聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2015]

2015年 03月 18日 (水)

創世27:1-29
祝福を奪い取る

 イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなった時、長男エサウを呼んで言いました。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」(2-4)。それで、エサウは獲物をしとめて来るために、野に出かけて行きました。
 その時、イサクの話をリベカが聞いていました。リベカはヤコブに祝福を受け継がせようと考えていました。リベカがエサウよりもヤコブを愛しているから(25:28)という面もありました。しかし、彼女は神様の御旨を考えていたようです。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(25:23b)。それでリベカは、エサウが祝福を受ける前に、ヤコブが祝福を受けるように、企みました。リベカはイサクのために、おいしい料理を作りました。ヤコブにエサウの格好をさせました。また、子やぎの毛皮を、彼の手と首のなめらかなところにかぶせてやりました。(14-16)。ヤコブはエサウの格好をして、イサクのもとに行きました。するとイサクは、ヤコブをエサウだと思い込んで、祝福しました(27-29)。結果、ヤコブがイサクの祝福を受け継ぐことになりました。リベカの取った行動は、あまり褒められることではありません。ヤコブもそうです。結果、ヤコブはエサウから憎しみを買い、いのちの危険にさらされることになります。しかし、一つだけ学ぶ点があります。それは、神様の祝福は、この世のどんなものにも変えがたいという、点です。私たちは、信仰の先輩たちを通して、神様の祝福を受け継ぐ願いを持つ必要があると思います。

祈り:主よ!私が信仰の先輩たちを通して、神様の祝福を受け継ぐ者になるように、助けてください。

一言:神様の祝福



2015年 03月 19日 (木)

創世27:30-46
ヤコブを守るリベカ

 イサクがヤコブを祝福した時、兄のエサウが猟から帰って来ました。しかし、時はすでに遅く、エサウの祝福は何も残っていませんでした。ヤコブが祝福を受けたため、ヤコブが祝福されるようになりました。弟ヤコブに祝福を奪われたエサウは、どんなに悔しい思いをしたのでしょうか。彼はなお、イサクに祝福を求めました。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣きました。父イサクは答えて彼に言いました。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」(39,40)エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨みました。彼は心の中で言いました。「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」(41)。烈火のごとく怒るエサウの言葉を聞くと、リベカはヤコブを呼び寄せて言いました。「よく聞きなさい。兄さんのエサウはあなたを殺してうっぷんを晴らそうとしています。だからわが子よ。今、私の言うことを聞いて、すぐ立って、カランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。兄さんの憤りがおさまるまで、しばらくラバンのところにとどまっていなさい。」(42-44)。エサウが怒ったのは、リベカとヤコブの取った軽率な行動のためでした。それで、リベカはヤコブを守るために、兄ラバンの所に逃がそうとしました。神様の祝福を受けたヤコブを守ろうとするためです。 私たちが、この地上で生きて行く中で、失敗することもあります。しかし、イエス様ご自身が私たちの避け所になって、私たちを守ってくださいます。このイエス様を信じて、ありのままの姿で出て行きましょう。

祈り:主よ!罪と咎の多い私たちに、救い主イエス・キリストを遣わしてくださり、感謝します。イエス様が私たちを守ってくださるので、イエス様を信じて、ありのままの姿で出て行きます。

一言:主は、わが避け所


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