聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 05月 19日 (日)

ヨハネの福音書15:1-17 (4)
わたしにとどまりなさい

世には多くの偽りのぶどうの木があります。それらは人生のエネルギーと時間を奪いとるだけで、何の良い実も結びません。ところが、弟子たちはまことのぶどうの木であるイエス様を知り、彼につくようになりました。どれほど感謝すべきことでしょうか。神様は、実を結ばないのに栄養分だけ吸い取る枝を取り除かれます。献身がうわべだけでイエス様に従うことをしない人たちは、ぶどうの木から切り離されるのです。また、実を結ぶ枝に対しては、もっと多く実を結ぶために、「刈り込みをなさいます」(2)。この表現の直訳は「きよくなさいます」であり、口語訳聖書では、「これを手入れしてきれいになさる」と訳されています。イエス様の弟子たちは、イエス様の御言葉によってきよくなったので、幸いな人々です。しかし、続けて御言葉を聞く生活をしながら、御言葉によって心を日々新たにされ、きれいな心に変えられていく必要があります(ローマ12:2)。それでイエス様は、御言葉によってきよくなった弟子たちに「わたしにとどまりなさい」と言われました。実というのは、枝が頑張って自分で結ばせるものではありません。枝が木にしっかりとつながっている時、いつの間にか結ばれるのが実です。それで、イエス様を離れては、弟子たちは何もすることができないのです。

イエス様にとどまり、イエス様のことばがその人の内にとどまっているなら、何でも欲しいものを求めると、それらがかなえられます。イエス様にとどまることは、イエス様の御言葉にとどまることです。御言葉を受け入れ、従うことです。イエス様にとどまる生活は拘束と制限を受ける生活ではなく、多くの実を結び、まことの自由と幸せを享受する最高の生活です。その人が多くの実を結び、イエス様の弟子となることによって、神様は栄光をお受けになるのです。  



祈り:イエス様にとどまる生活は多くの実を結ぶものであることを悟ります。どうか私の考え、選択、行動の全てにおいて、御言葉が基準となり、私がイエス様から離れない生活をするように助けて下さい。

一言:多くの実を結びます



2024年 05月 20日 (月)

ヨハネの福音書15:18-27 (19)
世はあなたがたを憎むのです

世がイエス様の弟子たちを憎むのは、イエス様を憎むからです。もし弟子たちがこの世のものであったなら、世は彼らを愛したでしょう。しかし、弟子たちは世のものではなく、かえってイエス様が世から彼らを選び出したので、世は彼らを憎むのです。世の人々はイエス様を遣わした神様を知らないので、そのようなことをします(21)。しもべはその主人にまさるものではありません。もし人々がイエス様を迫害したなら、弟子たちのことも迫害します。イエス様の弟子であるのに迫害を受けないなら、それは、むしろおかしいのです。

世にはイエス様の弟子たちを迫害する人しかいないのではありません。イエス様の御言葉を守ったように、弟子たちのことばを守る人々もいるでしょう。これは弟子たちに慰めと励ましになります。迫害する人々は、なぜ自分たちの罪について弁解の余地がないのでしょうか。イエス様が来られて、父なる神様について、真理について話をしたからです。イエス様はほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行われました。それによって彼らはイエス様とともにおられる神様を見たのです。それにもかかわらず彼らがイエス様を憎んだのは、詩編35:19、69:4の「ゆえもなく私を憎む」という御言葉が成就するためです。彼らは理由なしにイエス様を憎んだのです。それは、彼らが根本的には、この世のものだからです。イエス様はご自分が行われたわざによってご自分を証しされました。これからは神様から遣わされる助け主、すなわち真理の御霊と、初めからイエス様と一緒にいた弟子たちが、イエス様について証しします。



祈り:イエス様に選ばれた私たちが世に憎まれるのは、世が神様をまだ知らないからだと学びます。憎まれることを恐れずに、ともにおられる真理の御霊とともに、私たちがイエス様を証しするように、力をどうかお与えください。

一言:世はあなたを憎むのです


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