聖書別日ごとの糧   >>   クリスマス

2016年 12月 21日 (水)

コロサイ1:1-14 (9)
使徒パウロの感謝と祈り

Ⅰ.感謝題目(3-8)
 パウロは、コロサイの聖徒たちのために祈る時ごとに、神様に感謝したことがあります。それはキリスト・イエスを信じる彼らの信仰と、他の聖徒たちに対する愛についてです。また、彼らのために天にたくわえられてある望みについてです。福音の真理の御言葉を聞いて、本当に神様の恵みを理解した者は、信仰、望み、愛が生じるようになります(6)。
Ⅱ.祈りの課題(9-14)
 使徒パウロは、コロサイの聖徒たちのために絶えず祈って来ました。彼らが神様の御心に関する知識で満たされるように祈り、絶えず神様を喜ばせる生活をするように祈りました。あらゆる善行のうちに実を結び、神様を知る知識が増し加わり、神様の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされるように祈りました。喜びを持って耐え忍び、暗やみの圧制から救いだされ、愛する御子のご支配の中に移されたことを感謝するように祈りました。私たちは、自分自身と羊たちのために祈る時、何のために祈ったらいいのか、分からない時があります。私たちは、何より神様の御心を知り、神様を喜ばせる生活ができるように、祈らなければなりません。

適用:キリストに対する信仰と、天の御国に対する望みと、他の人に対する愛が、あなたの心の中にありますか。

一言: 神様に感謝しましょう



2016年 12月 22日 (木)

コロサイ1:15-23 (15)
万物より先に存在したイエス様

Ⅰ.万物より先に存在したイエス様(15-19)
 私たちを救い出してくださったイエス・キリストはどんな方なのでしょうか。第一に、イエス様は見えない神様のかたちです(15)。私たちはイエス様を通して神様のかたちを見ることができます。第二に、イエス様は万物の造り主です(16)。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべてが御子によって造られ、御子のために造られました。第三に、イエス様は教会のかしらです。彼は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
 このように神様は満ち満ちた神様の本質をイエス様のうちに宿らせました(19)。当時のにせ教師や、今日の統一教会のような異端は共通してイエス様ひとりでは充分ではないと言います。しかしイエス様の中に全てのものがあり、イエス様が全てなのです。
Ⅱ.平和をもたらされたイエス様(20-23)
 万物より先に存在したイエス様が、この地に来られてなさったことは、その十字架の血によって平和をつくられることです(20)。過去私たちは悪い行ないによって神様から離れ、神様と敵対関係にありました。しかしイエス様の死によって神様と和解するようになり、その聖なる子どもとされました。

適用:誰によって、何のためにわたしはつくられたのか。

一言: 御子によって、御子のために



2016年 12月 23日 (金)

コロサイ1:24-2:5 (24)
福音の働き人使徒パウロ

Ⅰ.キリストの苦しみの欠けたところを満たしているパウロ(24)
 パウロは福音の御業に仕えていましたが、今は監獄に入れられ、苦しみを担っています。しかし、彼はむしろ彼らのために受ける苦しみを喜び、キリストの苦しみの欠けたところを満たすように願いました。キリストの苦しみの欠けたところとは、そのからだとなる教会のために受ける苦難、羊たちに福音を伝えるために受ける苦難を指します。パウロは、教会と羊たちのために積極的に苦難を受けていました。
Ⅱ.神様の御言葉を伝えようとするパウロ(25-29)
 パウロが教会の働き人になったのは、神様の御言葉を伝えるためでした。これは多くの世代にわたって隠されて来た奥義でしたが、今は聖徒たちに現されました。この奥義とは、すなわちイエス・キリストです。使徒パウロはキリストを伝え、あらゆる人を戒め、知恵をつくしてあらゆる人を教えています。これは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためでした(28)。使徒パウロは、このために力を尽くして、苦労しました。彼は監獄の中でも休まずに働きました。
Ⅲ.見たことのない人たちのために労苦するパウロ(2:1-5)
 パウロはコロサイの聖徒たちだけではなく、ラオデキヤにいる人々、直接見たことのない人たちのためにも、苦闘していました(1)。それは、彼らが神様の秘密であるキリストを知らせるためでした。その中には知恵と知識のすべての宝が隠されています。

適用:私が労苦しながら奮闘する力は、どこから来ているのか。

一言:知恵と知識の宝であるキリストから



2016年 12月 24日 (土)

聖誕特集Ⅰ マタイ1:18-25 (21)
罪から救ってくださる方

  イエス様のもう一つの名は「インマヌエル」です。神様が私たちと共におられる、という意味です。イスラエルは時ごとに神様を捨て、偶像に仕えました。しかし、神様は、ご自分の民をお捨てになりませんでした。神様は、ご自分の民を憐れまれました。彼らを救おうと、天の御座を捨て、罪が満ちているこの地に、肉を着て来られました。イエス様は、私と共にいようと来られた神様です。私が悲しみと寂しさにぶつかった時にも、決して一人ではありません。イエス様が、私のそばにいてくださいます。主は永遠に私と共におられます。

適用:罪の問題を解決できる唯一の方に、自分の罪を持って行きましたか。

一言:この私を罪から救るために来られたイエス様



2016年 12月 25日 (日)

聖誕特集Ⅱ マタイ2:1-12 (6)
わたしの民イスラエルを治める支配者

  博士たちは、星の導きによって幼子イエス様のところに行きました。イエス様に出会った時、この世で一度も味わったことのない非常に大きな喜びが、彼らの中からあふれ流れました。彼らは家に入り、幼子に伏し拝みました。宝の箱を開け、最も高価な物を幼子イエス様にささげました。イエス様は、伏し拝むべき唯一の王です。私の最も高価な物を、お受けになる唯一の主です。イエス様にひれ伏して拝み、献身する時、私たちの心は主に治められるようになります。それは世の中のすべての束縛から自由を得る祝福です。イエス様を礼拝し、献身する人が最も知恵ある者です。

適用:主よ!虚しいものにひれ伏して傷ついた人々がイエス様の統治を受け、

一言:牧者イエス様


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