聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2021]

2021年 08月 06日 (金)

出エジプト記32:1-14(12)
あなたの燃える怒りを収め

 モーセが山から下りて来るのが遅いと、民たちは不安になりました。彼らは誰かに頼りたい、と願っていました。彼らはアロンをそそのかして、自分たちを導く神を作れ、と言いました。アロンは金の耳輪を集めて、金の子牛を作りました。その子牛がエジプトの地から導き出した自分たちの神だと、公布しました。これは、事実と違うだけではなく、神様が下さった戒めの御言葉に正面から衝突することでした(20:2-4)。彼らは金の子牛の前に、全焼のいけにえと交わりのいけにえとを供え、戯れました。彼らは神様と結んだ契約を破り、金の子牛、偶像と契約を結ぶことで、霊的な姦淫を犯しました。彼らは神様の恵みを知らない者であり、ひどく腐敗した人々です。うなじの固い民です。神様は、すぐに彼らに怒りをくだす、と言われました。その代わりに、モーセに「大いなる国民」とする、と言われました。今、イスラエルは滅亡の危機に処せられていました。神様は、奴隷生活から救ってくださる恵みの神様ですが、同時に、罪は必ずさばかれる、正義の神様です。

 モーセはすぐに、とりなしの祈りをささげました。モーセは、この民が神様と契約を交わした「主の民」であるという事実を強調しました。モーセ自身を通して、新しい民族をなす代わりに、「アブラハムとイサクとヤコブに与えられた約束」を守ってください、と求めました。モーセは自分の有益を求めることより、神様とイスラエルの民との間の契約関係の回復のために、切なる思いで祈りました。モーセの切なるとりなしの祈りを聞かれた神様は、ついに思い直されて、怒りをくだされませんでした。この時代も、罪によって神様の怒りを受けるしかありません。私たちはモーセのように神様と民たちの間を仲介し、切にとりなしの祈りをささげなければなりません。



適用:滅亡していく兄弟たちのためにできることは何か

一言:とりなしの祈り



2021年 08月 07日 (土)

出エジプト記32:15-35(32)
もし、かなわないなら、私の名を

 山から下りて来たモーセは、金の子牛の前で踊り、戯れている民たちの前で十戒の石板を投げて割りました。これは、イスラエルが神様との契約を破ったという、事実を意味します。彼は、金の子牛を燃やし、粉々にし、水の上にまき散らして、民たちに飲ませました。それで、民たちの忌み嫌う罪を取り除こうとしました。また、彼は民の罪を助長させたアロンを、はっきりと咎めました。モーセは偶像崇拝の罪を主導した三千人を殺しました。神様がお怒りにならなかったからと言って、罪の問題が解決したのではありません。神様の前で犯した罪は、必ず悔い改めなければなりません。モーセは神様の怒りを止めたことに満足せず、民たちの罪の問題に対して、はっきりと咎め、罪の代価を支払わせようとしました。罪の問題は、簡単に見過ごしてはいけません。神様の御前に徹底的に悔い改め、罪の原因も取り除くように助けなければなりません。それが、民たちを聖なる新婦にし、神様の前に導く霊的な指導者の使命です。

 次の日、モーセは神様のところに上って行って、民たちの罪が赦されるように切に祈りました。モーセは、民たちの罪があまりにも大きいことを認めました。その罪があまりにも大きく、神様が赦すことができないのなら、自分の名前を命の書物から消し去ってください、と祈りました。モーセは民たちの救いのために、自分のいのちをかけるほど、愛に満ちた良い羊飼いでした。モーセは、十字架の上で、私たちの罪を赦してください、と祈られるイエス様の陰です(ルカ23:34)。神様は、モーセの自己犠牲の祈りを聞かれ、先頭に立って彼らを導く、と言われました。一人のいのちをかけたとりなしの祈りは、一つの民族を滅亡から救ったのです。



適用:兄弟たちのために、どれだけ切に祈っていますか

一言:いのちをかけたとりなしの祈り


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