聖書別日ごとの糧   >>   エステル記[2023]

2023年 05月 01日 (月)

エステル記1:1-22(20)
尊敬されるなら

ペルシア帝国の王クセルクセスがスサの城にて宴会を催し、すべての首長と家臣たちが出席しました。王国の栄光の富と大いなる栄誉を示して、宴会は百八十日に及びました。この期間が終わると、王は、スサの城にいたすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催しました。王妃ワシュティも、婦人たちのために宴会を催しました。七日目に、王はぶどう酒で心が陽気になり、七人の宦官に命じ、王妃ワシュティを連れてくるように言いました。彼女の美しい容姿を民と首長たちに見せびらかすためでした。しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒みました。そのため王は激しく怒り、命令を拒んだ王妃の処分について、知恵のある者たちに尋ねました。王の側近メムカンは、ワシュティ王妃を退かせ、他の女を王妃に立てる勅令を出すよう進言しました。もしそうしなければ、彼女のしたことが、女たちに知れ渡り、自分の夫を軽く見るようになると警告しました。王は彼の意見を受け入れ、すべての州に書簡を送りました。

クセルクセス王は、自身の力と勅令で、王妃からの尊敬を受けようとしました。なぜ彼女が拒んだのかを知ろうとはしませんでした。酒のあてのように呼びつけられた王妃の気持ちはどうなのか考えもしませんでした。彼は、自分は王なのだから当然王妃から尊敬されるものだと考えていたのでしょう。これは世の人が尊敬を受けようと要求する仕方です。しかし、心からの尊敬は力で得られるものではありません。法令を作り変えたとしても、法令で妻の尊敬をいつまでも保てるはずはありません。ただ相手を尊敬するとき、心からの尊敬を受けます。イエス様の方法です。イエス様が自信を卑しくされ、仕える人であったので、人々はイエス様を主と尊敬しました。隣人を配慮し、仕える時、尊敬を受けるのです。



祈り:自分の立場を認めてもらいたい、自分をわかって欲しい時ほど、自分のことを前面に出しています。自分を捨てて仕えられたイエス様とは違う私を見つけます。どうか、相手を敬う思いをください。

一言:むしろ配慮し、仕えましょう


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