聖書別日ごとの糧   >>   クリスマス

2014年 12月 19日 (金)

イザヤ9:1-7
ひとりのみどりご

Ⅰ.大きな光であるイエス様(1-5)
 預言者イザヤの時代に、民たちは罪によってやみの中を歩み、死の陰の地に座って、あえいでいました。彼らは蔑まれ、絶望していました。しかし、イザヤは、将来来られるキリストの誕生を仰ぎ見て、望みを抱きました。キリストが来られると、はずかしめを受けたガリラヤは光栄を受け、やみと死の陰に住んで苦しんでいた人たちは、大きな光を見るようになります。この望みは、キリスト・イエスが来られたことで、成就されました。イエス様は罪のくびきとサタンの圧制を打ち砕かれ、私たちを救ってくださいます。大きな光であるイエス様が来られる所には、やみと死の勢力が退き、望みといのちが臨みます。
Ⅱ.ひとりのみどりご、イエス様(6,7)
 イエス様は、弱いひとりのみどりごの御姿で、私たちの所に来られました。しかし、実は、このみどりごが世を救うキリストです。その肩には主権があります。その名前は、「不思議」です。すなわち、人間の理性を超越された方であり、天と地をお造りになった創造主です。このみどりごは助言者(Counselor)です。すなわち、無限の知恵で、人々を助ける相談者です。また、みどりごであるイエス様は、力ある神様であり、孤児のような私たち人間を顧みてくださる永遠の父です。それだけではなく、公平と正義と愛で、人間とこの地を統べ治める平和の王です。

祈り:主よ!罪と死の勢力の下で、苦しみあえいでいる私たちを救うために、みどりごの御姿で来られたことを、感謝します。

一言:ひとりのみどりごが生まれた



2014年 12月 20日 (土)

イザヤ11:1-9
新芽

Ⅰ.新芽が生え(1-5)
 神様は、ダビデの父エッサイの血筋から新芽を生えさせ、新しい御業を始められました(1)。新芽は、初めはよく見えません。しかし、その中にいのちがあるので、すぐに生長し、若枝が出て、後には大きな木となり、多くの実を結びます。新芽は、イエス・キリストを指します。イエス様は、弱い人間の御姿で、この地に来られました。しかし、神様がイエス様の上に主の霊を注がれました。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊です(2)。今年、聖誕を迎える中で、私たちの心にイエス様の霊がとどまり、キリストの新芽が生えるように祈ります。
Ⅱ.海をおおう水のように(6-9)
 この世は、ねたみと紛争と、競争などの弱肉強食の規則が支配しています。しかし、キリストが訪れる所には、この全てのものが消え去り、平和が訪れるようになります。狼は子羊とともに宿り、雌牛と熊は共に草を食べ、獅子も牛のようにわらを食べ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べ、共に戯れます。そこには、害を加えるものもなく、傷もありません。それは、主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからです(9)。このイザヤの預言は、イエス様が再臨される時、そのまま成就することでしょう。

祈り:主よ!私の心に、イエス・キリストのいのちの新芽が生え、知恵と悟りの霊が注がれるように、祈ります。

一言:海をおおう水のように



2014年 12月 21日 (日)

イザヤ32:1-8
正義の王

Ⅰ.正義によって治める王(1,2)
 イザヤが生きていた時代、王は不義であり、そのため、民たちは苦しみを受けていました。このような時代に、イザヤは、将来ひとりの王が来られるビジョンを見ました。新しい王は、イエス様です。イエス・キリストの統治の特徴は、正義と公義です。イエス様は、不義の世で傷ついて生きて来た私たちを、神様の御旨に従って、正義と公義で治めてくださいます。また、王であるイエス様は、風やあらしを避ける隠れ場のようであり、砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようです。世の王から、風やあらしのような虐政に苦しめられた人々や、かわききった砂漠のような世の中に疲れ果てた人々が、この王のもとに進み出ると、本当の安息や平安を受けるようになります。
Ⅱ.知恵を与える王(3-8)
 イエス様が来られる前、私たちは目があっても見えず、耳があっても聞こえませんでした。しかし、王として来られたイエス様は、人々に知識の霊をくださり、神様に対する知識を悟らせてくださいます。また、視力と聴力を回復させ、私たちに神様を見せてくださり、御言葉が聞こえるようにしてくださいます(ルカ4:14)。気みじかな者が真理を知らない愚かさから抜け出し、本当の知識を悟るようになります。その時、私たちには分別する力が生じ、しれ者を高貴な人と呼ばなくなります。また、どもりの舌がとかれ、はっきりと早口で神様の御言葉を語ることができるようになります。

祈り:主よ!不義な世で苦しめられている私たちに、正義の王としてイエス様が来られ、感謝します。正義と公義で、私たちを治めてください。

一言:正義の王、イエス・キリスト



2014年 12月 22日 (月)

イザヤ42:1-9
国々の光

Ⅰ.わたしのささえるわたしのしもべ(1-4)
 神様が選んだしもべであり、神様の心が喜ぶ人は、イエス様です。神様はイエス様に聖霊を注いで、国々に公義をもたらすようにされました。イエス様は聖霊の力を受けて、多くのことをされながらも、神様の御前では静かで、声をあげず、柔和と謙遜によって、しもべのように働かれました。イエス様は、罪によっていたんだ葦のように、何の役にも立たない魂を折ることをされませんでした。くすぶる燈心のように、臭いがする望みのないたましいの心を消しませんでした。イエス様は、どんな罪人であっても、望みを置かれ、何としても生かそうとされました。イエス様は、どんなことをされても、決して衰えることなく、落胆されませんでした。ついに、真理によって地に公義を打ち立てて、全ての人々の、本当の望みになりました。
Ⅱ.国々の光(5-9)
 イエス様は国々の光です(6)。国々の光であるイエス様は、盲人の目を開かれます。主人を牢獄から連れ出します。日の出のように、やみの中に住む者をやみの中から連れ出します。人は、罪によって霊的な目が見えなくなり、鉄の足かせのような罪の鉄の鎖に縛られています。罪のやみによって、落胆と運命と絶望の中にいます。イエス様は、彼らのために、救いの光として来られます。イエス様は、この全てのことを通して、主なる神様の御名と栄光を現わされます。

