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2002年 12月 19日 (木)

創世記3:1-15
女の子孫

 創世記3:15節はイエス様の誕生に対する神様の最初の約束です。それでこれを指して原始福音と呼んでいます。
Ⅰ.アダムを探される神様(1-13)
 エデンの園で幸せに生活していたエバはサタンの誘惑を受けて善悪の知識の木の実を食べました。そして夫にも与えて食べさせました。善悪の知識の木の実を食べた結果彼らの内面に羞恥心と自意識が生じました。彼らは不安と恐れに捕らわれて、嘘をつくようになり、神様の御顔を避けて木の間に身を隠したことで存在意味を喪失しました。ところが愛が豊かな神様は罪を犯し罪意識と恐れで震えているアダムにまず訪ねて来られました。そして「あなたは、どこにいるのか。」と愛の御声で悔い改めることを促されました。
Ⅱ.救いの種を約束された神様(14,15)
 神様はエバを誘惑した蛇を呪われました。そして結局は女の子孫を通してサタンが滅びるようになることを預言されました。ここで、女の子孫とはイエス・キリストを指します。彼を「女の子孫」と言われたのは、処女マリヤを通してイエス・キリストをこの地にお遣わしになったからです。そして預言の通りに十字架の死と復活を通して、サタンを滅ぼされ、人類の救いを完成させました。イエス様はエデンの園で神様が約束された救い主です。

祈り:父なる神様、罪を犯した人間のために救い主を約束し、約束通りにイエス様を遣わしてくださり感謝します。

一言:約束された救い主イエス様



2002年 12月 20日 (金)

イザヤ書7:1-25
インマヌエルと名づける

Ⅰ.気をつけて、静かにしていなさい(1-9)
 神様はユダヤの王アハズに「アラムの王レツィンとイスラエルの王ベカは煙る燃えさしに過ぎないので心を弱らせてはならない。」と言われます。「気をつけて、静かにしていなさい。」と言われます。なぜなら歴史の主観者である神様が彼らの悪事を止められるからです。神様の民はどんな危機の時にも神様を信じ、気をつけて、静かにしていなければならないのです。
Ⅱ.インマヌエルと名づける(10-17)
 神様は、アハズにしるしを求めることで、神様が共におられることを確認して見ることを願われました。しかしアハズはエジプトに頼る心があったので神様の助けを拒みました。
 しかし神様は「主みずから、一つのしるしを与える。」と仰せられました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(14)それは処女がみごもって男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づけるというものでした。「インマヌエル」とは「私たちと共におられる神様」という意味です。インマヌエルの子どもは神様が共におられるユダヤ人を指します。同時に750年もの後に生まれ、人類の救い主になられるイエス様を指します(マタ1:23)。イエス様は私たちと共におられる神様です。

祈り:主よ!主が私たちと共におられるために肉体を着てこの地に来られたことを感謝賛美します。私はインマヌエルのイエス様に頼ります。

一言:イエス様は私たちと共におられる神様



2002年 12月 21日 (土)

イザヤ書9:1-7
永遠の父

Ⅰ.くらやみを照らした大きな光(1-5)
 イザヤは絶望的な時代に将来メシヤの誕生を仰ぎ見て勝利の歌を歌います。彼はメシヤが来られれば、辱しめを受けた異邦人のガリラヤが栄光を受け、やみと死の陰の地でしいたげられていた人々が大きな光を見るようになると預言しました。またサタンの圧制と罪のくびきから抜け出し、全ての悲しみが消え救いの喜びが満たされるようになると預言しました。みどりごイエス様はくらやみを照らされた大きな光です。このイエス様を受け入れればすべてのやみと死の権力が退くのです。
Ⅱ.ひとりのみどりご(6,7)
 イエス様は弱く謙遜なひとりのみどりごの姿で私たちに来られました。では、このみどりごはどんな方でしょうか。
*不思議(Wonderful):イエス様は宇宙と万物をお造りになった創造主であり、私たち人間の理性と理解を超越される方です。
*助言者(Counselor):イエス様は無限の知恵で人々を助けてくださる偉大な助言者です。
*力ある神:イエス様は全能なる神様です。
*永遠の父:イエス様は孤児のような私たち人間を繊細に面倒を見てくださり、保護してくださる父親です。永遠の本当の父親です。
*平和の君:イエス様は公平と正義、愛と平和で人々と世を統治される平和の王です。

祈り:傲慢で臭う罪人たちに仕えるために「ひとりのみどりご」の姿で来られたイエス様を愛します。イエス様は私のお父さんです。

一言:永遠の父



2002年 12月 22日 (日)

イザヤ書11:1-16
万物の回復者イエス様

Ⅰ.正義はその腰の帯びとなり(1-5)
 イザヤはメシアがダビデの子孫としてエッサイの根株から出ることを預言しました。その方は主の霊、すなわち知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊で満たされるようになるのです。その方は主を恐れることを喜びとします。正義はその腰の帯びとなり、真実はその胴の帯びとなるのです。
Ⅱ.楽園を回復されます(6-9)
 失楽園となった世では、狼と子羊、ひょうと子やぎ、雌牛と熊は互いに敵対し、引き裂いて殺します。しかしメシヤが来られれば、すべての敵対関係が崩れてしまいます。ねたみと競争、弱肉強食が消え、平和が臨むのです。獅子が牛のようにわらを食べ、乳飲み子はコブラの穴の上で戯れます。ここには害するものがなく、傷もありません。海をおおう水のように主を知る知識が地を満たすようになるのです。一言で楽園が回復するのです。
Ⅲ.兄弟が和解するようになります(10-16)
 その日にメシヤは国々の民が仰ぎ見る旗になります。国々は彼に立ち返るようになります。またその方は四方に散らされた人々を集められます。そして敵となって争っていた人々が敵対関係を解いて、互いに和解するようになるのです。以上の楽園の回復はイエス様の再臨時に完成し、イエス様が来られることでその御業は始まったのです。

