聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2008]

2008年 04月 17日 (木)

出エジプト記21:1-11
主人と奴隷に対する定め

 その当時、ヘブル人が奴隷になる場合は、負債が返せない時(レビ25:39)と盗んだものを弁償する能力がない時でした(22:3)。ところが一度奴隷になると、死ぬまで奴隷として生きなければなりませんでした。主人は何とかして奴隷の労働力を利用しようとしたため、彼らの人権や幸福に関心がありませんでした。これは当時の風習でした。ところが神様は、ヘブル人の奴隷を買う場合、六年間は仕えさせ、七年目には無償で去らせよ、と言われました。結婚をしようとして、買って来た女奴隷を受け入れない場合は、代価を支払って自由人にしてあげなければなりません。女奴隷を息子に上げれば、娘のように扱い、自分が他の人と結婚しても、その女奴隷には衣食住を供給しなければなりませんでした。神様は、すべての人が根本的に自由人として生きるように、されました。すべての人が幸福を求めて生きるように、他の人の人権を尊重するようにされました。
 私たちは奴隷でなくても、私たちに雇用された人や負債を負った人や弱者を考え、彼らの人権を尊重しなければなりません。彼らも幸福を求める権利があることを認め、人間として尊重しなければなりません。人を束縛する貧困、制度、さらには罪からも自由になるように、してあげなければなりません。これが神様の御心です。

祈り:主よ!私が人間の自由を尊重し、主の心で人々の人権と幸福のために働けるように、助けてください。

一言:自由人として生きることを願われる神様



2008年 04月 18日 (金)

出エジプト記21:12-27
殺人と暴力に対する定め

 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならないと言われます。自分の両親を打つ者、人を誘拐した者、両親を呪った者も、必ず殺すように、言われました。神様がこのように人間のいのちを尊重されるのは、人が神様のかたちを持った尊い存在だからです(創9:6)。それでどんな場合にも殺人を犯してはいけません。殺人は憎しみやねたみから生まれます。それでイエス様は、兄弟に怒り、兄弟に向かって悪口を言って憎むことも、殺人であると言われました(マタ5:22)。今日は、人の命を軽視する悪い時代です。お金を神様のように崇拝しますが、人の命は虫けらのように考えます。自分の欲望を満たすために、互いに悪口を言い、非難し、さらには殺人までします。これは悪魔の影響の下にいるからです(ヨハ8:44)。このような時代に私たちは、人命尊重という思想を持って、福音の御業に献身して、いのちを生かすのに力を入れなければなりません。
 人を傷つければ、必ず補償をして、治療をしなければなりません。しもべをむやみに傷つける主人も、罰としてその奴隷を自由にしなければなりません(26,27)。人を傷つけた場合は、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、打ち傷には打ち傷で報いなければなりません(24,25)。この御言葉は報復を奨励するものではありません。むしろ感情に流され、被害を受けた以上に報復することで起こりうる暴力の悪循環を防止するのに、その目的があります。

祈り:主よ!私が傷つける言葉と行ないをしたことを悔い改めます。福音の御業に献身することで、いのちを生かしてください。

一言:福音を伝え、いのちを生かす


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