祈り:主よ!国々の光となって、罪のやみから私を救ってくださり、感謝します。私が、国々の光として用いられるように、助けてください。

一言:国々の光



2014年 12月 23日 (火)

イザヤ53:1-12
苦難の主

Ⅰ.さげすまれ、のけ者にされたイエス様(1-3)
 イエス様は天の栄光と権威を持った方です。しかし、イエス様はご自分を低くされ為に人々にあざ笑われました。イエス様は全ての栄光と威厳を捨て、この地に来られた時、植民地の民の中で、貧しい大工の子としてお生まれになりました。イエス様は砂漠の地から出る根のように、輝きもなく、見ばえもありませんでした。そして、全生涯の中で、枕する所もなく生き、罪人たちに、御言葉と愛で仕えてくださいました。しかし、人々はこのようなイエス様を嫌い、さげすみました。尊ばず、役に立たないと捨てました。徹底的に人々からのけ者にされたイエス様は、私たちが受けている苦しみと悲しみを知っておられる方です。
Ⅱ.私たちの咎と罪を担われたイエス様(4-12)
 さげすまれ、のけ者にされたイエス様は、ついに十字架につけられ、壮絶な死を迎えます。イエス様がこのような苦難を受けられたのは、私たちの罪のため、です。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(5,6)。私たちの代わりに、咎と重荷を背負われたイエス様によって、今、私たちは癒され、新しい人生を生きることができます。

祈り:主よ!主の贖罪の恵みに感謝します。今年の聖誕には、このイエス様の恵みが新たに感じられるように、助けてください。

一言:私たちは癒された!



2014年 12月 24日 (水)

マタイ1:1-18
インマヌエル

Ⅰ.その罪から救ってくださる方、イエス様(18-21)
 ヨセフと婚約した処女マリヤが身重になりました。ヨセフは心を痛め、憤りましたが、正しい人だったので、これを表立てにせずに、内密にマリヤとの関係を終わらせようとしました。その時、主の御使いが夢に現れて、マリヤの胎に宿られている方について、話しました。第一に、その方は聖霊によって宿りました。「聖霊によって宿る」とは、「罪がない」という意味です。第二に、その方の名はイエス様ですが、その意味は、「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」という意味です。イエス様は聖霊によって宿られたので、私たちを罪から救うことがおできになります。罪の結果は死であり、その後には、さばきがあります。人が不幸なのは、罪によるものです。イエス様は、このような人々を罪から救うために、来られました。
Ⅱ.インマヌエルのイエス様(22-25)
 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためでした。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(23)。私たちは、自己中心な人や、自分を傷つける人とは一緒にいたくありません。しかし、愛の神様は、このような人とも、ともにいてくださるために、私たちと同じ姿で、ひとりのみどりごの姿でお生まれになりました。インマヌエルの主によって、心配したり恐れたりせずに、むしろビジョンで満ち溢れます。

祈り:インマヌエルの主よ!この民と、いつまでも共にいてくださることを信じます。この信仰によって、ビジョンが満ち溢れる人生を過ごすように、助けてください。

一言:インマヌエル



2014年 12月 25日 (木)

マタイ2:1-12
ひれ伏して拝んだ

Ⅰ.メシヤに訪ねて来た東方の博士たち(1-8)
 ヘロデの王の時に、東方から博士たちがエルサレムに訪ねて来ました。彼らは、当代の知識人として、世を救ってくださるメシヤを待っていた人々でした。彼らは、メシヤが生まれた時に現れた、その星を見て、「メシヤが来られた」ことを知りました。そして、その星に従って、山を越え、川を渡りました。人々が眠っている夜に、目を覚まして、星に従う旅行は簡単ではありませんでした。しかし、彼らはその代価を支払って、星に従って来ました。彼らは救いを捜し求める求道者たちでした。
Ⅱ.イエス様にひれ伏して拝んだ東方の博士たち(9-12)
 東方の博士たちがエルサレムに来て、ユダヤ人の王を捜すと、大騒ぎになりました。ヘロデ王は、幼子イエス様を殺そうと、企みました。東方の博士たちは、再び現れた星の導きによって、幼子が生まれた所に着きました。彼らは家に入り、この幼子が聖書に約束されたメシヤであり、全ての人から礼拝を受けるのにふさわしい王の王であることを悟りました。
 東方の博士たちは幼子イエス様にひれ伏して拝み、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。本当の礼拝の対象を見つけて出会い、その御前にひれ伏して拝み、尊い贈り物をささげた東方の博士たちこそ、最も幸いな人々です。私たちもこの聖誕の日に、幼子イエス様を王として受け入れ、その御前にふれ伏して、心を尽くして礼拝しましょう。

祈り:主よ!ひとりのみどりごとして来られたイエス様は、礼拝を受けるのにふさわしい私の王です。私はこのイエス様にひれ伏して、礼拝します。

一言:ひれ伏して拝んだ


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