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2000年 12月 19日 (火)

創世記3:1-15
女の子孫を約束された神様

Ⅰ.アダムを訪ねて来られた神様(1-13)
 神様は、人間を愛してくださりエデンの園を設けられ、そこで幸せに生きるようにしてくださいました。ところが、彼らはサタンの誘惑を受け、神様と同じくなろうという高慢によって神様が食べてはならないと禁じられた善悪の木から実を取り、食べてしまいました。罪を犯した彼らは、神様を恐れて園の木の間に身を隠しました。しかし、神様は、彼らに訪ねて来られました。「あなたは、どこにいるのか。」(9)神様は罪を犯して恐れて隠れていた私たちを救うために、訪ねて来られました。
Ⅱ.救い主を約束された神様(14-15)
 神様はエバを誘惑した蛇、すなわちサタンを呪われました(14)。そしてサタンに、「女の子孫」によって滅びることを預言されました(15)。ここで、「女の子孫」とは、キリストを指し示していますが、この御言葉はこの世にキリストを遣わされることに対する神様の最初の約束です。特にキリストを、「女の子孫」と言ったのは、キリストがこの世に来られる時、女の身を通し、人として来られることを示唆したことです。この約束の通りに、時になって神様はイエス・キリストを、処女マリヤを通してこの世に遣わされました。イエス様はこの世に来られて裁かれるしかなかった人間の代わりに、十字架につけられて死なれ、また三日目によみがえられました。イエス様の死と復活によってサタンの勢力は踏み砕かれ、人類は救いを得るようになりました。

祈り:主よ!高慢な罪人を罪と恐れから解放させるためにイエス・キリストを約束し、遣わしてくださったことを感謝します。

一言:イエス様は約束されたキリスト



2000年 12月 20日 (水)

イザヤ書7:1-16
インマヌエル

Ⅰ.恐れるな。心を弱らせるな。(1-9)
 ユダは、アラムとイスラエルの連合軍が攻めてくるという報告を聞いて、林の木々が風で揺らぐように動揺しました。そこでイザヤはアハズ王に、「恐れないこと、心を弱まらせてはならないこと」を言いました。なぜなら、歴史の主観者であられる神様は、彼らの企みを砕かれるからです。神様の民が、どんな危機の中でも恐れてはいけないのは、神様がともにおられるからです。
Ⅱ.その名を『インマヌエル』と名づける(10-16)
 神様は、「恐れてはならない。」と言われましたが、アハズは苦しい現実のために恐れ続けていました。イザヤはそんな彼に神様から、「しるし」を求めるように言いました。しかし、アハズは神様に対する信仰がなかったので、イザヤの言葉を聞き入れませんでした。そこで、神様は自らしるしを与えられました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(14)
 『インマヌエル』とは、「私たちとともにおられる神様」という意味です。この御言葉はアハズ王に与えられた御言葉であるだけではなく、キリストに対する預言です。この預言は処女マリヤからイエス様がお生まれになったことによって、成就しました(マタ1:23)。イエス・キリストの誕生は、恐れのために惨めな人生を生きるしかない、私たち人間とともに神様がおられるしるしです。

祈り:主よ!人となられた主を仰ぎ見、神様が私たちとともにおられることを信じます。これから恐れることなく、信仰によって生きます。

一言:「私たちとともにおられる神様」



2000年 12月 21日 (木)

イザヤ書9:1-7
ひとりのみどり児

Ⅰ.大きな光(1-5)
 イザヤ当時イスラエルは、暗闇と死の影に苦しめられていました。彼らには希望がありませんでした。ところが、イザヤはやがて彼らの中にメシヤが来られることを、預言しています。メシヤが来られると、異邦人のように蔑視されていたガリラヤが栄光を受け、やみと死の陰の地で苦しんでいた彼らが大きな光を見ます。重荷のくびきと、虐げられていた苦痛から、救われるようになります。
 人々は、やみに座っている者のようにその考えと心が暗くなっています。また、人間にはさまざまな所から襲ってくる重荷と、ストレスのために苦しんでいます。特に、罪の重荷と、サタンの圧制は人々を滅亡に陥れます。こんな人々に、キリストは大きな光となられます。
Ⅱ.みどり児(6,7)
 メシヤは、ひとりのみどり児としてこの地に来られます。しかし、このみどり児の肩には主権があり、その名は不思議な助言者です。「不思議な助言者」とは、私たち人間の理性を超えて、宇宙万物と世界の歴史を主管される方であることを意味しています。また、このみどり児は軟弱な人間を助けられる力ある神様であり、孤児のような私たち人間を世話する永遠の父です。何よりも人間を平和によって治められる平和の君です。このみどり児が、処女マリヤを通してこの地に来られたイエス・キリストです。

祈り:主よ!やみと死の権威によって苦しんでいた罪びとを救うために、ひとりのみどり児として来られたことを感謝します。

一言:ひとりのみどり児



2000年 12月 22日 (金)

イザヤ書11:1-9
新芽

Ⅰ.新芽が生え(1-5)
 イザヤは、メシヤを通して成し遂げられる新しい歴史を見ました。神様は、レバノンの林の茂みのように威張っていた世の指導者たちを切り落としました(10:33)。その代わりに、ダビデの父エッサイの根株から新芽を生えさせ、新しい歴史を始められます(1)。新芽は、芽生えるときは小さく見えます。しかし、その芽は育ち、枝になり、実を結ぶ木に生長します。
 「新芽」はイエス・キリストを指しています。イエス様は「主の霊」、すなわち知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊によって満たされています。それで、新しい歴史を始め、成し遂げられます。
Ⅱ.これらは害を加えず、そこなわない。(6-9)
 失楽園になってしまったこの世では、狼と子羊、ひょうと子やぎ、子牛と若獅子が互いに敵対し殺し合います。しかし、メシヤが来られると、妬みと競争、弱肉強食が消え去り、平和が臨まれます。獅子が牛のように草を食べ、乳離れした子はコブラの穴の上で戯れます。その地のどこにいてもこれらは害を加えず、そこないません。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからです。過去の罪悪の歴史は消え去り、楽園が回復されます。このような新しい歴史は、やがて再び来られるイエス様によって、完成されます。しかし、イエス様がこの地に来られたことによって、すでにその歴史は始まりました。

