聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2021]

2021年 01月 08日 (金)

出エジプト記 4:1-17(15)
モーセの足りないところを埋めてくださる神様

 神様はイスラエルの民を救い出すため、モーセをファラオに送りました。しかし、モーセにはその確信がありませんでした。神様が自分を指導者として立てたことを、民たちは受け入れないだろうと考えました。神様は、このモーセのために、色々と不思議なわざを見せてくださいました。モーセが杖を投げると、その杖は蛇になりました。モーセがその蛇の尾をつかむと、杖になりました。神様は、これらの不思議なわざを通して、ファラオと戦って打ち勝つ信仰をモーセに植え付けました。また、モーセが懐に手を入れると、彼の手はツァラトに冒され、もう一度懐に入れてから出すと、再び自分の肉となる不思議も見せてくださいました。これは、神様がどんな不治の病をも治すことができる方であることを示しています。また、ナイル川の水を汲んで、乾いた地面に注ぐと血になる不思議についても言われました。これは、エジプトの人々が誇るナイル川さえも、神様の権威の下にあることを示しています。しかし、モーセにはまだ確信がありませんでした。彼は、自分の口と舌が重いので、うまく語れないと言いました。神様は、「人に口をつけたのはだれか。わたしは主ではないか」と彼を叱りました。それでもまだ確信を持てず、躊躇し続けるほど、モーセの心には過去の失敗による深い傷がありました。しかし、神様は最後まで諦めません。神様は、モーセだけでなく、兄アロンがモーセに代わって民に語ると言われました。神様は、モーセの手に杖を取らせ、これでしるしを行うようにと、励ましてくださいました。神様は、過去の失敗によって深く傷ついているモーセを、繊細に助けてくださいました。彼が過去の失敗を克服し、堂々と民の元に戻れるように励まし、確信を与えました。私たちが使命の地へ出ていく時、私たちには足りないところが数多くあるかもしれません。しかし、私たちの足りないところを、神様が埋めてくださいます。足りない私たち一人ひとりを助けてくださいます。だからこそ、私たちは主の救いの御業を成し遂げることができるのです。



適用:助けてくださる神様を信じますか

一言:いざ、行け



2021年 01月 09日 (土)

出エジプト記 4:18-31(20)
神の杖を手に取って従うモーセ

 いよいよモーセは、しゅうとイテロと別れを告げ、エジプトの地へ帰って行きました。モーセは家族を連れてエジプトに向かうとき、神の杖を手に取りました。これは、モーセがしっかりと神様に頼っている証拠です。神様はモーセに、エジプトに帰ったら、ご自分が示したすべての不思議なわざを行うように言われました。しかし、ファラオの心は頑なになり、そう簡単にはイスラエル人を去らせないことについても言及されました。モーセが、頑なファラオのことで、落胆してしまわないように、前もって言われたのです。ファラオは、長子が殺される最後の災いに遭うまでは、屈服しません。だから、モーセは最後まで信仰をもって、ファラオのところに行き、挑み続けなければなりません。

 モーセがエジプトの地へ帰って行く道中、神様は彼を殺そうとしました。モーセが息子に割礼をまだ行っていなかったからでした。神さまは、非常に厳しい方法で、モーセを正そうとしました。割礼は、主とイスラエルの民の間の契約のしるしであったため(創17:11)、モーセの息子たちも、イスラエルの民の一員として、割礼を受けておかなければなりませんでした。しかし、モーセは異邦の民の習慣に沿って子どもたちを育て、神さまとの契約を守りませんでした。彼の妻ツィポラが息子たちに割礼を行うと、主はモーセを放されました。神様は、アロンをモーセに会わせました。モーセとアロンは、イスラエルの子らの長老たちをみな集めました。モーセは長老たちに主のことばを語り、民の目の前で、主がモーセに見せてくださったしるしを行いました。長老たちと民は、モーセを通して出エジプトの御業を成し遂げようとされる主を信じました。モーセの懸念は杞憂に終わりました。民たちは、モーセを自分達の指導者として受け入れてくれました。救いの御業は、神様自らが先頭に立って、備えてくださいます。私たちが信じて聞き従いさえすれば、神様は人々の心を整えてくださり、救いの御業を成し遂げてくださいます。



適用:何に頼って進みますか

一言:神の杖


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