聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2023]

2023年 02月 15日 (水)

申命記31:1−29(19)
この歌をわたしの証しとするために

 モーセは百二十歳になり、もう出入りすることができなくなりました。神様はモーセに、彼がヨルダン川を渡ることはできないと言われました。それで、モーセは後継者としてヨシュアを立てました。それから、ヨシュアに「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない」と励ましました。また、イスラエルの子孫のために、このみおしえを書き記し(9、24)、定期的にこのみおしえを朗読して、彼らが聞いて学び、それを守り行うようにさせました。

神様はイスラエルの民たちが、入って行こうとしている地の異国の神々を慕い、自分たちのうちで淫行を行い、神様を捨てて、神様が彼らと結んだ契約を破ると言われました。神様もこのようなイスラエルを捨て、彼らからご自分の顔を隠されます。彼らが焼き尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、イスラエルの民はその日、「これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに私たちの神がおられないからではないか」と言いながらほかの神々に向かいます(18)。彼らは悔い改めようとしないでしょう。このような無知でうなじを固くするイスラエルのために、神様はモーセを通して歌を書き記すようにさせました。後の日に、この歌がイスラエルの子らに対する神様の証となります。この歌が、彼らが何者であるのか、そして何が間違っているのかを悟らせ、救いに導いてくれることになるでしょう。



祈り:歌の中にも罪なる私を救いに導こうとされるあなたの強い愛を覚えます。あなたの愛を歌に口ずさみ、今日の日も歩めるように導いてください。

一言:どうしても立ち返らせようとする神様の愛



2023年 02月 16日 (木)

申命記31:30−32:25(15)
エシュルンは、自分の救いの岩を軽んじた

神様のおしえは、若草の上の小雨のような、青草の上の夕立のようです。罪の下にいる人間の心は荒野のように乾いていますが、神様のおしえが、露のように滴り、魂を潤し、命を生き返らせてくれます。私たちは早朝、日ごとの糧を通して神のことばを黙想する時、露のように滴る神様の恵みと祝福を受けます。心豊かになって、その日その日の生活に勝利が与えられます。

神様は、岩のようなお方です。神様がなさったことは完全で、そのすべての道は正しく、偽りがありません。神様は正しくて、直ぐなお方です。この神様に頼るなら、私たち人間は、救いの恵みを頂くばかりでなく、どんな風雨にも倒されずに堅く立つことができます。神様が彼らの父となり、そして、彼らを造り上げて彼らを堅く立てられました。神様は、荒野の地で彼らを見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られました。鷲がひなを訓練するように、彼らを神様の民として訓練されました。そして、主の誓った地まで導き入れ、最良のものを与えてくださいました。ところが、イスラエルは肥え太り、頑丈でつややかになり、自分を造った神様を捨て、自分の救いの岩を軽んじました。忌み嫌うべき偶像崇拝を行い、神様の怒りを燃えさせました。ついに神様は、このようにねじれ、真実のないイスラエルから、顔を隠されました。結局、イスラエルは神様が送られた飢饉、戦争で滅び、裁きに至ってしまうのでした。

15節で、イスラエルは「エシュルン」と呼ばれています。「まっすぐ」「正しい者」という意味です。これほど不誠実なイスラエルが、なぜエシュルンと呼ばれるのでしょうか。それは、彼らは真実でなくても、彼らを贖われる主が、正しくて、直ぐなお方だからです。そんな主に贖われ、義なるものとされていることを自覚し、信仰によって主について行きましょう。



祈り:私は肥え太っていて、まっすぐに、正しく立てていない者だと自覚します。あなたの正しさにまっすぐにされていることを幸せに思います。

一言:真実で直ぐなお方のもとに立ち返ろう


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