祈り:主よ!この地は憎しみと殺人と戦争の歴史が続いています。イエス様による、平和と和解の歴史が成されるように助けてください。

一言:イエス様による平和



2000年 12月 23日 (土)

マタイノ福音書1:1-17
恵みと哀れみの主

Ⅰ.恵みと哀れみに満たされたイエス様(1-11)
 イエス様は、人間的にアブラハムとダビデの子孫です。神様はアブラハムとダビデに、彼らの子孫からキリストを送ると約束されました(創22:17,19.Ⅱサム7:12,13)。ですから、イエス様は神様が約束されたキリストです。アブラハムから始まり、ダビデを経て、イエス様に至るイエス様の系図には、四人の女性が登場しています。ところが、ラハブとルツは異邦人であり、タマルとウリヤの妻は不倫した女たちでした。しかし、神様は彼らをご自分の救いのみわざに用いられました。この神様は、卑しい者たちを選んで用いられる、哀れみの神様です。人間的な条件よりも信仰をご覧になる、恵みの神様です。
Ⅱ.歴史の中心になられるイエス様(12-17)
 アブラハムから始まったユダの歴史は、アブラハムからダビデまでが十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になります。このようにイスラエルの歴史はイエス様の誕生に集約されます。神様は、約束されたキリストを送られるまで、絶えず働かれました。この神様は、約束のとおりにキリストが再び来られてこの世をさばき、神の国を完成するまで働いておられます。

祈り:主よ!罪人の信仰をご覧になって、救いを施してくださった恵みを感謝します。私も、主の救いのみわざに用いられるように祈ります。

一言:恵みと哀れみのイエス様



2000年 12月 24日 (日)

マタイノ福音書1:18-25
その名をイエスとつけなさい

Ⅰ.罪から救ってくださるイエス様(18-21)
 ヨセフと婚約しただけの処女マリヤが、身重になったことを知ったヨセフは、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めました。そのとき、主の使いがヨセフの夢に現われて、マリヤの胎に宿っている赤ちゃんが誰であるかを教えてくれました。
 主の使いは、まずイエス様が人間的な方法によってではなく、聖霊の力によってマリヤの胎に宿ったことを、知らせてくれました。聖霊によって宿られたので、イエス様は普通の人とは違って、罪がない方です。
 主の使いはまた、「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい」と、言いました。「イエス」とは、「主は救われる」と、いう意味を持っています。世の中にはさまざまな問題がありますが、最も根本的な問題は罪の問題です。罪から来る報酬は死です(ロマ6:23)。死後にはさばきを受けることが定まっています(ヘブ9:27)。イエス様は、罪による死とさばきから、私たちを救うためにこの世に来られました。
Ⅱ.インマヌエルのイエス様(22-25)
 イエス様は〈インマヌエル〉(23)という名も持っておられます。この名の意味は、「神は私たちとともにおられる」ということです。聖なる神様が、罪と傷だらけで卑しく悲しい人生を生きるしかない人々とともにいるために、また私たちを救うためにこの地に来られました。「インマヌエル」イエス様を受け入れるとき、私たちは罪と悲しみから救いを得ることができます。

祈り:主よ!誰も癒すことのできない罪と心の病から、私たちを救うために来られたイエス様の恵みに、感謝と賛美をささげます。

一言:「その名はイエス」



2000年 12月 25日 (月)

マタイノ福音書2:1-12
ひれ伏して拝んだ

Ⅰ.星に従って来た東方の博士たち(1-8)
 ユダヤ人の王ヘロデの時代に、東方から博士たちがエルサレムに来ました。彼らは聖書に約束されたメシヤの星を見て彼を拝むために来ました(2,民24:17)。彼らはメシヤを待ち望み、長い間夜空を観測してきました。いよいよその星が現われた時、彼らはメシヤに会うために遥かな地に向かって旅立ちました。山を越え、谷を渡りました。彼らはメシヤに会うために多くの時間を費やし、人々と違った生活をしなければなりました。彼らは本当の求道者でした。
Ⅱ.ひれ伏して拝んだ東方の博士たち(9-12)
 博士たちは、星について来る途中星を失ってしまいました。しかし、ベツレヘムに向かう途中で、再び現われて彼らを導きました。メシヤの星は、御自身を捜し求める者を決して捨てることがありませんでした。その星を見て、東方の博士たちはこの上もなく喜びました。彼らはその家にはいって、イエス様が母マリヤとともにおられるのを見ました。彼らは、このイエス様が聖書に約束されたユダヤ人の王であり、イスラエルの牧者であることがわかりました。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱をあけて、、乳香、没薬を贈り物としてささげました。真の礼拝の対象を見つけ、その前で拝むことができた博士たちこそ本当に幸せな人たちです。キリストの誕生を聞いて騒ぎ、殺そうとしたヘロデは絶対にこの幸福を知ることができません。

祈り:主よ!主こそ真に私の王であり、礼拝の対象であることを信じます。私が東方の博士たちのように最も貴いものをささげて拝みます。

一言:「ひれ伏して拝んだ」


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