聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2022]

2022年 03月 24日 (木)

詩篇101:1-8(2)
私は全き道に心を留めます

 ダビデは神様の民イスラエルの王です。彼は、神様の家をどのように治めようとしましたか。一番目、彼は神様の恵みと裁きを歌うと言っています。これは、真の王であられる神様の御心が実現されるように、民を神様のご品性をもって治めようとする決心です。二番目、全き道に心を留めました。全き道は、神様と共に歩む道です。全き心は、神様のご臨在を慕う心です。ダビデは王としての職務を遂行するために、主の御前で全き心で行き来しました。三番目、卑しいことを見ないようにしました。卑しいこととは、悪くて無法で曲がったわざのことです。それらは神様を捨てた背教者たちが楽しんで求めるものです。指導者は、こういうものを見ると心が腐敗し分別力を失います。ダビデは、神様の民の面倒を見るために目の純潔を守ろうとしました。四番目、ダビデは悪を知ろうともしませんでした。邪悪な心は曲がった心をもって陰で自分の隣人をそしる心、高慢な心です。ダビデはこういう人々を遠ざけました。五番目、忠実な人たちを近くに置きました。忠実な人たちは、神様の御前で真実な人であり、約束を真実に守る人です。偽りが満ちた世の中で、忠実な人は、いかに貴重な存在(宝)でしょうか。忠実な人は刈り入れの時の冷たい雪のように、私たちの心を生き返らせてくれます(箴言25:13)。

 ダビデは朝ごとに、国の中の悪しき者をことごとく滅ぼそうとしました。彼は、なぜそこまで熾烈に悪と戦うのでしょうか。神様の家に悪が住むことがないようにするためでした。悪は、本質的には神様の主権に逆らいます。悪を容認するなら、神様の御心を成し遂げる管理人にはなれません。悪しき者を容認する時、神の民に仕える指導者になれません。私たちが神様の羊の群れに仕える指導者になるためには、悪と熾烈な戦いをしなければなりません。私たちを牧者として立ててくださった主の御心を考えるなら、全き道を歩むために心を定めて罪と戦わなければなりません。



適用:霊的な指導者としての職分を良く担っていますか

一言:悪と戦ってください


<<(1)    前のページ(18)    19    次のページ(20)    (46)>>

聖書別日ごとの糧