祈り:主よ!この地にねたみと嫉妬と争いが絶える日はありません。イエス様による平和と和解を成してください。

一言:イエス様の中に世界平和がある



2002年 12月 23日 (月)

マタイノ福音書1:1-17
恵みと憐れみのイエス様

Ⅰ.恵みと憐れみの主イエス様(1-11)
 イエス様はアブラハムとダビデの子孫としてお生まれになりました。これはイエス様が、神様が約束と預言を成就させるために遣わされたメシヤであることを見せてくれます(創22:17,18,Ⅱサム7:12,13)。またアブラハムとダビデは代表的な信仰と従順の人であり、ユダ王家の二本の柱です。イエス様は信仰と従順の幹、王族の幹からお生まれになりました。
 イエス様の系図に記録されたラハブとルツは異邦の女であり、タマル、ラハブ、バテセバは不倫の女です。同時に彼女たちは信仰の女たちです。彼女たちを人類救いの御業の中心に用いられた神様は恵みと憐れみに満ちた神様です。この系図は同時にメシヤがくすぶる灯心、折れた葦のような罪人たちを抱いて治療し、救ってくださる恵みと憐れみの主であることを教えてくれます。
Ⅱ.歴史の中心となるイエス様(12-17)
 アブラハムから始まったイスラエルの歴史は栄枯盛衰の歴史でした。ところが共通点は彼らが神様を愛し恐れ敬った時には栄え、神様を捨てて不従順の時には衰えたことです。16節をご覧下さい。著者はイスラエルの長い歴史がイエス様の誕生によってゴールしたことを明かしています。世俗史家たちは多くの観点から歴史を記録しますが、神様が運行される歴史の中心はイエス・キリストであり、人類の救いです。イエス様を信じて救いを受け、召された者たちは本当の歴史創造の主人公たちなのです。

祈り:恵みと憐れみの父なる神様!約束された救い主を遣わしてくださり、憐れみと恵みの新しい歴史を成されることを感謝します。

一言:恵みと憐れみの主イエス様



2002年 12月 24日 (火)

マタイノ福音書1:18-25
その名をイエスとつけなさい

Ⅰ.罪から救ってくださる方(18-21)
 ヨセフという青年と婚約したマリヤは身重になりました。しかしヨセフは正しい人だったので、これを公にせず内密に去らせようと決めました。その時主の使いがヨセフの夢に現れて、マリヤに宿っているのは誰なのかを知らせてくださいました。①イエス様は聖霊によって宿りました。それで罪がありません(ヘブ4:15)。②イエス様はご自分の民を彼らの罪から救われる方です。「イエス」という名前は「主はお救いになる」という意味です。人間と世の根本問題は罪の問題です。罪の報酬は死であり、その後には裁きがあります。人間が不幸なのは罪のせいです。ところがこの世の誰もが、何をもってしても、人間を罪を救うことができないのです。しかしイエス様は人間を罪から救うために来られました。
Ⅱ.インマヌエルのイエス様(22-25)
 イエス様の別の名前はインマヌエルです。これは「私たちと共におられる神様」という意味です。聖なる神様が、罪によって汚れ臭う私たちの友だちとなり、全ての問題の解決者になるために、肉の体を着てこの地に来られました。これはどれだけ大きな恵みなのでしょうか。イエス様は誰も相手にしない取税人マタイと共におられることで、マタイは変わり山上垂訓を記録した聖人マタイになりました。誰でもインマヌエルのイエス様を心に受け入れれば、全ての傷が癒され偉大な神様の人に変わるのです。

祈り:主よ!私を淫乱と傲慢と不信の罪から救ってください!私がいつも私とともにおられる主に頼ります。

一言:彼の名はイエス



2002年 12月 25日 (水)

マタイノ福音書2:1-12
ひれ伏して拝んだ

Ⅰ.王であり羊飼いとしてお生まれになったイエス様(1-8)
 ユダヤの王ヘロデの時代に、当時最高の知識人である東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。その理由はユダヤ人の王としてお生まれになったメシヤを訪ね、拝むためでした。イエス様は全ての人類の礼拝を受けられる王であり、選ばれた民の羊飼いです。
 イエス様はヘロデのように権力で人々を押さえつける王ではなく、愛と平和で私たちのたましいを治められる愛の王であり、良い羊飼いです。天の御国を持って来られた天の御国の王です。
Ⅱ.ひれ伏して拝んだ博士たち(9-12)
 イエス様の誕生の知らせを聞いたエルサレムには大きな騒ぎが起き、ヘロデは幼子イエス様を探し出して殺そうと企んでいました。しかし東方の博士たちは星の導きを受けて幼子イエス様のところに行きました。本当の礼拝の対象を見つけた博士たちの喜びはこれ以上言葉で表現することができないほど満ち溢れていました。人々の本当の喜びはメシヤに会うことにあるのです。
 彼らは家に入って幼子と母マリヤとともにおられるのを見てひれ伏して拝みました。宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。そして故国に帰って行きました。たましいを持った存在である私たち人間は本当の礼拝の対象を探し、その前にひれ伏して拝む時に本当の幸福を得ることができるのです。

祈り:主よ!主だけが私の礼拝を受けられる対象です。私の真心と宝の箱をささげ、主を礼拝します。

一言:ひれ伏して拝んだ


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