聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2008]

2008年 03月 16日 (日)

出エジプト記5:1-9
わたしの民を行かせなさい

 イスラエルに向けられた神様の計画、パロに向けられた神様の命令は何でしょうか。モーセとアロンはパロのところに行って言いました。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」。神様の御旨ははっきりとしています。「わたしの民を行かせなさい」。神様はご自分の民イスラエルを、時になると、再び取り戻そうとされます。主のものを主に返すことは善です。パロは無条件神様の民を行かせなければなりませんでした。しかし彼が反発することは分かりきったことでした。それでもモーセは神様の御言葉に聞き従って挑みました。信仰とは不可能なことに挑戦することです。
 モーセのメッセージを聞いたパロの反応はどうでしたか。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」彼がイスラエルを行かせないのは、労働力を奪われまいとする利己心からです。同時に主なる神様を知らないからです。霊的な無知から霊的な傲慢が生まれます。これによって彼はこれから十の災いを通して、主がどんな方であるのかを知るために、高い授業料を払うことになります。彼は主なる神様を無視し、モーセとアロンをしかりました。また監督と人夫がしらに命じて、より重い労役を加えて、イスラエルの民を残忍に苦しめました。神様の民を行かせようとしない罪の勢力は強いですが、私たちは気がなえてはいけません。

祈り:父なる神様!私がどんな抵抗にあっても、「わたしの民を行かせなさい」と言われる主の命令を遂行できるように祈ります。

一言:挑戦する信仰



2008年 03月 17日 (月)

出エジプト5:10-23
何のために

 「わたしの民を行かせなさい」と言われる神様の命令を聞いたパロの心はさらにかたくなになりました。彼は今組織的に民たちを苦しめ始めました。パロは、イスラエルの民が以前と同じ量のれんがを作って収めさせましたが、今はれんがに入れるわらを見つけ出し、作るように命じました。それで民たちはエジプトの全土に散って、わらの代わりに刈り株を集める苦労をしなければなりませんでした。監督たちは、「おまえたちのその日その日の仕事を仕上げよ」とせきたて、イスラエルの人夫がしらを打って、定められたれんがの分を仕上げるように言いました。彼らは以前のようにわらも与えずに、同じ数のれんがを作るように命じるのは、ふさわしくないと思い、口惜しい思いをパロに訴えましたが、徒労に終わりました。出エジプトが良い御業だからといって、容易に進行できるように思えますが、最初から事態は悪化しました。
 イスラエル人の人夫がしらたちは、これによって怒りが湧き上がるのを覚えました。モーセとアロンに会って、自分たちをパロに憎ませ、彼らの剣によって私たちを殺したと不満を言いました。モーセは、自分のせいで、更に大きな虐待を受けるようになった同族たちによって、ひどく心が痛みました。自分が何の助けにもならないのに、なぜ自分を遣わされたのか、と神様に訴えました。モーセは状況が悪化した時、神様に出て行って、真実に心の苦しみを話し、神様の御声を聞くことを願いました。「何のために・・・」信仰によって挑戦して、更に状況が悪くなった時、人を恨んだり、絶望したりしがちです。しかし神様の前に出て行って祈り、助けを求めなければなりません。

祈り:父なる神様!世の人々に憎まれ、状況が悪くなっても、屈せずに更に祈ります。

一言:状況が悪くなった時、更に祈りを


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