聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2015]

2015年 07月 01日 (水)

創世記37:1-17
夢見る少年

 ヨセフは、ヤコブの十二人の息子たちの中で、十一番目の子でした。しかし、ヤコブは、他の子どもたちよりも、ヨセフを特別に愛しました。ヨセフには、そでつきの長服を作ってやりました。ヨセフは、年を取った時に得た子どもだったからです。しかし、兄たちは、それによってヨセフを憎み、彼と穏やかに話すことができませんでした(4)。その時、神様は夢を通して、ヨセフにビジョンを見せてくださいました。ヨセフは夢を見て、その内容を兄たちに話しました。その夢は、兄たちの束が、ヨセフの束におじぎをするものでした。また、太陽と月と十一の星がヨセフに伏し拝む夢でした。これは、将来ヨセフが王となり、兄たちを治めることを意味しています。更に進んで、神様の救いの御業で、兄たちよりも、もっと尊く用いられる、という意味です。ヨセフは、最も低いのに、高い者たちである兄たちを治めるようになるという既存の秩序を破壊することです。神様の御業には、世の秩序に従いません。低い者だからといって、落胆する必要がなく、高い者だからといって、傲慢になる必要がありません。神様は、ご自分のしもべたちに、夢をくださいます。そして、その夢を通して、導かれます。しかし、ヨセフは、そのことによって、兄たちから、さらにひどく憎まれるようになりました。
 ヨセフは父の使いで、兄たちを捜して、シェケムの地に行きました。しかし、兄たちはすでにそこを離れていて、いませんでした。ヨセフは人々に尋ねて、ドタンに行って、兄たちに出会いました。ヨセフは、任されたことに対しての責任感と忠実さがありました。

祈り:主よ!主が私にくださった夢を覚え、主の導きに従うように、助けてください。

一言:夢をくださる神様



2015年 07月 02日 (木)

創世記37:18-36
あれの夢がどうなるかを見よう

 ヨセフは兄たちを捜して、遠い道を歩いて行き、ついに兄たちのもとにたどり着きました。ところが、兄たちは言いました。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、・・・そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」(19-20)。非情にも、兄たちは弟を殺す計画を立てました。なぜなら、弟を殺せば、彼の夢も消えてなくなるだろう、と考えたからです。兄たちはヨセフの夢を嫌い、その夢を壊そうとしました。幸いにも、兄のルベンとユダによって、死だけは免れました。彼らはヨセフを殺さない代わりに、ミデヤンの隊商に売り渡しました。兄たちは家に帰り、父ヤコブには、「悪い獣にかみ裂かれた。」と偽りました。父ヤコブは、子どもたちの慰めを受けず、泣き悲しみました。
 一方、ミデヤン人の隊商はヨセフをエジプトの王パロの廷臣、侍従長ボティファルに売りました。王の夢を見ていたヨセフは、一晩のうちに、奴隷の身分に転落してしまいました。彼の夢と現実は、あまりにも違っていました。彼に処せられた現実を見るなら、彼の夢は夢で終わるかのようにも、思えます。しかし、ヨセフの人生の全体を見るなら、この出来事は、夢が成し遂げられる第一歩でした。神様がヨセフに夢を与え、その夢を成し遂げてくださるからです。そのために、神様はヨセフと共におられ、訓練し、貴く用いられます。それで、神様の中で見る夢は、必ず成し遂げられます。一時的に、夢が壊れたような痛みがあっても、夢をくださった神様が、その夢を成し遂げてくださいます。

祈り:主よ!夢が壊れたようなその時にも、夢を成し遂げて行かれる主に、堅く頼ります。

一言:夢はかなえられる


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