聖書別日ごとの糧   >>   アモス書[2014]

2014年 12月 16日 (火)

アモス8:1-14
主のことばを聞くことのききん

 神である主はアモスに、一かごの夏のくだものの幻を見せてくださいました。夏のくだものは、「熟した果物」であり、収穫期が終わったことを現わしています。今、主がその民をさばく時が来たことを、意味しています(2)。神様がさばかれる日、宮殿の歌声は泣きわめきになります。多くのしかばねが至る所に投げ捨てられます。このみじめな日が来たのは、彼らの罪が原因です。人々は貪欲に目がくらみ、多くの罪を行ないながら、彼らの日は永遠に続くと考えています。しかし、罪人の日は、いつまでも続きません。神様は、彼らのしていることをみなご覧になり、いつまでも決して忘れません。時になると、全地が震え上がるほどのさばきを行なわれます。
 主は、さばきの日にききんを送る、と言われました。これは、食べ物がなくて飢えるのでもなく、水がなくて渇くのでもありません。主の御言葉を聞くことができない飢饉です。その時、人々は主の御言葉を求めます。海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡ります。しかし、主の御言葉を得ることができません。その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てます。人が主の御言葉を聞く時、主が共におられ、その愛を悟ることができます。人生の方向をつかみ、力を得ます。それでいくら、青春真っ盛りの男女であっても、主の御言葉がなければ、根本からさまようようになります。いつも、のどの渇きと疲れによって、あえぐようになります。それで、渇き疲れた者は主の御言葉を捜さなければなりません。

祈り:主よ!御言葉がなく、渇き、疲れた若者たちに対する牧者の心情を私にくださり、彼らの聖書の先生として、用いてください。

一言:御言葉を伝えさせてください。


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