごとに全焼のいけにえをささげようとしました。彼は主の宮を建てても、主はそこだけにおられない方であることを知っていました。ただすべての偶像の神々にまさっておられる主の前に香をたくことで、神様に感謝を捧げ、栄光を返そうとしました。ソロモンは、これを通して、この国の中心は神様であることが証され、神様が王となり、この国を治めてくださるように願いました。
 彼は主の宮を建てましたが、自分がどれほど足りないものであるかを知っていました。だから、「主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。」と言ったのです。彼の謙遜な姿勢は、父ダビデと似ています。「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んで献げる力を持っているとしても。」(歴代誌第一29:14)ソロモンは父から主の宮の建築の使命だけでなく、謙遜な姿勢も受け継ぎました。神である主がどれほど大きな方であり、自分がどれだけ足りないものであるかを悟る時、私たちは謙遜に主の使命を担うことができます。
 ソロモンは主の宮を建てるために、当時の最高の建築技術を持っていたツロの王ヒラムに助けを求めました。彼は主の知恵はもちろんのこと、専門家の助けを得ることも忘れませんでした。ツロの王ヒラムは、技術者を送ることを約束しました。良い材料を送ってもらうことにもなりました。ソロモンが忠実で謙遜な心をもって主の宮を建てる準備をしたとき、神様はその環境を整えてくださり、人々をも与えてくださいました。神様の栄光を求める純粋な情熱をもって主に仕えるとき、主はりっぱな同労者たちを送ってくださいます。


適用:何のために主の使命を担っていますか

一言:主の御名のために



2019年 07月 09日 (火)

歴代誌第二2:17-3:17(3:1)
主の家の建設に取りかかったソロモン

 ソロモンが王になって4年目に、主の家の建設に取りかかりました。主の家が建てられるモリアの山は、アブラハムがひとり子イサクをいけにえとして捧げようとした所です。また、ダビデが人口調査を行い神様に罪を犯した後、全焼のいけにえをささげ、お赦しを頂いたとき、買ったオルナンの打ち場があったところです。(歴代誌第二21:28)ここは歴史的に主のご臨在があったところです。神様は罪を悔い改め、従順に従うところに臨まれます。新しい主の家であるイエス様は、私たちの代わりの贖いのいけにえとなられ、主に出ていくという生ける道を与えてくださいました。主の家を通して、罪深い私たちが主に出ていき、礼拝をささげ、主との交わりができるということは、どんなにすばらしい祝福でしょうか。
 ソロモンは、主の家の重要なところは純金で覆いました。これは主の変わらない栄光を象徴しており、主への忠誠の表れでした。私たちは純金のような信仰をもって、主に心を尽くさなければなりません。至聖所の中には、ケルブの翼を伸ばしたゲルビムの像が2つ据えられました。これは聖なる神様の威厳が満ち溢れていることの表れです。神様は全宇宙を治められ、われわれ一人ひとりを導いてくださいます。われわれは主の主権を受け入れ、主の統治の中にいるべきです。主の家にざくろを百個作り、鎖のところに取りつけましたが、これは豊かな主の御恵みを意味します。私たちは礼拝を通して豊かな神様の恵みを体験できます。主の家の前の右と左の二つの柱は、ヤキンとボアズと名づけられました。「ヤキン」は「彼は設立する」、「ボアズ」は「主の力によって」という意味です。主の家は、主の力によって建てられ守られる主の宮です。ハデスの門もそれには打ち勝てません(マタイ16:18)。主の宮である私たちにサタンは決して打ち勝つことは出来ません。聖なる主の宮である私たちは、罪悪を許してはいけません(コリント第一3:16,17)。ただ主の御恵みを望み、御霊に満たされなければなりません(エペソ5:18)。


適用:私の心の主の宮は、何で満ち溢れていますか

一言:御霊で満ち溢れますように


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