聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2004]

2004年 08月 21日 (土)

出エジプト記5:1-9
わたしの民を行かせ

Ⅰ.わたしの民を行かせ(1)
 1節をご覧下さい。モーセはパロの所に行き、完全に神様の側に立ち、はっきりとメッセージを伝えました。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」
 モーセは、パロが神様の御言葉を聞いてうなずくこと、を信じませんでした。人間的に考えると、パロが多くの働労力を離さないこと、は分かりきっています。しかしモーセは神様の御言葉に聞き従い、御言葉の通りに挑戦しました。信仰とは不可能に挑戦することです。
Ⅱ.主とはいったい何者か(2-9)
 モーセのメッセージを聞いたパロの反応はどうでしたか。2節をご覧下さい。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」彼は主なる神様を無視しました。それだけではありません。モーセとアロンを叱りました(4,5)。また、パロは労役を重くして、いくつかの厳しい新しい規則を作り、イスラエルの民たちを残忍にも苦しめました(7,8)。罪の力は強いのです。しかし恐れてはいけません。

祈り:主よ!何でも良いことには必ず問題が生じることを知っています。しかし気を落とさず、最後まで信仰によって戦い勝利を得ることができるように祈ります。

一言:挑戦する信仰



2004年 08月 22日 (日)

出エジプト記5:10-23
主よ

Ⅰ.私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです(10-21)
 監督たちはパロの命令通りに、イスラエルにわらなしでれんがを焼くように言いました(13)。イスラエルの民たちが重動労ができないと、監督たちはイスラエルの人夫がしらを打ちたたきました(14)。彼らは悔しい気持ちをパロに上訴しましたが、退けられました。
 彼らはモーセとアロンに会うと、「あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませた。」と不満をこぼしました(21)。奴隷生活をしながら、奴隷根性が身についた彼らは、エジプト人の前に出ることをひどく恐れました。このような姿勢を捨てなければ、一生罪の奴隷になり、惨めな人生を過ごすしかありません。
Ⅱ.祈るモーセ(2,3)
 モーセは、自分のせいでもっと大きな苦しみを受けるようになった同胞を考える時、あまりにも心が痛かったようです。しかし彼は神様のところに出て行き、真実に心の痛みを訴え、神様の御声を聞くことを望みました。「主よ。なぜ…」信仰によって生きて問題にぶつかった時、私たちは人を恨むより、神様に出て行って切に祈り、神様の御声を聞かなければなりません。

祈り:主よ!私が世の友達に憎まれても、罪の力から出エジプトさせなければなりません。私が小さな問題を信仰によって乗り越えるように助けて下さい。

一言:憎まれても、悲しまない。


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