聖書別日ごとの糧   >>   歴代誌Ⅱ[2019]

2019年 09月 11日 (水)

歴代誌第二29:1-19(5)
主の宮を聖別したヒゼキヤ

 ヒゼキヤが王になってからまず行ったことは、主の宮を聖別することです。彼は、なぜ主の怒りがユダとエルサレムの上に下り、異邦人のあざけりとなり、剣に倒れたのかを知っていました。それは政治的な問題でも軍事力の問題でもありませんでした。父祖たちが不信の罪を犯し、主の目の前に悪を行い、主を捨て去って、その顔を主の住まいからそむけ、背を向けたからです(6)。主の宮に偶像を立て、聖所でイスラエルの神に香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかったからです(7)。ヒゼキヤは、イスラエルが主を捨て去り、偶像に従ったことが問題であることを知り、偶像を取り除こうとしました。父アハズ王が関わっていたことであっても、ためらいませんでした。彼は、祭司とレビ人に協力を頼みました。主が彼らを選び、ご自分の前に立たせ、ご自分に仕えさせ、ご自分のために、仕える者とされたことを言いました。そこで、レビ人は立ち上がって、主のことばによる王の命令のとおりに、主の宮をきよめました。長い間放置して汚くなった家を掃除するように、彼らは主の宮にある汚れたものをみな外に持ち出し、キデロン川へ持って行きました。主の宮を全部きよめるのに二週間かかりました。
 主に対するヒゼキヤの情熱は、聖所を聖別し、礼拝を回復させることを通して表れました。クリスチャンの体は、主の霊が住まわれる聖なる宮です。根本的な問題は外部にあるのではなく、内部にあります。私の中で神様に背を向け、祈りの火を消し、神様と交わりをせず、また、多くの偶像を入れて置いたのが問題なのです。それを悔い改めてきよめることが礼拝を回復する第一歩です。


適用:聖所の中に汚れたものはありませんか

一言:出してしまいなさい



2019年 09月 12日 (木)

歴代誌第二29:20-36(27,28)
ヒゼキヤ王の時の礼拝

 ヒゼキヤはきよめられた主の宮でつかさたちとともにいけにえを捧げました。全焼のいけにえと罪のためのいけにえを捧げました。敬虔な心で厳粛に行いました。しかし、それは、礼拝ではありませんでした。
 ヒゼキヤ王はダビデ時代のように、レビ人にシンバルと十弦の琴と立琴を持たせて主の宮に立たせました。祭司はラッパを手にして立ちました。そして、全焼のいけにえをささげ始めた時に、主の歌が始まり、ラッパがダビデの楽器とともに鳴り始めました。全集団は伏し拝み、歌うたいは歌い、ラッパ手はラッパを吹き鳴らしました。喜びの礼拝を捧げました。その後、ヒゼキヤ王は感謝のいけにえを主の宮に携えて来るように命じました。そこで集団は、感謝のいけにえを携えて来ました。心から進んでささげる者がみな、全焼のいけにえを携えて来ました。彼らが持って来た感謝のいけにえと全焼のいけにえはあまりにも多く、祭司たちは、皮をはぎ尽くすことができないほどでした。それでレビ人が、その仕事に加勢しました。ヒゼキヤとすべての民は、神様が民のために整えてくださったことを喜びました。このことが即座に行われたからです。
 このような礼拝を、なぜ捧げることができたのでしょうか。王とすべての民が神様に立ち返ったからです。彼らの礼拝には罪の赦しと献身、賛美と感謝が溢れていました。また、自ら進んで捧げる礼拝でした。私たちがこのように神様の臨在を体験する生きた礼拝を捧げることができるように祈ります。


適用:どんな姿勢で礼拝を捧げていますか

一言:賛美と歌と感謝のいけにえを持って


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