聖書別日ごとの糧   >>   歴代誌Ⅱ[2019]

2019年 09月 09日 (月)

歴代誌第二28:1-15(5,6)
アハズに対する神様のさばき

 アハズはユダの王でありながら、イスラエルの王たちのように、バアルを崇拝するのに熱心でした。神様はそんなアハズをさばかれました。主は、彼をアラムの王の手に渡され、ユダの多くの人は虜となって、アラムの首都ダマスコへ連れて行かれました。そしてレマルヤの子ペカによって、一日のうちに何と十二万人もの勇者たちが殺されました。さらに、ユダの女たちと子供たちを含めた二十万人もの人がサマリヤへ連れて行かれました。アハズの先代の王たちは、最初は主の目にかなおうとしましたが、次第に心が高ぶって偶像崇拝という罪を犯してしまいました。アハズの場合は、最初から最後まで主の目にかなうことを行わず、その父祖の神、主を捨て去りました。それゆえ、神、主はアラムとイスラエルをさばきの道具として用い、南ユダをさばかれたのです。いくら神様から選ばれた民であろうとも、神様から離れて偶像崇拝の罪を犯し続けるならば、神様は徹底的にさばかれるのです。
 しかし、このような厳しいさばきの中でも、神様は「オデデ」というイスラエルの預言者を通して、ユダの民たちを哀れんでくださいました。オデデは、これは偶像の罪に対する神のさばきであることを彼らに説明すると共に、激しい怒りを持ってユダの多くの人を殺したイスラエルの罪をも指摘しました。そして、こう言いました。「今、私に聞きなさい。あなたがたが自分の同胞をとりこにしたそのとりこを帰しなさい。主の燃える怒りがあなたがたに望むからです」(11)。このようにして、ユダの民たちは自分たちの故郷へ帰ることができました。これは神様の一方的な愛と哀れみによるとしか言いようがありません。神様は罪に対しては徹底的にさばかれますが、同時にご自分の民を哀れんで下さるお方です。神様の目的はさばきではありません。さばきを通して彼らが罪を悔い改め、神へと立ち返って来ること、それが神様の本当の狙いなのです。


適用:主の目にかなうことを行っていますか

一言:神のさばきと哀れみ



2019年 09月 10日 (火)

歴代誌第二28:16-27(22)
ますます主に対して不信の罪を犯したアハズ

 アハズ王が続けて神に背く罪を犯すと、神様はエドムとペリシテ人を通して、ユダを打つようにされました。この時、アハズは自分の罪を悔い改めて、神様に立ち返るべきでした。しかし、彼は神様よりもアッシリヤの王たちを頼って、彼らに助けを求めました。ところが、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルは、むしろ彼を攻め、悩まし、彼の力にはなりませんでした。それで、アハズはアッシリヤの王の関心を買うために、主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って送りましたが、何の助けにもなりませんでした。それでも、アハズ王は悔い改めず、ますます主に対して不信の罪を犯しました。彼は、世の強そうな国の神々に頼りながら、なんとか突破口を捜そうとしました。しかし、残念ながら彼が頼ろうとしたこの神々は、むしろ彼と全イスラエルをつまずかせるものとなったのでした(23)。
 彼は神様の御前に出て行って、神様に祈り、神様だけに助けを求めるべきでした。でも、彼は頑なな心になって神様には立ち返らず、ますます主に対して不信の罪を犯したのでした。彼は、主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造りました。ユダの町すべてに、他の神々に香をたくため高き所を造りました。このように彼の罪はどんどんエスカレートし、自分だけでなく、民たちをも滅びに導きました。罪の属性はこのようなものです。罪は悔い改めないと、ますます悪い方向へ大きく成長していくのです。だから、一度罪を犯した時に、直ぐ神様の前で素直に悔い改めるのが良いのです。もし、アハズが自分の罪を心から悔い改めたならば、神様は彼を助け、彼の国を強固にしてくださったはずです。結局、彼は民たちにも尊敬されず、死んだ後にはイスラエルの王たちの墓に入ることもできませんでした。これは彼が神様からさばきを受けたことを意味します。このようなアハズの惨めな生涯は、悔い改めず、神様へ立ち返らなった者の愚かさを物語っているのです。


適用:罪を犯した時に、あなたはどうしますか

一言:悔い改めて神様だけに頼りましょう


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