聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2004]

2004年 09月 28日 (火)

出エジプト記32:1-14
罪を犯した民と仲介者モーセ

Ⅰ.私たちに先立って行く神を造ってください(1-6)
 イスラエルの民はアロンのもとに集まり偶像を造らせました。それでアロンは民たちから金を集め、金の子牛を造り、これが神であると宣布しました(4)。そのためアロンとイスラエルは十戒のうち、第一と第二の戒めを破りました。これが神様には大きな罪になるのです。ではなぜ彼らはこのような罪を犯したのでしょうか。
 第一に、彼らは目に見えるものを求めました。彼らは見えない神様より見えるモーセを信じて生きて来ました。彼らは目に見える神を求めました。彼らは目に見えるもので安全を求めましたが、目に見えるもので安全を求める時、罪を犯すのです。
 第二に、彼らは肉の快楽を求めました(6)。彼らはエジプトでの肉の快楽を求め、霊的な喜びを見つけることができませんでした。
Ⅱ.あなたの民へのわざわいを思い直してください(7-14)
 神様は民を絶ち滅ぼそうとされ、モーセを大いなる国民にしようとされました(10)。神様は民たちを悲しまれました。
 しかしモーセは民のためにとりなしの祈りをささげ、神様の怒りを静めようと祈りました。モーセは、神様の栄光のために、また神様の約束のために、民たちを生かしてくださいと祈りました。モーセは最も危機の時に、民のために祈りました。

祈り:主よ!現代人が目に見えるものだけを求めないようにしてください。モーセのような仲介者を立ててください。

一言:人と物は神ではない



2004年 09月 29日 (水)

出エジプト記32:15-29
どんな指導者が本当の指導者なのか

Ⅰ.民を喜ばせる指導者アロン
 アロンはモーセがいない間、民の牧者であり指導者になりました。彼は民の言葉に耳を傾け、彼らの要求通りにしました。彼は民衆的であり民を喜ばせました。そんなアロンは果たして良い指導者なのでしょうか。
 彼は難問にぶつかった時、真理すなわち神様の御言葉に立たず、民の心に信仰を植えませんでした。そして彼は民の要求に妥協しました。そうすることで彼は民が神様に罪を犯すようにし向き、肉欲にはまり、結局は彼らを殺してしまいました。これを見る時、人を喜ばせ、人と妥協する指導者は良い指導者ではないことが分かります。
Ⅱ.神様を喜ばせる指導者モーセ
 モーセは罪を犯した民にひどく憤りました(19,20)。彼は民と妥協しませんでした。
 モーセは神様の側に立ったレビ人たちを集め、彼らが罪を犯した民を剣で殺すように命じました(26-28)。これは人間的には残忍なことです。指導者として民を殺すことはできないことです。しかし彼はそうすることで神様に身をささげました(29)。すなわちモーセは神様を喜ばせようとしました。そうすることで彼は民が神様の祝福を受けることを願い、彼らを生かそうとしたのです。彼は本当の牧者であり、指導者なのです。

祈り:主よ!この世代の霊的な指導者たちが人々を喜ばせず神様を喜ばせるようにしてください。

一言:神様を喜ばせる指導者



2004年 09月 30日 (木)

出エジプト記32:30-33:6
わたしは、あなたがたのうちにあっては上らない

Ⅰ.モーセの悲しみと嘆く愛(32:30-35)
 モーセは民の罪を考える時悲しみました(31)。彼は民を導き教えるために自分の全てのものを犠牲にしました。彼は自分の全生涯をかけて民を救いました。ところがその民は罪を犯したことで、モーセは悲しみ力が抜けてしまいました。足元の地が裂けてしまったようでした。それでも彼は挫折せずに民の罪の赦しのために自分のいのちをかけて祈りました(32)。彼は民を何よりも愛しました。
 そのため神様は一旦赦してはくださいましたが、さばきの日には民の罪をさばくと言われました(34)。
Ⅱ.神様の悲しみ(33:1-6)
 神様はモーセに命じて、「民とともに約束の地に上って行け」と言われました。神様の使いがモーセの前に行き、その地を征服すると言われました。しかし神様ご自身は民とともに上って行かないと言われました。神様は途中で彼らを絶ち滅ぼしてしまう心配をされました(3)。
 神様はモーセによって民たちを一旦は赦してはくださいましたが、神様は民たちを悲しまれました。罪を犯した民に対する神様のやるせない気持ちと悲しみは簡単にはなくなりませんでした。それで人は神様に罪を犯してはいけないのです。

祈り:主よ!私たちが罪を犯した時、神様が悲しまれることを学んだので、私たちが神様に罪を犯さないように助けてください。

一言:悲しまれる神様


<<(1)    前のページ(27)    28    次のページ(29)    (32)>>

聖書別日ごとの糧