聖書別日ごとの糧   >>   歴代誌Ⅰ[2019]

2019年 07月 05日 (金)

歴代誌第一29:1-9(5)
だれか自ら進んで主にささげる者はいないだろうか

 ソロモンは神様に選ばれましたが、まだ若く、力もない者です。神殿建築は、大きくて大事な工事です。なぜなら、人のための家ではなく、神様のために家を建てることだからです。ダビデ自身は、力を尽くして神殿を建てるために、材料を用意しました。各種の神殿の器具を作るために、多くの金、銀、青銅、鉄を用意しました。また、木製品のための木、あらゆる宝石、大理石なども用意しました。彼はこれらすべてを自ら進んでささげました。そのうえ、主の宮を喜ぶあまり、ダビデは自分の宝として持っていた金銀をささげましたが、その量は、オフィルの金三千タラント、精銀七千タラントでした。
 そこでダビデは民たちに聞きます。「きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はいないだろうか。」すると一族の長たち、千人隊、百人隊の長たち、王の仕事の係長たちが、みずから進んでささげました。彼らがささげたのは金五千タラント、金一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄七十万タラントでした。宝石を持っている者は、主の宮の宝物蔵にささげました。指導者たちが全き心を持ち、みずから進んでささげた時、民も自分たちのみずから進んでささげた物について喜びました。指導者たちも、民も、王であるダビデも大いに喜びました。
  指導者たちがみずから進んでささげる時、民にも大きな喜びが臨まれます。皆が一つの心で神様の宮を建てるようになります。自分が持っているものを神様にささげる時に、尊く用いられます。私たちが、神様の霊的な宮を建てる御業に、みずから進んでささげることができるように祈ります。


適用:どんな姿勢でささげていますか

一言:みずから進んで



2019年 07月 06日 (土)

歴代誌第一29:10-30(14)
ダビデの感謝の祈り

 神殿建築のためにすべての準備を終えたダビデは、感謝の祈りを捧げます。彼はまず、神様の御名を褒め称えながら主の主権を高く上げます。すべての偉大さと力と栄えと栄光と尊厳と富は神様のものです。ですから、神様に捧げることは当たり前のことです。神様に献物を捧げることが出来ることは光栄です。「私と私の民は何者なのでしょうか。このように自ら進んで捧げる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私達は、御手から出たものを捧げたにすぎません。」ダビデは限りなく足りない自分を召して下さって、イスラエルの王となるようにしてくださっただけではなく、神殿建築のために準備できたことに、ただ感謝が満ち溢れるばかりでした。
 神様の御前に自分がいかに足りないものであるかを知る者は、高慢になりません。自己義に陥りません。主に捧げても損害意識にさいなまれません。主の御業に参加できることは大きな特権であり、大きな感謝題目として考えます。何の資格もない私たちが、主の十字架の恵みによって救われ、神様の御業に用いられるようになったことは、いかに大きな恵みでしょう。自分のものを主に捧げるのではありません。主の御手からいただいたものを主に捧げるだけです。自分がいくら献身したとしても、誇れるものではありません。ただ主の恵みを誇るのみであり、主に用いられることに感謝するだけです。私達が世にいる日々は、影のようで望みもありません(15)。私達の望みは、将来神様の国に入ることであり、神様の国の拡張の御業に用いられることです。ダビデは御民の心をしっかりと神様に向けさせてくださるように望み、祈りました。息子ソロモンも、御言葉に従いながら神殿建築が出来るように、祈りました。ダビデの祈りの中でソロモンは王として立てられました。父ダビデの信仰を継承したソロモンは、すべてのことに栄えて、すべての王たちよりも優れた王の尊厳を与えられました。自分の本分を知り、全身全霊で主に忠実であった者は、代々に渡って祝福されます。志願する心と喜ぶ心から主に捧げる者を主は祝福してくださいます。


適用:謙遜と喜ぶ心で捧げていますか

一言:私は何者なのでしょう


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